だれに出会うか。どういう人と出会えるか
「一期一会」というという言葉は、茶人千利休の高弟、山上宗二の著した書物の中にあるとか。意味は「生涯にただ一度まみえること」である。
人間の生涯は例外なく一回こっきりだから、すべての出会いは正に「一期一会」なのだ。
人間が生きてゆくうえには、とりとめのない雑事や煩悩につきまとわるのが常だが、昨今、そこに自ら分不相応の欲を加えて自滅してゆく者が多い。
やはり、やたら〔忙しがっている〕現代人たる者、もう一度「一期一会」なる四文字についてじっくり考えてみる必要がある。
阿原成光著「お祭り・英語楽習入門/いじめは授業でなくす」(三友社出版)を、著者阿原先生からご恵贈いただいた。
阿原成光先生は、小生の二女である麻子が石神井中の時にお世話になった方である。(長女も長男も同校卒である)
先生は英語を担当なさるかたわら「演劇部」の指導をなさっていた。
その当時のいきさつは、麻子本人からよく聞かされていて、麻子にとっては学校の授業や、さらに好きな「演劇」を通しての体験がきわめて快いものであることは知っていた。
その当時のことを、先生はこのご著書の中で書いて下さっている。
146頁「学習を生きるはげみにしていけよ」の項である。
すでに20年余の歳月が流れている。娘麻子はその間、女優を志して故人になられた由利徹さんに可愛いがられて、新宿コマ劇場の舞台に立ったり、また某劇団の旅興行に付き人として同行したりと、演劇という特殊なフィールドで親の知らない辛苦の体験をしたようだ。
現在はフツーの主婦といった生活をしている。
親馬鹿と言われるのを百も承知で申しあげるが、そろそろ四十路にさしかかるはずのこの娘は、いつもあっけらかんと朗らか(に見えて)でのべつぼくの仕事場に現れて肩をもんでくれる親孝行な子である。
そして、折にふれて、中学での演劇体験と阿原先生のことを口にする。
彼女の思いの中に「阿原成光先生」がずっといらっしゃるのである。
ぼくは「学校教育の最大のポイントは、どんな先生と出会えるか」であると信じてやまない。
その点、娘麻子にとっての「こころの財産の一つは阿原先生との出会い」であることはまちがいのないところだ。
阿原先生の教科「整理と対策」
阿原先生のご著書の文中に麻子が先生にさしあげた手紙文が引用されている。いわく「(略)なんのとりえもなかった私にとって、これは大きな自信につながりました。そしてあらためて阿原先生と『整理と対策』に感謝しました(後略)」とある。
阿原先生が文中でもご紹介して下さっているとおり、麻子の父親であるぼくは、放送作家・コピーライターを経て、現在時代物(エンターテインメント)の小説をせっせと書いている。そして、ワイフもまた演劇(舞台)をめざしたこともある者ということもあり、ぼくは昨年、念願の舞台の脚本を書いた。(06年11月22日〜12月6日劇団テアトル・エコー公演――おかげさまで好評だった)
そんな来し方をふり返るにつけ、ぼく自身は、劇作家だった叔父・故小沢不二夫(戦前の新宿ムーランルージュ出身)とその叔父と親しくして下さっていた劇作家故三好十郎氏を師と仰いで勉強に励んだ。
戦争と敗戦という大パニックの中でついに学校という場にじっくり腰を落ち着ける時間のなかった(不幸な!)ぼくは、二人の師のおかげで「日本語による文筆業」を生業として生きてきた。
さらに昨今、文筆業として親しくかかわる人たちの中に「ぜひ、この人と深くおつきあいしたい」と思える方が何人もいらっしゃって、しみじみありがたいと思っている次第だ。
小説の大先達、吉川英治氏の著書「親鸞」の一節――「その無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生は雷光のような一瞬……」とある。
阿原先生のご著書を拝読して、やはり「人の一生の大事は、だれと出会うか。どういう人と出会えたか」をあらためて痛感した。
追伸 それぞれの一回こっきりの人生にとっても「整理と対策」は必要ですよね、
阿原先生?
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