「社会&芸能・つれづれ愚差」第40回(通算150回)

当HPへアクセスして下さる皆様へ
 2007年もフィナーレを迎えようとしています。
 本庄慧一郎の当HPも、ちょうど今回で通算150回になりました。
 友人・知人、そしてまだ直接お目にかかっていない方々からも沢山のアクセスを頂き、心から感謝しております。
 たぶん――わたしの〔言いたい放題〕のような意見やメッセージに対して異論・反論もおありかとは思いますが……。
 これまで、長いこと(ざっと半世紀ばかり)マスコミの仕事にかかわってきて、あまり……というより、まるで自分個人の思いや気持をじかに表したことがなかったので、このHPについては「まっぴら、ごめんなすっておくんなせえ!」と、ヌケヌケと書かしてもらって来たのです。
 それにしても、いまの世の中、まじめに、コツコツと働く人(または、働こうとしている人)たちに対する仕打ちというのはひどいと思いませんか。
 それもこれも、みんなが平等であれば、それもやむを得ない。が、とにかく勝手なことをする者が、やたらのさばっているでしょう?
 まずそれが許せないですよね。あなたもそう思うでしょ?
 でも、何がどうあろうと、へこたれてはいられませんよね!

人生は快いエピソードとクリエイティブな縁(えにし)です
 ずっと昔から、クリスマスとか、年の初めの世間一般やテレビなどのバカ騒ぎがキライでした。
 それよりも、新しい年への思いをゆっくりと考え、新鮮な気持で次の年へスタートといういとなみを大事にしたいと努めてきました。
 つい先日、ごく親しいレディの結婚のご披露宴でのご指名のスピーチでも申しあげました。
「……人生とは、それぞれが独自の、世界でたった一枚の布をていねいに織り上げることではないでしょうか。タテ糸は価値のある快いエピソードで、そしてヨコ糸は末長くおつきあいの出来る得難い人たちとの縁(えにし)で紡ぐのです……」
 カッコつけるな、エラソーに言うなというそしりを受けようとも、わたしは素直にそう思っているのです。
 価値のある快いエピソードや、末長くおつきあい出来る得難い人たちとの縁は、アブク銭とは一切関係ない〔人生の財産〕だと思っています。(実は、そのご結婚のご披露宴から、それこそ、「心うれしいこと」が生まれて、2008年のオープニングをかざってくれることになりました)

2008年の年始のごあいさつは立春の折に――
 毎年、たくさんのお年賀状を頂戴します。大感謝です。
 わたしもいつも、年末に準備をするのですが、本年は諸般の事情で、きさらぎ2月の立春にごあいさつをさせて頂くことに相成りました。
 どうぞ、あしからずご諒承のほどをお願い申しあげます。

 素直に納得の出来る日々と、心とからだのますますのご健康をわかち合える平和な2008年でありますように――。

 再見!   2007年12月28日
本庄慧一郎


— posted by 本庄慧一郎 at 11:48 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第39回(通算149回)

金欲・物欲・色欲・権力欲……
 現代社会は、さまざまな欲望のコラージュである。
 その不快極まる乱反射が吐きけを誘う。
 こちとら、そうエラソーなことが言えるガラではないことは百も承知だが、それにしても欲がらみの醜悪な事件のオン・パレードはとどまることがない。


「人生には二つの悲劇がある。一つは欲望を得られないことであり、もう一つはそれを獲得することである」
――バーナード・ショー


夜明けの本棚・金に関する資料
 練馬石神井の午前4時。夜明け前の〔明星〕は美しい。
 近頃トンと視力も劣化したが、しかしメガネなしの目にも満天の星のきらめきには、ただただムダとしか思えないような人工のイルミネーションにはない〔神秘〕の奥深い魅力がある。
 その清々しい思いは、新聞第一頁の「守屋元次官ら、再逮捕」の大見出しにいっぺんに破壊される。
 それなら――と、資料の本ダナから、あれこれの本を引っ張り出す。
「金権日本史」泉秀樹。「金銭」樋口清之。「賄賂の歴史」高野澄。「江戸のワイロ」童門冬二。「日本汚職史」室伏哲郎。「今昔おかね物語」神坂次郎。それから……ワンサとあるのダ。
 それこそ、金にまつわる挿話などチリアクタのようにあるが、歴史にのこる〔金持〕という輩は、例外なく時の権力者にへばりつくか、または時の政治の欠陥や不備を悪用するかはたまた詐欺・詐術を弄したスタンド・プレーで……というケースだね。
 たとえば、かつて豪商といわれた者たちだが――
 「信長にすり寄った今井宗久」
 「秀吉びったりの政商神谷宗湛」
 「謀略で財と権力を掴んだ末次平蔵」
 「家康の“小判鮫”として跳りょうした茶屋四郎次郎」
 「悪知恵の権化・奈良屋茂左衛門」
 とかとか……。
 あれこれ調べているうちにキモチが悪くなるね。

独立行政法人改革のこと
 このモンダイも、ひたすらヒドイね。
 さまざまな団体の〔負の実績〕とそこに巣食う者たちのインチキさは言語同断。
 そのいかがわしい団体をなんとか温存させようとうごめく輩の跳りょうには、ただ呆れかえる。〔欲のけものたち〕が大手を振って大道をカッポする国の社会が狂うのは当然だ。
 親殺し、子殺し。そして親族間の殺人。
 かと思えば〔誰でもよかった殺人〕……。
 今朝の新聞の社会面記事も息の詰まるような事件ばかり。
 情けないなあ。
 それにしても〔責任〕ということばはまったく空洞化した。
 ソーリ大臣をはじめ、不正企業のリーダーまで、口先で逃げを打つ。フザケンナよ!
 ずっと言ってきた。小説などにもくり返し書いた。
 「人は、生まれ出る時を選べない。生まれ出る場所を選べない」と。

 「猫っかぶりは最悪の貪欲である」
――スタンダール


 〔貪――どん〕とは、仏教でいう三毒・十悪のうちの一つ。



 「東京23区内にタヌキが1000頭?」
 本物のタヌキそこのけの〔化かし屋〕はごまん(五万)といるぜ。

— posted by 本庄慧一郎 at 12:02 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第38回(通算148回)

07年度のキイワードは〔偽〕だとか
 政治屋・官僚・役人から、食品メーカー・一流料亭、そして……どれもこれもが〔偽〕というか〔虚〕というか、はたまた〔妄〕というか〔似非〕というか、〔羊頭狗肉〕というか〔眉唾―まゆつば〕というか……とにかく、よくもよくも〔同工異曲〕というカンカン踊りに興(狂)じたものである。
 だいたい、こちとら作家・小説家なんて〔虚構―フィクション〕をまことしやかな物語に仕立てあげて、いくばくかのおカネを頂くのがショーバイ。
 〔真実〕や〔誠実〕や〔誠心〕を絶対条件とする仕事をすべき連中がこぞって〔偽〕にトチ狂っては、こりゃ手におえないのでアル。
 でもね、とにかくいまの社会――人の世をまっとうに生きている者たちも大勢いる。
 人間、いくらまじめに生きようとしても、結果として〔偽り〕を招いてしまうこともある。それは許してあげねばならない。いや、許してもらいたい。
 なんにしても確信犯的な〔偽〕がはびこる時代というのは、まぎれもなく政治が劣悪だからだ、と〔確信〕する。
 現在の犯罪と事件だらけの醜悪な国にしたのはダレだ?
 長期にわたって政治のイニシアチブでを握ってきた自民党の責任は明白である――にもかかわらず! まったく!

〔暴走〕というキイワード
 〔暴走老人〕が話題になっている。ほんらい人生経験の豊かな年配の者が、未熟な若者のように、軽率な無知な言動や行動をとるということだ。
 従来、暴走族といえば、意志の弱い自己顕示欲だけを肥大させた少年(!)たちが二輪車・四輪車のメカ・エネルギーのパワーに依存して、ルール違反や迷惑行為で、劣悪意識の埋め合わせをすることだった。
 いまは、クルマなどには関係もない老人たちがエテガッテな暴言や暴力でのさばるのである。
 これはぼくの独断だが、長年、企業というアメーバのような組織体で〔飼育〕されてきた企業人OB(定年退職者)にこの種の人間が多いのではないかと考えている。
 年齢相応の思慮も常識も、想像力も創造力も持ち合わせていない者は、家庭に還ることもできず、社会に順応することも叶わない。
 定年退職したご主人が、のべつ家に居座るようになってから、奥さんや家族が培ってきた〔和〕がたちまち崩れた――という例は枚挙にいとまがないとか。
 企業というモンスターに人間としての心を吸い取られた者の行方は悲劇だ。

〔暴音〕という造語について
 都市の〔音環境〕について東京都は「目だけではなく耳にも優しい音環境についての政策を推進する」とか。
 作家というショーバイには〔静寂〕が絶対条件である。
 仕事場には、好みの音楽は別として、不必要な音は一切要らない。
 そんな場所で長時間過ごしたあとには、ことさらに音に敏感になる。
 となると、政治・社会一般の情報を求めて新聞等は精読するが、テレビの報道番組もチェックする。
 しかしこのテレビの〔音〕に対する無神経さというものは最近、極度に劣悪化している。
 アナウンサー・コメンテーターの未熟さや無神経さ、そして非常識……など目に余る。
 〔しゃべり〕の内容の質と同時に、しゃべりそのものの技術もひどい。
 とりわけ、やたらシークエンスを分断して挿入されるCMのセンスの悪いこと。元(!)CM制作者として「このギョーカイから離脱してヨカッタ!」とつくづく思う。
 それとステーションに言いたいのは、CM量のことだ。かつては番組の場合は、提供枠時間の10%を限度とするといったルールがあったが、現在はどうなっているのかね?
 もうひとつ、報道番組などでもキンキラのアニメ声(マンガ声)が跳りょうするが、あれは「音環境」破壊行為だぜ。ただ不快であるよ。
 もう一つ、新聞記事などを(イージーに)紹介する(?)コーナーなどで、項目ごとにいちいちME〔音楽効果音―ジャン!とか〕を挿入するなどこれもうるさいだけだぜ。
 制作者たちの悪ノリはむしろ……哀れをもよおすね。
 ちなみに雑誌「世界」08年1月号の記事「メディア批評」神保太郎の惹句は「メディアの役割は権力を監視し、時代の課題を設定すること。日本のメディアは何をしているのか?」だよ。
 どうかテレビよ、愚かしい(騒音ゴミ箱)にならないでくれよナ。



 ところで、環境庁(当時)が案出したという「日本の音風景百選」では、東京関係では柴又帝釈天、上野の鐘、吉祥寺の成蹊大学のケヤキ並木、そして石神井公園の三宝寺が選ばれている。
 現在は上石神井寄りの仕事場を常用しているが、三宝寺池までン十秒という家(いまは長女が住んでいる)は、三宝寺池と丘の上の氷川神社がよくて購入したものだ。
 足ならしのウォーキングで朝や夕暮れどきに池の周辺を歩く。
 踏みしめる落葉と、風に舞い落ちる枯葉。そして、池のさまざまな鴨たちの声と水の音のさざめき。
 小うるさいテレビのバラエティ番組といわゆる〔ヤマ場CM〕のいやらしさを嫌っての三宝寺池周辺のウォーキングはいいなあ。
 きょうもカワセミの姿を見たよ。
 石神井三宝寺周辺でのキイワードは〔静寂〕と〔清聴〕でアル。
 わが人生のキイワードは〔快〕である。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:06 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第37回(通算147回)

「ミシュランガイド東京2008」だってさ
 あれこれ大さわぎしていたから、もうどうでもいいんですけどね。
 それにしても、皆さん、どうでもいいことに大さわぎするんですねぇ。
 かつてマスコミの仕事をしていた時代、大手広告代理店とか、大企業(大広告主)との仕事のカンケイで、とりあえず大仰な、また有名な料亭やレストランなどにも出入りしたものです。
 その場合、たいていはお招きを受ける立場にあったから(といってもモリヤとかいう輩とは異なり、当方が卑しくおねだりしたのではなく、きちんとしたビジネスの延長線上でのことというわけで)支払いの心配は不要だった。
 しかし、コース5万円とか7万円なんて常識はずれのケースはなかったね。で、あのミシュランの三ツ星とやらの店もまるっきり「見知らん!」わけではないが、個人としてはとてもじゃないがしょせんはまるで親しみなどもてなかったね。
 一食の代金が5万とか7万とか? 笑わせるんじゃねえよ…だね。
 だいたい、そういう店にたびたび出没するヤカラというのは、何かやましいんじゃないか? 仕事とか人生そのものとかさ。
 いくら三ツ星とかの〔美食〕といったって、食ってる人間が〔うす汚れている〕なんてお笑いだわね、まったくの話が。
 これもまた〔虚飾〕と〔虚栄〕と〔虚食〕のウツロな世界だよね。
 「ミシュラン三ツ星の店」なんて、こっちでパスしたい!

たとえば、こうこうのはどうかね?
 500円、750円、千円……せいぜい1500円という定額料理で、どんな楽しくおいしいメニューが楽しめるかをリサーチしてくれません?
 なにも、銀座・日本橋・神田……なんて所じゃなくていいからさ。
 街はずれの○○銀座商店街の裏道とか、新橋あたりのガード下とか……吉祥寺のハーモニカ横丁の路地の店とか……なんでもいいけど、まずはさりげなく分相応を心得ている店構えでさ。ほどほどの愛嬌とサービスで、とにかく「うん!」とうなづけるメニューを提供してくれる、誠実で真摯な見せをピックアップしておくんなさい。
 「ミシュラン東京2008」という本もバブル・セレブ族に売れたらしいけど、こちとらの本だって数では負けていないと思うよ。

 いま、日本人の、あるいは日本国全体の品格とか品性を問う声が盛んですけどね。やたら身分不相応の食い物に右往左往するのって、とったも卑しく貧しいのじゃないかねぇ。
 食べ物がおいしいか、まずいか――なんて、すべてこっちの問題じゃない? からだも心も健やかに、ほどほど幸せなヒトと食卓を囲めば、まずいものなんかないものね。



「パンさえあれば、たいていの悲しみに堪えられる」
―――セルバンテス「ドン・キホーテ」より




 昨日(12月5日)、二本の映画「ALWAYS/続三丁目の夕日」と「てれすこ/弥次さん喜多さん」を観る。これは取材。感想いろいろ。
 これはすなわち、おのれの仕事にとっかるためのいつもの〔プレ・アクション〕。
 ちょうど「実録大都映画」(新書版)の第一稿をあげたところだから、あの「大都映画」の制作システムのシンプルさと、現在のすべての映画のエンド・ロールの字幕にゾロゾロ……ワサワサ……わんさとスタッフ名や企業名が出てくることがやたら気になった。そう、〔時代〕が強いるわずらわしさを痛感したというコトだ。
 さて、今週はテアトルエコーの芝居と、もう一本、どんな映画を観ようか。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:28 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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