「社会&芸能・つれづれ愚差」第31回(通算141回)

夜明けのひとり言
「こちとら、生まれも育ちもどうせロクなもんじゃねぇ。いくら周りがワサワサと騒がしかろうと、やたらデタラメやらかそうと、エラソーなことをのたまうガラじゃねぇ。でもよ、でもなあ、あまりにもインチキやうそつきばかりがのさばっていて、どうにも肚がおさまらねぇよ。政治屋・官僚……各省庁や自治体の役人たち。かと思えば一般企業の経営責任者たち。もうひとつ、かと思えば……なんて言っていたらキリがないねぇ。つまりは、この世の中、『やってはいけないことはやってはいけない』という幼稚園の子どもでも知っている原理原則を軽々しく侵犯して、ゴミの穴ぼこに転落する愚かしいヤカラがワンサといるってぇことだ。とにかく情けねぇなあ。お前さんの女房や子どもたちはどう思ってんのかねぇ。みんな哀れだなあ。恥ずかしいなあ」



 朝は午前4時に新聞が投函される。
 つい二週間ほど前までは、ネズミ(?)の額ほどの、雑草だらけの庭に、冴えざえと、耳の鼓膜が痛いほどに大きな声(?)で虫がさえずっていた。
 でも今朝(10月26日)は、さすがチロチロと頼りなげ、淋しげだった。
 このところ連日、カメダとやら一家のこと、若手力士の死亡事故のこと、そして元防衛省役人のナントカという男のスキャンダルなどなどで新聞記事が賑わっている。
 テレビ屋も例によって悪ハシャギしている。
 どいつもこいつも結局は「やってはいけないことをやっていた」ということだ。
 「図にのる」「タカをくくる」「なめてかかる」「ハレンチをハレンチとは思わない」あげく「おのれを失う」。
 赤白のシマシマが大好きというマンガ家とかもヘンだ。
 ゴミおじさん、騒音おばさんなど、たしかに「暴走老人」というのが大勢いる。
 情けないねぇ。哀れだねぇ。(とまた、したり顔でつぶやく)



 マスコミ・ゲーノー界にン十年もかかわってきたが、おツキアイのためのゴルフ・マージャン・サケなど一切かかわらなかった。(が、おサケだけはごく一部の気の合う人とならつきあう)
 仕事がひと区切りした時に、アテもなく野を歩く、町を歩く。行き当たりバッタリで本屋めぐりをする。安い本をせっせと買う。
 ぜひ必要な資料と必要な本は、娘に頼んでインターネットで購入する。こちらの本の場合、ヨレヨレの(たとえば昭和初年代の「キネマ旬報」とか、敗戦直後の芸能資料としての本は数千円もしたりするのはザラだが)雑誌・書籍もウキウキとドキドキとして手に取る。その思いは格別である。
 ゴルフの接待を受けて自分の人生を台なしにする野郎の気が知れねぇよ、まったく。(またエラソーにつぶやいた)



 いま、「実録大都映画」の原稿を書いている。
 「B級三流」と蔑まれながらも、おめず臆せず大衆娯楽映画を大量生産した猛者(もさ)男、河合徳三郎は、“もっこ担ぎ”から土木建築業で大成し、“右翼の巨頭”といわれ頭山満などと親しくして、そのスジの者をン十万人も従え、東京(府・市)会議員を8年も勤め、社会労働大学を創設したり、貧しい者たちのために慈善病院を作ったり、1日300人分の炊き出しをやったり……(いや、博徒同士の争いで切った張ったの現場で活躍(!)したりと)とにかくスゴイ人だった。
 そのひとりの男の「光と影」のドラマチックな人生に興味はつきない。
 それにしても近頃の人間のやることってチンケだねぇ。(と、またエラソーにつぶやく)



 欺瞞・偽証・偽装・偽態……性根を腐らせた者たちの醜悪でコッケイなカンカン踊りよ。
 詐欺・詐称・嵌める・謀る・化かす・たぶらかす……キリがない。
 詐欺関係の本を集めている。詐欺師を主人公にしたコメディはいろいろあるが、ぜひ、本庄慧一郎版を書くつもりだ。 ・「詐欺とペテンの大百科」(デンと重い世界の詐欺と詐欺師の大辞典)
・「これがパクリ屋だ」・「悪知恵マニュアル」・「人はなぜ簡単に騙されるのか」・「詐欺師入門」・「パクリと詐欺の全手口」・「騙す人・ダマされる人」・「人をその気にさせる話術」・「怪しいお仕事」・「詐欺の手口90」・「詐欺師のすべて」・「詐欺師の〈裏手口〉」・「私はこうしてだまされた」・「悪徳商法/あなたもすでに騙されている」・新聞の関係記事イロイロ。ああ!ヤレヤレ。



 10月26日付の朝刊をひらく。
 「久間元防衛相も接待うける」とか「財務省主計局職員集団強姦容疑」とか「林野庁“緑のオーナー”損失補填せず」とか「三位一体・35都道府県赤字」とか……。
 いまの世の中、インチキをとったら何が残る?(またシラケつつつぶやいた)

— posted by 本庄慧一郎 at 01:04 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第30回(通算140回)

本庄慧一郎の07年10月のメモランダム
 新星合唱団演奏会。07年10月14日。東京芸術劇場大ホール。
 ミラー・フィッシャー症候群とかいう(10万人に1人の罹病率とか)大病を克服してちょうど2年。機敏・適確な医師の対応とファミリーのフォローで救われて完全復調。
 ということで、病気以前にも増して、「執筆・取材活動」は積極的になった(と周囲から言われる)。
 で、新星合唱団演奏会。合唱団のU氏が「鳥になれたらいいね」のCDに共感して下さっての交誼が始まり、ワイフと出かけた。  男女混声合唱団約240名。(合唱指導・指揮、郡司博)
 そしてオーケストラの指揮は船橋洋介。
 コーダイ作曲「デ・デウム」。ロッシーニ作曲「スターバト・マーテル」。その真摯でパッショナブルな合唱と演奏にひたすら胸を揺さぶられる。(合唱曲のコトバは対訳で意味を理解――演奏会後に!)
 観客のマナー、文句なしで、快くホットな時間を味わう。
 U氏に感謝。いつまでも鳴りやむことのない圧倒的な拍手とその余いん――。



 前進座劇場開場25周年公演「俊寛」と「人情一夕噺」。10月18日ヒルの部。(前進座矢の会の会員としてワイフと。病後は保護者としてのワイフとつねにペアなのでアル)
 近松門左衛門の「俊寛」はさまざまな演者で観ているが前進座中村梅之助のテイストと劇全体のトーンに好感。
 観劇後、嵐圭史丈、河原崎国太郎丈を囲んでの「矢の会合評会」。つい1ヶ月前には、国太郎丈特別参加の流山児事務所公演(於・ベニサンピット)の「オッペケペ/川上音二郎」を観た。
 当日の午前中、目下、鋭意(!)執筆中の「実録・大都映画」の主人公河合徳三郎の取材で、2回目の泉岳寺行き。
 「大石良雄像」建立の発起人の碑に「河合徳三郎」の名を確認したが、同時に四十七士墓所に近くに「川上音二郎の墓」があるのを知る。
 河原崎国太郎丈の川上音二郎役の熱演と「他流試合に挑戦」の意欲に拍手。



 このところ、ボクシングの亀田一家とやらのダーティな言動で騒々しい。チャンピオン内藤大助と亀田大毅の対戦はテレビで観たが、大毅という男は、ただ哀れだった。
 反則だらけの彼の態度と、父親やその一族の異常さは論外。
 「図にのった者」たちの醜悪さとうら哀しさと、その行方――。
 朝青龍という力士もいた。国技とか伝統とか、喧伝されるがその後の時津風部屋の若手力士の死亡事件。
 閉鎖社会の隠蔽と常識欠落の狂気ワールドの愚。



 2000年シドニー五輪で金メダル3個・銅メダル2個を獲得したマリオン・ジョーンズ。裁判所での「薬物使用」についての証言で号泣しながら真実をのべた。すべての「栄光」を自らの手で汚して、ドブに捨てた。
 亀田一族との対比。といっても、軽率に「薬物」に手を出す愚かさが正当化されることはない。
 「図にのった者」たち――どうにも手におえない政治屋とただ「我利」のために右往左往するミーハー政治屋の群れも不快。
 寄ってたかって公金を食い散らかし、ムダ遣いしておいて、消費税をアップし、高齢者医療費や福祉の予算を削り……といったこのデタラメを許している選挙民たちの「民度」がモンダイだね。



 東京新聞朝刊「本音のコラム」の鎌田慧・吉田司・伊藤洋一・斉藤学氏らの論旨に共感すること大。
 このコラムと関係はないが、佐高信氏もいいね。



 亀田一家のダーディぶりは論外として、「図にのる者」「図にのる企業」の跳りょうも大不快。
 このところ「白い(!)恋人」とか「赤(!)福餅」とかついでにNHKの「紅白」などというバカ騒ぎ、カラ騒ぎも「公共の電波」から追放すべきである。「モッタイナイ精神」と「自制自浄機能」を失ったモノは不要である。



 「図にのったもの」――テレビのバラエティとかクイズの大仰でアホな風景よ。亀田一家と似たような図々しいタレントたちよ。
 ちょっと以前、ノムラ・サチヨとか、デビ・ナントカ……デカイ顔した女史たちがのさばっていた。
 近頃、船越栄一郎のおカミさんとか、新劇畑(?)から出て来たタカハタ・ジュンコといった女性たちも、いいトシしてテレビで大ハシャギしている。
 前者は、家政婦に暴行したとか、後者は「あそこ(陰部?)に白毛があるのよ」なんて口走って……。
 それとアニメ声というのかマンガ声というのかキンキンした女の子(オバサン?)の声と、CM・番組にやたら起用するテレビ屋。
 いやニュースワイド番組でもやたらキャーキャーと登場する。カンベンして下さいよ。
 ちょとばかり、テレビでチヤホヤされるとみんなヘンになる。
 もうひとつは、テレビコマーシャル。(かつてソレで食っていた小生としてはなんでこうもデタラメになったの? これまた腹も立たないわサ)



 キリがないのでアリマス。以上。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:08 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第29回(通算139回)

本庄慧一郎のメモランダム
(この2、3日分の新聞・雑誌から)

「長井健司さんの志を継ごう」「長井さんが最後に突き上げていたカメラは〔おれの心を受け取ってくれ〕と薄れゆく意識の中で叫んでいたように思えてならない」(鳥越俊太郎談)
 ――人殺しの武器を持って走り回るような人間には、まっとうな人間としての自覚があるわけはない。本庄慧一郎。

「中1の1割が〔うつ〕」「自殺との関係、対策急務」
 ――中学1年生という人生の飛躍の季節を迎える若者たちが、迷路に落ち込んでいる。人生の手本になるはずの大人たちの醜悪さが彼らを尻込みさせ、若い意欲をぶち壊している。政治と社会の腐敗と腐蝕が〔病源〕だ。本庄慧一郎。

「自殺サイトで契約、殺害」「33歳容疑者逮捕」
 ――自殺サイト?「安楽死薬売ります」。常時、数百件が表示されていると。〔狂い〕を金もうけのネタにする〔狂った者〕の実態。
 アメリカの「戦争ビジネス・代理業」が盛況だという昨今。本庄慧一郎。

「冤罪で服役/男性の無罪確定」
 ――真犯人が実在し、みずから自白したという。まったく冗談じゃねぇ! おれが被害者の立場だったら――何をどうするか。本庄慧一郎。

「社保庁、しっかりやって! 東ちずる」
 ――近頃、テレビの画面に現れる奴らのなんとも……いやはや。とりわけ「タレント」と称する者たちのバカ騒ぎは目に余る。
 それでもごく稀にマットーなひともいる。社保庁のデタラメさに怒っている東ちづるさんとか。脳のヘンな者たちに侵されないでね。本庄慧一郎。

「お笑い芸人〔テレビ占有率〕徹底調査」「公共の電波とは笑わせる」(週刊文集10/18号)
 ――自分の出身母胎であるテレビだが、まったく哀しいほどイヤになる。ごく一部のジャーナリズムを除いて、ほとんどが……とりわけオチャラケ芸人の出る番組はゴミだ。「1週間の出演回数が多いお笑い芸人ランキング」という表がある。15人の名があがっているが、その1位の久本雅美とやらの名と顔はたまたま見知っていたが、あと14人は知らない。
 つねづね「みのもんた・タモリ・島田紳介・さんま……などがテレビからいっせいに消えてくれたら、テレビ局のアホな制作者たちも〔自己革新〕を余儀なくさせられて、テレビ全体がマシになるのでは――と。本庄慧一郎。

「ボクシング世界戦、亀田は反則減点敗北」
 ――政治家も、社保庁をはじめとする役人たちも、人間としての最低の品性をなくしている。そして、相撲ギョーカイの連中のみっともなさ。
 前アベ・ソーリの右往左往もひたすらみっともないていたらくだったが、フクダとアソーとその周辺のカラ騒ぎも論外だった。
 彼らはほんとうに日本という国をリードする人間かね?
 亀田というボクサーとそのファミリーの下品さとは体裁は異なるが、現在の政治屋たちの下品さの実態は亀田ファミリー以下だ。
 カリカリ怒るマスゾエ大臣に応酬する地方行政の役人たちのこれまたトンチンカンな言動――その抗議の内容の見当ちがいのアホなこと。ああ、うんざり。本庄慧一郎。

「戦前の大都映画のリーダー・河合徳三郎の人となり」
 ――大正期から昭和初期、そして中期まで、土建業・政治院外団のリーダーとして「天下の河合」と称された男の実蹟をしらべている。
 ヤクザといわれたこの男は、文句なしの「任侠」「義心」――強きにあらがい、弱きを救けるというハートをもっていた。それにしても現代にうごめく者たちの……情けない! 本庄慧一郎。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:43 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第28回(通算138回)

墓参は慕参である
 春夏秋冬、季節が変わるごとに、先祖の墓に詣でる。
 いや、墓参を名目に、その季節の風や日ざしや、郊外の風景を楽しみ、のんびり時を過ごすのがならわしなのだ。
 所沢の向こうの〔ととろの森〕に近い小高い丘の上の公園墓地だ。
 もともとの先祖ゆかりの地は埼玉県本庄市。苔むした十数個の代々の墓石は、かつて〔土葬〕であったこともあって、土台が陥没したりして大改修が必要であった。
 そこで菩提寺に相談して、墓地をお返しして、自宅に近い公園墓地へ引越をしたのである。
 まんが家の滝田ゆうさん、画家のいわさきちひろさん、そして歌手の尾崎豊さんの墓もある晴れ晴れと明るくさわやかな自然に囲まれた環境で、いつもワイフとルンルン気分で出かける。
 雑草をとり、樹木にハサミを入れ、墓石を洗い、花をかざり、線香をともす。
 こんなセレモニーのあと、持参のビールやポケットウィスキーを供える。
 もちろん即、ぼくが呑む。うまい!言うことなしである。
 墓参は先祖供養というより、わが夫婦のお手軽なピクニックなのだ。
 もちろん、死者の霊を悼み慕う気持ちもある。
 でも、新井満さんの「千の風になって」ではないが
「そこには私はいません。眠ってなんかいません」というコトバのとおり墓は墓にすぎないとも思っている。
 でも、季節の風に吹かれ、明るい日ざしをあび、素直な気持ちで手を合わせていると、やはり気持ちがいい。こんなにいい気分を味わえる場所はほかにないなあと、しみじみ思うのだ。

いまの自分(たち)、これからの自分(たち)を思う
 マスコミ業界で生きてきた。ずいぶん多くの人たちとかかわって仕事をしてきた。
 いまは小説書きだから、無理して多くの人とつきあうことはない。
 すんなり分かりあえるごく少数の編集者と、ほんのひとにぎりの友人・知人がいればそれで十分だ。
 墓の前に立っていると、ゆっくり自分のことを省みることが出来る。
 これからのことに思いをはせることができる。
 いままでの、ただワサワサとひたすら忙しがっていたン十年が遠くに見える。やはり、離脱してよかったとしきりに思う。
 「墓参」を「慕参」と言い替える。
 父や母や、先祖の人たちを思い慕う。
 ふり返ってこのぼくがあの世にいったら、慕ってくれる者たちがいるだろうか……などとも考える。
 いやいや、慕ってもらえる人間でありたいと、けなげにも念ずるのだ。
 いい家族がいる。みんながほどほどにしあわせであれば言うことはない。
 こういうもの思いにひとときを過ごすというのは、とても心とからだによい。
 また、もりもり仕事をする意欲がわいてくる。単純なのである。
 持参のビールやポケットウィスキー(実は焼酎)にたちまち快く酔う。

所沢の居酒屋での昼間からのひととき
 以前よく、12月初旬の「秩父の夜祭り」に出かけた。
 宵のうちに所沢に着いて一杯のむ。祭りのピークは9時過ぎだからだ。所沢の路地の奥の大衆食堂がお気に入りだったが「なんでもあり」のその店が閉店した。
 でも、新たに「なんでもあり」のお店を発見してその店に寄るのがうれしい。
 昼間からワイフ相手にカパカパのむ。店の名は「百味」という。
 働き者のオバサンが大ぜいいて、チャーミングな若い女の子も感じがいい。
 墓参というイベントは、いまのぼくにとって文句なしに楽しい。
 グダグダと街で遊ぶくせに、まるで墓参りなどしないという者も多い。でも「千の風に吹かれる」というのを忘れないほうがいいですよ、皆さん!



 それにしても、いまの世の中、ウソつきと強欲と、そして非常識とエテガッテと……どうなってんのかね。
 先祖の霊がそこにいる、いないは別にして、墓の前にじっと立ってごらんなさいよ。
 え? 忙しくてそんな時間ない? 来世はロクなことないよ。覚悟しておいたほうがいいねぇ。
 ……なんて、エラソーなこと言ってみた!
 さて、この10月は、新書版一冊、きちんと書き上げるぞ。
 

— posted by 本庄慧一郎 at 01:20 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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