「社会&芸能・つれづれ愚差」第9回(通算119回)

汚職・犯罪国ニッポン
 安倍ソーリ大臣とやらが、いくら「美しい国」といったカラお題目をくり返そうが、いまの日本は国の命運を決定づける政治家本人の資質も、そこに群がる官僚や役人、それにへばりつく穢いヒルのようなOBどもの跳りょうで「醜い国」でしかない。
 たとえば5月25日(金)の新聞3紙を広げる。
 農林省水産局所管の独立行政法人「緑資源機構」の官製談合事件――またかまたか。まだやってるか。くそ役人・OBどもよ! ととことんうんざりする。
 権力亡者、金権亡者ばかりがウロチョロする現世である。
 ほんらい〔亡者〕とは、死人のことである。
 まともに成仏できない死者のタマシイが冥土への途中で(たぶん三途の川の手前あたりで)迷っている状態のことだ。
 そんな怪しげな連中が公金・税金にワサワサとたかっているのである。
 今回の汚職談合事件の最高責任者たる男(ナントカ還元水の大臣!)とどういういきさつがあるのか、安倍ソーリとやらの庇護をうけて、人間らしい感情をまったく喪失した干物の魚のような面で生きのびている。こんな人間どもを、だれが選んだのかね?

ワルを裏で始末する時代小説を書いている

「越後屋、おぬしもなかなかの悪党よのう」
「ひひひ、お代官様ほどでもありませんよ」
「ぐははは、それを言うな」
(二人とも傍若無人に呵呵大笑する)

 これはテレビ時代劇のワンパターン・シーンだ。
 しかし、2007年の現在も、その表向きの風景や体裁は異なるもののその下司でハレンチな内容は少しも変わらない。
 文庫書き下ろしという時代小説を書き始めてそろそろ10年になる。
 親しい編集者たちから「毎月一冊というペースで書けばベストセラー作家になれますよ」というウレシイ提言・助言がある。
 もともと、ピカレスク時代小説のベストセラー作家、故峰隆一郎氏に「あんた、いけるよ。おれみたいなワルを主人公にした小説どんどん書きなよ」とゲキレイされて、このフィールドに踏み込んだ。
 そんな峰さんから直接の電話をもらったのは、徳間書店の「問題小説」に短篇「狐火と生っ首」というのをのせてもらった平成8(1996)年6月号が出たすぐの時だった。
 1ヶ月に1冊というペースは諸般の事情で実現できない。というのも、どうしても自分が生きた「昭和」という時代にも大いに関心があって、そっちへ気がいってしまうからである。(昨年2006年、テアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」は好評をもらい、その路線で某(大)劇団に新たに脚本を書くことになるかも知れない――という文句なしにうれしい昨今である)
 でも、毎日、江戸時代中期〜後期の資料と首っぴきで原稿を書くというスケジュールに変わりはない。
 それで――2007年と江戸時代のアホ権力者とワル役人の跳りょうという共通項はまるで変わっていないということに、つい大きな大きなタメ息をつくのである。
 アシスタントであるワイフは「大きな大きなタメ息も深呼吸の一種といえないこともないでしょ。だったらからだにいいんじゃない?」とのたまう。

悪党退治のハナシをせっせと書くぞ
 最近、ある雑誌のインタビューをうけた。
 チャーミングな女性記者E・Mさんは、ぼくの話をこうまとめてくれた。
「ぼくの作品に登場する主人公は、きまって武家社会で理不尽な目にあって江戸に逃れたアウトサイダー。酒も女もそのときまかせの表向きは独り者の遊び人。裏ではこの世の邪悪に立ち向かう闇の始末人が生業。
 一家離散の目に合い、悲しみを知っている――を江戸の町を舞台に愛刀を振るう一本筋の通った男を本庄流に描いています」
 こうカッコよくまとめてくれている。

犯罪者とはこころの居場所を見失った者のことだ
 このH・Pで「居場所難民」のことを書いた。
 「若年ホームレス」とか「インターネットカフェ難民」の話題も気になる。
 しかし、地位も財産も十分にありながら、なおかつみすみすあざとい欲のために「前科者」への道を転げ落ちてゆく男たちにはやはり哀れな人間の業を思わずにはいられない。
 彼らは豪邸にも別荘も(また世間にはひた隠している妾宅も)あるんだろう。
 でも、一人の人間として、一人の男としてあっけらかんと素直に振る舞える真の〔解放区〕を手に入れることがなかったのだと思う。
 仮面をつけて、その上に厚塗り化粧をして、それで心にもない嘘を口走って……あんた、それで、どこにいくの? ですよねぇ。

 「こころの居場所を失った者が、すべて犯罪者に墜ちる」とは言わないが、しかし「犯罪者たる者はすべからく、こころの居場所を失った者である」とあえ申しあげたい。

— posted by 本庄慧一郎 at 12:13 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第8回(通算118回)

本庄慧一郎のメモ帳から

「人間の命は地球よりも重い。という言葉はいまの日本では、紙くずのように軽んじられている」(本庄慧一郎)

「戦争では、強者が弱者というドレイをつくる。
 平和時では、富者が貧者というドレイをつくる」ワイルド(イギリスの詩人・作家)

「戦争をやって、いがみ合っている国のリーダーをみんなリングの上に引っ張り上げるのだ。そうしてトランクス1枚の裸で、徹底的に戦わせるという具合にいかないもんかね」チャップリン(イギリスの俳優)

「平和――二つの戦争の間に介在する、だまし合いの時期」アンブローズ・ピアス(アメリカのジャーナリスト)

「戦争は獣のためにこそあれ、人間のためにはない」エラムス(オランダの文学者)

「戦争はすべて我利我欲のためにこそあれ、平和のためなどは絶対にあり得ない」(本庄慧一郎)

「われわれは善良な農民を欲している。それは軍隊の力をつくるものである」ナポレオン(フランスの皇帝)

「われわれは無知なる選挙民を欲している。戦争という大がかりな商売とアソビを楽しむために」(本庄慧一郎)

「全民衆をゆりかごから墓場までドレイにするハレンチな兵役法」ローラン(フランスの作家)

「銃器での大量殺人を正当化する好戦論者たち!」(本庄慧一郎)

「銃が暴走する社会。武力・武器・核兵器が暴走する世界。
 真の平和をみずから遠ざける浅はかなエゴ人間集団」(本庄慧一郎)

— posted by 本庄慧一郎 at 11:29 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第7回(通算117回)

〔居場所難民〕のこと
 芸能人というのか、テレビ寄生人種というのか、ま、どちらでもいいのだが、とんでもないアブク銭をつかんだ者が大豪邸を建てたりする。
 しかし、毎日ワサワサと駆けずり回っているその邸のあるじは、ほとんど帰って来なかったりする。帰って来てものんびりくつろぐ時間もなく、寝室と風呂場とトイレを往復してそそくさとまた出かけてゆく。
 独身者はそれでもいい。が女房も子どももいる者も、ほとんど家族との和みの時をもつことはない。
 つまり、豪邸や別荘を持っていても、たいていは彼らは人間としての〔居場所〕を確保していないのである。
 いま、いわゆる団塊の世代の大量定年時代が始まったといわれているが、仕事一途に過ごして来た彼らは、あらためて〔居場所難民〕といわれている。
 退職金目当ての熟年離婚――言うなれば、同志であり、良き伴侶であった(はずの)女房ドノに、ずばり愛想づかしを宣告されるという事態がヒン発しているとか。
 離婚という表面立った事態に発展せずとも、(夫婦ともども世間体を気にしての)家庭内別居などはザラにあるようだ。
 具体的にいえば、あらためての夫婦という関係を拒否されるという(アカの他人にリセットする)ということだ。
 別の言葉でいうなら、目下、〔居場所難民〕増殖中である。
 立派なマイホームがありながら、人間としての、男としての、あるいは精神的な居場所がないということは、ほんとうに哀れだ。
 すでに巷にはホームレスなる人種が、ウロウロしている。いや大きい公園の樹木に隠れて、あるいは都会の河川の沿岸などのビニールハウスで、その日暮らしをしている。
 帰るわが家がない、心を存分に解放し、くつろぐ場所がないという意味では両者は同じである。
 たとえ家もあり家族がいて、また別荘などあったとしても、心底、おのれのすべてを解放しくつろぐことの出来ない者も間違いなく別種のホームレスである。

ジェットコースターの事故 
 大阪市エキスポランドとやらのコースターの事故は、現代のすべての問題を象徴している。
 JR尼ヶ崎線の大事故は当然のこととして、原因である〔金属疲労〕はすべて人間の〔精神疲労〕と直結しているのだ。
 かのマンション耐震偽装事件も、トラック脱輪事故も高層エレベーターの事故も、回転トビラ事故も、湯沸かし器事故も、さかのぼれば航空機の事故も……例外なく金属疲労とそこにかかわる者の精神疲労が直結して発生したものだ。
 なにもかもが機械化されて、生活が、人間がそっくりそのシステムに取り込まれている現在、〔ジェットコースター事故〕と同種同質の忌しいケースは続発するだろう。

〔常軌を逸する〕という共通項
 35年ローンなどという人生の主要時間をそっくりかけて返済した家のローンをやっと完済したあげくの定年退職。でも、その家に居場所がないということはどういうことか。
 そういう人生って、スピード・オーバーと金属疲労で取り返しのつかない大事を招いたジェットコースター(JR尼ヶ崎線の事故などとも)と同質と思えてならない。
 〔常軌を逸した――まっとうな道をはずれた〕といえば、堀江ナニガシとか村上ナニガシとかもいた。
 ワンサとお金を儲けたあげく、コースからスピンアウトして、拘置所や刑務所を経て、前科という二文字付の場所に着地する――。
 まともな、健全な市民としての軌道をはずすことなく生きたい。
 つましくとも貧しくともいい〔居場所難民〕になりたくない。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:54 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第6回(通算116回)

かつて〔友人・仲間〕はワンサといたが――
 思えば、つねに複数の人たちと組んで仕事をしてきた。
 ラジオ・テレビ、そして広告ビジネスなど、すべてが複数のクルーによる作業だった。
 具体例としては、CM撮影の現場では、昼食や夜食のベントーが80個〜100個を用意した。
 そういう仕事から(さまざまな理由でイヤになって)離脱した。
 当然、友人(らしき者)、仲間(のような者)も激減した。
 淋しいか、と自問すれば「おお、さっぱりして気持ちイイ」である。
 小説を書くようになって、アシスタントのカミさんと家族がクルーとなった。そして、心通じあえるごく少数の編集者の方たち――。
 でも、「この人たちとは、生涯ていねいに心尽くしておつきあいしたいと思える」方々は、もちろんいらっしゃる。
 以前の「玉石混交」とは異なり、ほんとうに信頼できる方々なのである。
 でも、広告ビジネスの時代のおつきあいで、その個性と思考と人間性でいまもって敬愛している人がいる。(あのギョーカイの人では稀有な存在である)
 アート・ディレクターの東本三郎氏だ。(スコッチ・ウィスキー「カティサーク」の真野響子キャンペーンでご一緒し、成果をあげた)
 彼のエッセイ集「人生市場/闇市編・朝市篇」(上下巻)は読ませる。
 その「朝市編」から「八月に思い、九月に忘れる」を転載させて頂く。




八月に思い、九月に忘れる   東本三郎
 中国の教えにある。どんな物でも美味しく食べるにはどうしたらいいか、との問いに賢人答えて曰く、腹を空かせればよい。腹が空けばどんな食べ物でも人は食べる、そして美味しい。空腹は人間にとって最大の脅威であり、逃れられぬ宿命である。
 国が腹を空かせる、空腹となる。故に食物を求めて狂う。これが戦争である。紀元前の昔より、空腹を満たすための戦が繰り返されて来た。現在、国の一番の食物は石油資源である。これがなければ電車は動かず、車は動かず、飛行機は飛べず、電気はつかず、何もかもが中世の昔に戻らねばならない。石油を制すは国を制すである。
 アメリカはあらゆる情報を使って神国日本を戦争に誘導していった。鎖国を続けてきた幼稚日本は、外交の術を知らなかったし今なおそれは続いている。島国日本の命の綱、石油をシャットアウトした。日本は飢えた狼の様に手当たり次第にアジアの国に襲いかかった。ここで歴史を語るつもりはない。人は腹を空かすと狂人になるという教訓である。
 終戦後、ダイヤモンドとジャガイモが交換され、ルビーと卵が交換され、サファイアと米が交換されていった。国の食物は石油であり、人の食物は自然の恵みが生んだ物であった。一個の卵、一個のカボチャ、一個のトウモロコシのために体を許す母たちがいた。戦争の中で安物にされた尊い命。戦後は尊い命のために、すっかり忘れていた自然の恵みに体を張った。国のためではない。生きるためにである。一丁の銃より一個の卵、一隻の軍艦より一頭の牛、一隻の潜水艦より一俵の米である。そこには思想も、哲学もない。あるのは生きるという人間の本能だ。人間という動物の本能だ。
 しかし厄介な事に、人間という動物は他の動物と異なり、空腹を満たした途端によこしまな征服欲が生まれる。神が人間を作ったとしたら、永遠の修羅を作った事になる。空腹が全ての基といえる。ジハード=聖戦と今はいうが、そもそもの原点は日本の神風特別攻撃隊、略して特攻隊である。自爆の元祖である。若き者たちはたっぷりと洗脳、意識は高揚した。何通りも用意された手紙の見本に従い、遺書を書いた。父上さま、母上さま、天皇陛下万歳と。彼らは短期集中洗脳者であった。国もまた、洗脳中毒であった。判断不能、心身不能、理解不能であった。人間は十日間で洗脳できるという。一切眠らせない、同じ言葉を言い続ける。天皇陛下のため、国のため、天皇陛下のため国のため。一日中言い続ける。そして人間爆弾ができ上がる。今も同じである。
 人間に空腹がある限り、または満腹がある限り戦いは終わらない。人間という動物の宿命である。永遠に続くのである。人間は獣であるという事を知らねばならない。最も危険な獣である。
 毎年八月十五日が近づくと戦争の事が場当たり的に語られる。戦争は、人間が人間である以上終わらない事を前提に考えねばならない。情緒だけを八月にだけ語ってはならない。人間は人間を殺す事に快感を感じる生き物なのである。誰の中にもそれはある。人間が極限に追い込まれた時、いかなる人間にも狂気は生まれ、殺気は生じる。五味川純平が『人間の条件』の中で描いた「カジ」なる人間、「カミ」なる人間は一人もいない。歴史は作った者によって滅ぼされるという。ならば人間社会は人間が滅ぼすのであろう。あるいは神が宇宙の真理に従い、この大宇宙の中の迷える小惑星を一瞬にして消滅させるだろう。その日は明日か、明後日か判らない。いかなるSF映画も及ばない事実と共に消えるのかもしれない。
 人は皆、八月に思う。戦争はいけない、と。だがしかし、九月には忘れている。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:19 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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