「社会&芸能・つれづれ愚差」第65回(通算175回)

じっくり読書とパラパラ読書

 なにしろ、古書店の倉庫のような資料の本とはひっきりなしのつきあいだから、休憩タイムはどうしても〔パラパラ読書〕になる。

 本日は「世界毒舌大辞典」(ジェーローム・デュメル著/吉田誠訳――大修館書店)をパラパラと。
 「父の日」に娘たちにプレゼントされたズブロッカ(ロシアのお酒)をなめながら。


●野心
「私は偉業をやってのけた。無から出発して悲惨などん底にたどり着いた」
(S・J・ベレルマン)


 ホリエ・ナントカ君をはじめ、ま、「一代の叩き上げ」といわれるおじさんたちの浅はかなドキュメントはイロイロあった。


●政治家
「良い政治家とは、未来を予言することができ、またそのあとで物事が予言したように進まなかったことをしっかりと説明することができる人間だ」
(ウィストン・チャーチル)


 コイズミ・アベ・フクダ……行きあたりばったり、口先だけの強引と右往左往。すべて選挙民が阿呆やからねぇ。


●人口
「出生率の低下が続けば、まもなく人気のない学校では、35人の教育者が児童1人のクラスを作るために議論するのが見られることだろう」
(ヴォランスキー)


 少子化は政治が劣悪であることの反証である。現在でもその貴重な児童たちをカビの生えた爺さんたち(たとえばトンチンカンな役人たちや教育委員会とやらの)が無責任にこねくり回しているものね。


●法律
「法律とは、大きな害虫はさっさと通りぬけ、小さなハエがつかまるクモの巣である」
(オノレ・ド・バルザック)


 自転車の駐輪では、ビシバシ罰金(保管料)を取る。
 でも、公金浪費の天下り役人などは野放しだし、それと……やめた!


●想像力
「人間は人を救うことよりも、殺すことに関してのほうがより豊かな想像力を持っている」
(フランシス・ピカピア)


 戦争商人、武器ビジネス。そしてそこに群れる欲の権化の無数のヤカラ。防衛省にかかわる利権と汚職と……地獄に続く一筋道。


●思想
「思想とはクツ下のようなものだ。ときどき取り替えねば臭くなる」
(アルフレッド・ジャリ)


 この場合の「思想」は「政権担当者」と置き替えたい。
 長期に居座った政党とそのヒモ付政治家は履き古したクツ下のように、例外なく臭い。


●医者
「待合室の植物が枯れている医者のところへは決して行くべきではない」
(エルマ・ボンベック)


 点滴を作り置くという違法の言い訳に「自宅には風呂もない……」と泣きながら弁明する医者がいた。病人が列をなしたという評判だったとか。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:48 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第64回(通算174回)

「御改革」という名の暴挙暴改
 文庫書き下ろしという時代小説を書いている。
 あるシリーズ物の三冊目で、あの俗物将軍こと11代徳川家斉の死去のあとの「水野忠邦の御改革」のウラ話をフィーチャーしながら。
 家斉は在位50年という居座り将軍で、その後も「大御所」として君臨して、12代家慶を操った。
 おべっか幕閣を周りにはべらせて勝手放題なことをした。
 なにしろ側妾40人ほどをおいて55人の子どもを作ったオットセイ男である。
 この男が死んだあと、水野忠邦が「改革」を声高に唱えて〔暴走〕する。この水野の尻馬にのって幕府批判などを弾劾するのが〔妖怪〕こと鳥居耀蔵とその一派。
 絵草子や洒落本などの物語に託して政治のデタラメを諷刺批判したとして多くの戯作者・絵師・出版元が狙われ潰される。
 一方、この天保という時代は天候不良や政治の拙さから飢餓飢饉の連続で農民一揆が続発している。
 幕府や公儀のデタラメさをそのままに何百というご倹約令と強硬取り締まり、そして年貢の強制と……それはヒドイ時代だった。
 いや待てよ「江戸の三大改革――享保の改革/寛政の改革/天保の改革」はどれもこれも、幕府及びその権力にからんでいた者たちの無能失策で失敗している――。



 つくづくと、しみじみと思う。
 現在の自公政権の長期居座りとまるで同じだというとこを。
 封建時代ならいざ知らず、民主主義の現今、こんな状況をスイッチ出来ない日本の選挙民って……何なの?

水と土と人間の暮らしと
 太古の昔から、人は水と土と、そして天の恩恵にあずかって生活してきた。
 その水と土と、そして天の豹変と叛乱と氾濫によっていま手酷い目に遭っている。
 自然を、地球をやみくもに苛めてきたことのツケが時々刻々と顕在化していると思えてならない。
 それでも、武器や爆薬を駆使して戦争という破壊行為に執心するヤカラがいる。
 人間ってふしぎな動物だなあ。

消費税アップと「生活者の目線」
 この二つのまったく相反することをぬけぬけと口にするフクダさん。
 官吏や役人たちの、また各省庁における浪費・濫費、さらに天下り役人OBらの管理無責任や横領窃盗と言える不正続発の現状を放置しておいて……どういうつもりだね?
 11代将軍家斉時代と同様の愚行ではないのかね?

「自殺10年連続3万人超」ということ
 とりわけ、「30代、高齢者、最多に」の事実を政治家たちはどう認識しているのか。
 30代の者の場合、「仕事疲れ、うつ病など」が原因というが、こうした経済事情と背中合わせの労働環境の劣悪化は、有無もなく政治家たちの無能によるものとしか言えない。
 だからといって「誰でもよかった無差別殺人」が正当化されることなど絶対にないが、日頃「フランス料理や高級ワインにいやされる」なんてうそぶくソーリ大臣にまっとうな施策を期待することはムリだね。

銀座の高級レストランやクラブのこと
 かつての商売(テレビ・広告などの仕事)で、おつきあいで銀座のあれこれの店に行ったが、とてもではないが、イヤだね。
 〔文壇バー〕などというのがあって、作家先生とかいう人種がバカ高いサケを食らい、女たちにチヤホヤされてやに下がっている。
 お粗末でクダラナイTV番組で荒稼ぎしている連中が図にのり、得意になって悪はしゃぎしているのを何度も散見した。
 昔も今も、下司下品な成り上がり者はゴキブリのようにウロウロしているのだ。



「虚栄は虚偽の産物である」
――――イギリスの思想家のカーライル




「政治家の資格の第一は、嘘をつくという意識や自覚のないままに、正々堂々と嘘言をのべるクソ度胸を有するかどうかだ」
――――本庄慧一郎


— posted by 本庄慧一郎 at 01:21 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第63回(通算173回)

好き・嫌いを言わない
 食べ物のこと。
 毎日の食卓に出されたものは、ていねいにきれいに食べる。
 幼い頃の「餓死か爆死か」の死線を彷徨した経験者に〔身に過ぎたぜいたくとわがまま〕は一切不要だ。

好き・嫌いを明言する
 政治及び政治家たちのこと。
 このHPでは何回もくり返して書いた。
 「巧言令色」――口先だけ、薄っぺらな言葉だけの者。現在の政治家たちのほとんどは、信じられない。嫌い。
 この人なら――というケースはもちろんあるが、マスコミはたいてい無視する。嫌いな奴の自信過剰顔は大キライ! と口に出して言う。

テレビメディアの情報について
 新聞・書籍・雑誌……などの政治・社会その他一般についての情報収集にこまめに努めているつもりだ。
 中ではことさらに〔押しつけがましい〕のはテレビだ。
 その番組の、その編成上の無神経さと荒っぽいさはほとんどビョーキだ。
 もちろん〔識別〕と〔選択〕、あるいは〔偽装〕と〔偽証〕を徹底して検証に努めるが、公共メディアとしての質の劣化は目に余る――!

コメンテーターという人種たち
 テレビという〔場所〕は、そこに居すわる人間をたいてい変質させる。
 ほとんど例外なく、いずれエラぶる、尊大になる、庶民づらしながらも趣味のわるいぜいたく三昧におぼれてゆく。
 かつて評論家大宅壮一は「テレビ総白痴化時代」を声を大にして言った。
 朝日新聞6月12日付文化欄「一億総博知化時代」とあった。
 元放送に携わっていた本庄慧一郎としては「一億総薄痴化への謀み」とつぶやく。

こんな予言があった
 アメリカの社会経済学者ジョージ・ギルダーは、1991年に著書「テレビの消える日」で、「在来型のテレビは、放送局が一方的に流す情報を受けとる端末に過ぎない。デジタル技術を駆使した多様な情報を蓄積・加工するコンピュータに駆使される」と予言している。
 番組やCMの〔悪ハシャギぶり〕の明日は――?

「歌わせたい人たち」のこと
 学校の職員会議での挙手・採択による教職員の意思確認の行為を禁ずる――という都教育委員会の通達。この通達を拒む都立三鷹高校の土肥信雄校長の〔たった一人のアピール〕に拍手。
 この〔通達〕はあきらかに反民主主義だろうが。
 東京都教育委員会のメンバーって?
 アナクロニズムというカビをまとった人たちって、まだまだ跳梁跋扈している。
 劇作家永井愛の「歌わせたい男たち」という戯曲読みました? 舞台観ました?

哀れだなあ。惨めだなあ。
 〔居酒屋タクシー〕と言うんだそうだ。官庁の役人の深夜帰宅を先手をうって顧客にするために個人タクシーのおっさんたちが、利用してくれる役人にビールや金券を手渡して売り上げ増進に努めているという。
 遊び呆けて深夜帰宅する役人は乗車地の六本木・赤坂などを「霞ヶ関」に変えて申告していたとか。ひたすら思う。
「人間って哀れだなあ。惨めだなあ」

水着を変えたら好記録が出たって
 内閣や政府の人や質を変えたら、きっと好結果が出るよネ。

やっぱりヘンだなあ、テレビは
 テレビ業界では、アノ船場吉兆のバアさんをタレントとして目をつけてるそうだ。
 大昔、オオヤマサコとか、すこし昔、ノムラサチヨなんてオールドレディがいたがね。
 近頃は、相撲評論家として、いえ社会評論家としてフジタノリコとか前大阪府知事とやらのオオタナントカなんてオバサンが得意顔でテレビにのさばっている。
 ま、男性のほうは、政治ヒョーロン家という三宅ナントカ、そして元代議士ハマコーとか、テレビ制作者のセンスというのはどうなっているのかね。
 あのヒガシコクバルという知事は、あれで知事の仕事になっているのかい。
 みのもんたについての週刊現代(6月21日号)の記事、読んだけどあのヒト「蛙のフェイスにオシッコ」のようです。エライ!
 もうひとつ、あのアベシンゾーさんをなんとかの相談相手に迎えたいというラジオ局もあるとかで、もうウンザリだねぇ。まったく何考えてんのかい?

まっとうな女性も大勢知ってますけど……
 松平健さんの新作(?)ハワイアンソングの振りに合わせて、客席で上半身でマネて踊るオバサンたちを見た。
 ヨン様に熱狂するレディたち。「キヨシ!」と叫ぶ中年女性軍団。そして……もういいや。

好きと嫌い
 物書きのハシクレとして三谷幸喜サンというヒトに好意をもっていた。が、まあ自作映画のPR映画のためとは言いながら……イヤハヤ、なんともデス。ゲームセンターの〔モグラ叩き〕のようにあちこちに顔を出している。

「山場CM」のイヤらしさ
 「秋葉原の殺傷事件」の報道番組で「この後すぐ」というスーパー出しておいて、バカCMをガンガン流していた。????? おい、いいかげんにしろよ!

— posted by 本庄慧一郎 at 01:29 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第62回(通算172回)

再見(チャイチェン)という中国語
 このところ、お葬式の通夜や、一周忌の故人を偲ぶ会などで献杯のスピーチを頼まれることが多い。
 それもこれもトシのせいだと認識しているが――。
 そのスピーチの際のしめくくりには、故人の遺影に向かい、参会者の皆さんとご一緒に「再見!」と唱和して頂いている。
 「再見」――またお逢いしましょう! ということである。

内田勝さんの訃報
 ある方の紹介で、内田勝さんにお目にかかったのは、04年の6月30日だった。
 新聞の訃報記事には「内田勝さん(ソニー・ピクチャーズエンターテインメント顧問、元「少年マガジン」編集長。73歳)」とある。
 65年に編集長となり「巨人の星」「あしたのジョー」「ゲゲゲの鬼太郎」などの劇画をヒットさせ、劇画ブームを牽引した方だ。
 お目にかかる日にはぼくは、自分の著作物(小説本)を何冊か持参して名刺とともに差し出した。
 スカイパーフェクテレビの「アニマックス」のスーパーバイザーとしての仕事をしておられ、現場をご案内してくれた。
 内田さんとは〔表現者〕としての話をあれこれさせて頂いた。
 その際、内田さんはご著書「〔奇〕の発想/みんな〔少年マガジン〕が教えてくれた」を下さった。
 トビラにはサイペンのカドのとれた明快な文字で「本庄慧一郎様 2004年6月30日/「虚空」の花を掴む。内田勝」とある。
 正直なところマンガや劇画なる表現物には一定のスタンスをもっている者だが、表現者としての内田さんの〔熱弁〕は傾聴した。
 50枚以上のシールが挟み込んである。精読した証である。
 実に行動範囲の広い方だった。
 「〔好奇心〕の発動は、日常の周辺に、一見何気なく隠されているものを顕在化することから始まるが、やがてそれは想定外の思考の地平へと自らをいざなってくれるものだ。」(295頁)など含蓄のあるコトバが随所にちりばめられている。
 このところぼくは、トシをとり心身が鈍化するもっとも顕著な徴候は「Reaction & Presentaion」能力が退化・消滅することだ――と自らにもくり返し言い聞かせている――。
 内田勝さんに心をこめて「再見!」と申しあげる。

声優広川太一郎さんのこと
 ぼくは民放ラジオのライターとしてスタートした。
 初期のラジオには話芸・話術に長けたタレントが大勢いた。
 本庄慧一郎の略歴書にも仕事でかかわった記憶にのこるその方たちの名前を記述しているが。
 広川太一郎さんとは、番組もCMも山のような仕事をした。
 たしか、集英社&浅田飴の提供の「歌の明星」(TBSラジオ/月4回でそのうち1回は公開録音)の司会(声優鈴木弘子さんとのカップル)までやらせた。
 このギョーカイには珍しく、また貴重なインテリである二人の気持ちや生活ペースを無視して「キャピキャピ・ムード」のギャグ連発の構成台本を書いた。
 太一郎さんの訃報を知って、鈴木弘子さんに電話したが「そうよねぇ、本庄さんには、太一郎クンともども、ずいぶんペースを乱されたわねぇ」と言われた。
 でも、広川太一郎さんは、トニー・カーチス、ロバート・レッドフォードのアテレコでもっぱら二枚目を担当していたが、その実は、ダジャレ大好き、ホントに真剣に大まじめにギャグを考えるヒトでもあった。
 「クールで禁欲的」と称され、あまりにも真剣に台本や企画に意見をのべるので、いいかげんなスタッフにはうとまれたようだったが。
 でも、ある日ぼくに広川太一郎さんは大まじめに言ったのダ!
 「本庄さんだったら、ぼくのマネージメント一任してもいいと思っている」と。
 享年69歳。若いね太一郎さん。「再見!」(08年3月3日没)

その故広川太一郎さんともろもろのこと
 05年に舞台脚本「大都映画撮影所物語」を書き、劇団テアトル・エコーが上演してくれて、好評をいただいた。
 それをきっかけにして「実録大都映画」を書かないかというオファーがあり、目下執筆中(9割方完了)だが。その「大都」に年間16作品を制作した監督をはじめ4人の叔父がいたのでアル!
 そして、カメラマンに広川朝次郎が活躍していた。
 太一郎さんのお父上である。
 太一郎さんと一度ゆっくりそのコトを話したいと思っていたが、ついに果たせなかったのだが。


 さてここで、私ごとになるのだが、この5月の5日にぼくの叔母小沢弥生が逝去した。
 小沢弥生は、戦前の新宿ムーランルージュで当時のアイドル・明日待子などと共に舞台で踊り、芝居をしていたチャーミングなレディで、叔父の劇作家小沢不二夫と昭和17年に結婚したのである。
 この叔母小沢弥生の葬儀の折、病床の枕元のメモに「広川順子」のお名前と電話番号が記されているのを見た。
 広川順子さんは太一郎さんの母上で、もちろん朝次郎さんの奥様である。叔母弥生とは新宿ムーランルージュで同じ舞台に立っていたのだ。
 この縁(えにし)の糸は大都映画と新宿ムーランルージュに収斂されるのを、あらためてしみじみ思った。
 ぼくは(「東京新聞の〔わが街わが友〕2月にも書いたが)、学校などほったらかしにして、叔父小沢不二夫に「弟子入り」して物書きの仕事を始めたので、叔母弥生とのかかわりもふかく、数年間は三人のイトコ(小沢公平・有美・夢生)たちともども家族のように過ごした。
 この叔母弥生の通夜の席で献杯のスピーチをさせてもらったが、ぼくはイトコの有美(女優の水沢有美)さんに、「リンゴ追分」(有美の父で弥生のパートナーの小沢不二夫作詞)を歌ってほしいとリクエストした。だらしなく泣けて……でも、なんとか「再見!」とあいさつした。



「友よ、ああ暫くのお別れだ。おっつけ僕から訪ねよう」
(三好達治――梶井基次郎の死に際してのコトバ)

— posted by 本庄慧一郎 at 12:52 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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