2008年師走のメモランダム
1970年代、民放ラジオの構成作家本庄一郎として、ニッポン放送・TBSラジオで、さまざまな仕事をさせてもらっていた。
たとえば〔そこで、ズッシリと重い「TBS50年史」の頁をめくる〕TBSラジオのデータでは、集英社・浅田飴提供「歌の明星」という番組。
司会は山内賢・松平マリ子。
つい先日、テレビで、闘病生活を強いられている山内賢さんのことを知った。
東芝レコードの宣伝部の行動派としてギョーカイで〔有名〕だった大谷信夫氏の仕事を手伝っていて、ビートルズをはじめ、ベンチャーズやキングストン・トリオやPPMやアダモや、それから、フォーククルセダースや……水原弘や黛ジュン……それに若き日の染五郎(現幸四郎)のロックバンドの「野バラ咲く道」などに、モップス(鈴木ヒロミツ?)やハプニングスフォー(クニ河内)などなど、それはシゲキ的で楽しいモノだった。
山内ケンちゃんは和泉雅子とのデュオでベンチャーズの曲「二人の銀座」のヒットを放ち、そのPRにもひと役買った。
小生もギレンバレー症候群亜型ミラーフィッシャー症候群なんて疾病にかかり(3年前)、でもなんとか100%と復活しました。
「コンチクショー!」の気持ちで、山内賢さん、病気を克服して下さい!
ベテランの声優鈴木弘子さんとは、つい先頃亡くなった広川太一郎さんとのペアの司会者として「歌の明星」の公開録音などもやったなあ。
「日曜ワイドラジオTOKYO/プロムナードS」(SEIKO提供――ディレクター加藤茂樹さん&岡本安正さん)も品格のあるいい番組だった。
城達也といえばTOKYO・FMの「ジェット・ストリーム」の語りがある。このTBSラジオの番組のオープンングは毎回――
時はゆっくりと流れる
またかすかにみじろぎをする
このフレーズでの季節の散文詩を書いた。
城達也さんにはテレビCMのナレーションもあれこれやってもらったけど……ゴルフの腕は超一流で趣味は乗馬……なんて城さんには、気の利いた趣味のない小生はとても太刀打ちできなかった。その城さんも故人になってしまった。
それから、戦後の歌声喫茶(酒場?)でのリーダーだった上條恒彦さんとも(確かコカコーラと資生堂の提供だった?/担当は加藤茂樹さん)楽しい番組「上條恒彦そして歌」(だったか?)の構成をした。
この番組でもオープニングに、上條さんの男性的でセクシーなあの声で毎回「資生堂MG5」で結ぶ「男の詩」を書いたっけ。
その時のコピーが資料ダナにそっくり残っていた。
上條さんとは、3年前に麻生芳伸さん(フリーのプロデューサー)が急逝された時の追悼会でお目にかかりお話をした。
麻生芳伸さんはユニークな人で、「ぜひ桂小金治さんを再び高座に」という主旨で、あれこれ画策したが、ガンであっという間に亡くなった。
でも1周忌には、中野区沼袋の呉服商山田屋さんの大広間で「麻生芳伸さん追悼落語会・八十歳桂小金治の会」を麻生さんの親友――木村聖哉・志田盛弘 ・青木英明の諸氏の協力で具体化した。大広間も、その後の追悼会も超満員だった。麻生芳伸さんの命日は(2005年12月31日)
でもこの企画にもっとも積極的だった山田屋さんの社長の西村重博さんが会の開催を待たずに逝去されて……。そのショックは永遠に忘れないだろう。ご命日は(2007年3月2日)
本日の新聞によると作家早乙女貢さんと劇団民芸の演出家若杉光夫さんの訃報がのっていた。
早乙女さんは、現在の小生の時代物を書く仕事の先輩で82歳。若杉さんは、小生の師、劇作家三好十郎さんの「ゴッホ小伝・炎の人」(滝沢修)など、いくつもの三好作品を舞台化した劇団民芸の方で86歳。
笹沢佐保さんの名作「木枯し紋次郎」のさし絵などを描かれた故小林秀美画伯は、小説家としては〔一周遅れ〕の本庄慧一郎に心底やさしく温かく励ましてくれて、その小林秀美先生がよく「本庄さんのうしろ姿は早乙女貢にそっくりだねぇ」とおっしゃっていたが。その早乙女貢先輩とはパーティなどではお会いしているものの、ゆっくりお話するチャンスがなかった。
先輩お二方に思いをはせて、心からご冥福を祈ります。
とんでもない年の暮れになりました。
契約社員などの理不尽な扱いが顕在化している。
理不尽な政治と社会――。
折しもかの「天下りダニ」とかその「渡りネズミ」が今年度は「過去最多の590人」とある。
役人OBの中の〔恥知らず人種〕たちよ。それを擁護する同族政治家たちよ! ああ、バチあたりな奴ら。肚が立つ年の暮れ。
P・S
そういえばTBSラジオは「子ども電話相談室」というオビ(毎日)の番組があった。(現在は日曜日AM9:00〜)
当時、出版の集英社提供で、小生は広告代理店・昭和通信社の依頼で大量のCM制作(企画・コピー・ディレクション)した。
そして ♪こどもの本の集英社〜
というサウンドロゴを制作したり、「少年ジャンプの歌」(歌 熊倉一雄/作曲 玉野良雄)で制作プロデュースした。
ラジオCMは毎日替わりだったので、何種類も制作したが、愛川欽也さんにギャラを値切って出演してもらった。
いま、その集英社と物書きとしてかかわりができた。
すでにこのHPでお知らせした
集英社新書「幻のB級! 大都映画がゆく」本庄慧一郎著(2009年1月発売)
である。
PSのPS
人と人のつながりは縁であり、絆である。
TBSラジオでも(!)まじめに仕事をした……と思う。
小生のような仕事を「つねに潜在失業者のようなもの」と言ってきたが、とにかくマジメ・まじめ・真面目でやってきて何とか飢えずに暮らしてきた。
まじめに働く人間をないがしろにする政治も社会も……許せないね。
まじめに働く人たちにも、しあわせと安心が公平に行きわたる社会にしましょう!
「社会&芸能・つれづれ愚差」第90回(通算200回)
2008/12/20
本庄慧一郎の年の瀬のマトはずれ妄想語
内閣支持率16・7%と12月20日の東京新聞/カエルの面にオシッコの面々ウロチョロ/でもまだ支持する者がいるフシギ!
ジャンプの浅田/表現力のキムヨナ/失策ばかりの麻生ソーリ。
汚染米発覚後も/カビのはえた米を売っていたって/脳衰小?。(農水省)
ケイタイ電話で3時間だって/発育期のマトモな好奇心を歪めた子どもたちよ/カワイソーだなあ。
寄らば大樹と言ってきたけど/米国ビック3もトヨタ・日産・ホンダもガタガタだってさ/大樹の根腐れはただ情けないなぁ。
イラクの会見の席でクツを投げられたブッシュ/世界を振り回した8年/このクツ辱(!)にニヤニヤしている鈍感さよ/あのクツを9億円で買いたい人がいて。
若者の地元志向と消えた東京へのあこがれだって/それでいいのダ/生まれ在所を大切にして親孝行と先祖の墓参りだよ。
景気低迷でCM出稿落ち込みキビシイ/日本テレビの社長の談/せっかくの良心的ドラマも騒々しいだけのCMで分断する局の主体性ゼロの鈍感さ/ただ呆れているよ。
局の経費節減・利益第一主義は強化される/従来の下請けプロダクションいじめは加速する/番組の劣化も加速して……それでさらにマトモな視聴者は離れるね。
「修学旅行をビジネスにフジテレビ」だって/儲かるなら何でもやるハイエナ商法/ボクずっと昔「ママと遊ぼうピンポンパン」という番組の構成担当していたけど……ああ、振り向けばさみしい風の音ばかり。
週刊新潮の丸山タケシの「TV無法地帯」とか/中公新書ラクレ小田嶋隆の「テレビ救急箱」とか読むけど、オモシロイなあ/とりわけ「テレビ救急箱」のオビのコピー「テレビよ、おまえはもう死んでいる……」は効いている/落語に行き倒れになった自分の死体にウロウロする男のハナシがあったでしょ。フフフ。
テレビのバラエティとかクイズ番組ってアレ何?/そこへ宝クジのニシダトシユキの悪ハシャギCMの乱入/作っているヤツも出ている者も哀れだなあ。
〔フリーの物書き〕なんてもともと期間工や派遣社員同様に不安定な生活を強いられている。でもね、いやさ、だからこそ、のべつおのれの明日を考えている――。
あいかわらず書き下ろし時代小説文庫はせっせと書くけれど、今回初めて新書版をまとめるチャンスに恵まれた。
そのほか、現在進行形の出版企画二つ。新しい春は忙しいぞ。
それと、何とか時間をさいて、舞台脚本もどうしても書きたいテーマふたつ。
クリスマスも年の瀬のバカ騒ぎも、こちとら大嫌いなもので、まったく仕事バカでスイマセン!
内閣支持率16・7%と12月20日の東京新聞/カエルの面にオシッコの面々ウロチョロ/でもまだ支持する者がいるフシギ!
ジャンプの浅田/表現力のキムヨナ/失策ばかりの麻生ソーリ。
汚染米発覚後も/カビのはえた米を売っていたって/脳衰小?。(農水省)
ケイタイ電話で3時間だって/発育期のマトモな好奇心を歪めた子どもたちよ/カワイソーだなあ。
寄らば大樹と言ってきたけど/米国ビック3もトヨタ・日産・ホンダもガタガタだってさ/大樹の根腐れはただ情けないなぁ。
イラクの会見の席でクツを投げられたブッシュ/世界を振り回した8年/このクツ辱(!)にニヤニヤしている鈍感さよ/あのクツを9億円で買いたい人がいて。
若者の地元志向と消えた東京へのあこがれだって/それでいいのダ/生まれ在所を大切にして親孝行と先祖の墓参りだよ。
景気低迷でCM出稿落ち込みキビシイ/日本テレビの社長の談/せっかくの良心的ドラマも騒々しいだけのCMで分断する局の主体性ゼロの鈍感さ/ただ呆れているよ。
局の経費節減・利益第一主義は強化される/従来の下請けプロダクションいじめは加速する/番組の劣化も加速して……それでさらにマトモな視聴者は離れるね。
「修学旅行をビジネスにフジテレビ」だって/儲かるなら何でもやるハイエナ商法/ボクずっと昔「ママと遊ぼうピンポンパン」という番組の構成担当していたけど……ああ、振り向けばさみしい風の音ばかり。
週刊新潮の丸山タケシの「TV無法地帯」とか/中公新書ラクレ小田嶋隆の「テレビ救急箱」とか読むけど、オモシロイなあ/とりわけ「テレビ救急箱」のオビのコピー「テレビよ、おまえはもう死んでいる……」は効いている/落語に行き倒れになった自分の死体にウロウロする男のハナシがあったでしょ。フフフ。
テレビのバラエティとかクイズ番組ってアレ何?/そこへ宝クジのニシダトシユキの悪ハシャギCMの乱入/作っているヤツも出ている者も哀れだなあ。
〔フリーの物書き〕なんてもともと期間工や派遣社員同様に不安定な生活を強いられている。でもね、いやさ、だからこそ、のべつおのれの明日を考えている――。
あいかわらず書き下ろし時代小説文庫はせっせと書くけれど、今回初めて新書版をまとめるチャンスに恵まれた。
集英社新書「幻のB級!大都映画がゆく」09年1月15日発売。
そのほか、現在進行形の出版企画二つ。新しい春は忙しいぞ。
それと、何とか時間をさいて、舞台脚本もどうしても書きたいテーマふたつ。
クリスマスも年の瀬のバカ騒ぎも、こちとら大嫌いなもので、まったく仕事バカでスイマセン!
— posted by 本庄慧一郎 at 02:37 pm
「社会&芸能・つれづれ愚差」第89回(通算199回)
2008/12/13
吉祥寺はいまでも好きな街である。
放送作家としてなんとかギャラをもらえるようになった1955年後半の頃、吉祥寺の〔ハモニカ横丁〕に通った。
戦後のブラックマーケットそのままのバラック小屋がひしめく一角だった。
アストリアという名のカウンター10人で満杯というバーがあった。
マスターはいまでいうイケメンで、やたらジャズに詳しく、同時に街では肩肘張った若い男たちを従える兄貴分だった。
店は彼の母親と奥さんと。そして高校生だった妹さんでやっていて。いつも賑わっていた。とくにアテのないぼくもときどき顔を出した。
ママさんの話の中に、「エンちゃんという流しがいてね。いまは有名な作曲家になったけど……」という話があった。エンちゃんという流しは08年12月6日に逝った遠藤実さんのことだった。
流しのエンちゃんは、吉祥寺、西荻あたりを毎晩きめこまかく歌って歩いていた頃に、ママさんはおにぎりをそえて水割りなどを「出世払いでいいよ」とせっせとご馳走してやったという。
――で、当時、放送ライターをしていたTBSラジオのナマ番組の歌謡曲ワイドで(タイトルは忘れた。司会は鈴木治彦アナウンサーか山本文郎アナウンサーだった)ご対面の企画をし、ゲストに遠藤実さんを招いた。そして頃合いを見計らっての〔ぶっつけ本番〕でアストリアのママさんとのご対面というコトになった。
たしか10余年ぶりだったか、千昌夫の「星影のワルツ」が出てすぐの頃だった。
そうでなくても遠藤実さんは感激屋だった。ご対面は、それはドラマチックに熱っぽく盛り上がった。
かつて西荻の遠藤さんの祖末な下宿屋の小部屋には、センベイぶとんと故郷新潟から持って来た黒い大きなトランクひとつしかなかったが、朝起きるとふとんの裾に雪が積っていたこともあったとか。そのボール紙製のようなトランクは、お日さまに乾かすとそり返ってフタがしまらなくなって……と、彼の懐旧談にママさんも目に涙して聞いた。
「その時のおにぎりと水割りの味は忘れていない」という彼は、新曲「星影のワルツ」をギターの弾き語りでしみじみ歌った。
ママさんがポロポロ泣き、遠藤さんも泣きながら歌い、スタジオがしんみりと聴き惚れ、熱い拍手をした。
直後、ボクトツな新人千昌夫クンが「千昌夫デス!『星影のワルツ』よろしくおねがいします!」とあいさつに現れた。
その後、新宿南口、文化服装学院前のあたりにあったミノルフォン・レコードのスタジオに招かれたこともあったがあれから何年……。遠藤実さん、享年76歳。
いまでも、ぼくはカラオケで「ぜひ!ぜひ!」と言われると、「星影のワルツ」と、叔父小沢不二夫作詞の「リンゴ追分」とそれからフランク永井の「君恋し」を(イヤイヤながら!)歌う。
それでも許してもらえない時には藤山一郎の「三日月娘」を歌う。
つい先日は、徳間書店の岩渕徹社長に銀座で久しぶりにお目にかかれた。
岩渕社長とは、徳間書店「問題小説」に本名望田市郎で時代小説を何作品か載せてもらったいきさつがあるのデス。
「いまの本庄慧一郎があるのは岩渕徹社長のおかげなのデス」と素直にアタマを下げます。
岩渕徹サンが歌う「白い花の咲く頃」が好きです。
話はソレましたが、歌がつなぐ思い出のアレコレを書かしてもらいました。
放送作家としてなんとかギャラをもらえるようになった1955年後半の頃、吉祥寺の〔ハモニカ横丁〕に通った。
戦後のブラックマーケットそのままのバラック小屋がひしめく一角だった。
アストリアという名のカウンター10人で満杯というバーがあった。
マスターはいまでいうイケメンで、やたらジャズに詳しく、同時に街では肩肘張った若い男たちを従える兄貴分だった。
店は彼の母親と奥さんと。そして高校生だった妹さんでやっていて。いつも賑わっていた。とくにアテのないぼくもときどき顔を出した。
ママさんの話の中に、「エンちゃんという流しがいてね。いまは有名な作曲家になったけど……」という話があった。エンちゃんという流しは08年12月6日に逝った遠藤実さんのことだった。
流しのエンちゃんは、吉祥寺、西荻あたりを毎晩きめこまかく歌って歩いていた頃に、ママさんはおにぎりをそえて水割りなどを「出世払いでいいよ」とせっせとご馳走してやったという。
――で、当時、放送ライターをしていたTBSラジオのナマ番組の歌謡曲ワイドで(タイトルは忘れた。司会は鈴木治彦アナウンサーか山本文郎アナウンサーだった)ご対面の企画をし、ゲストに遠藤実さんを招いた。そして頃合いを見計らっての〔ぶっつけ本番〕でアストリアのママさんとのご対面というコトになった。
たしか10余年ぶりだったか、千昌夫の「星影のワルツ」が出てすぐの頃だった。
そうでなくても遠藤実さんは感激屋だった。ご対面は、それはドラマチックに熱っぽく盛り上がった。
かつて西荻の遠藤さんの祖末な下宿屋の小部屋には、センベイぶとんと故郷新潟から持って来た黒い大きなトランクひとつしかなかったが、朝起きるとふとんの裾に雪が積っていたこともあったとか。そのボール紙製のようなトランクは、お日さまに乾かすとそり返ってフタがしまらなくなって……と、彼の懐旧談にママさんも目に涙して聞いた。
「その時のおにぎりと水割りの味は忘れていない」という彼は、新曲「星影のワルツ」をギターの弾き語りでしみじみ歌った。
ママさんがポロポロ泣き、遠藤さんも泣きながら歌い、スタジオがしんみりと聴き惚れ、熱い拍手をした。
直後、ボクトツな新人千昌夫クンが「千昌夫デス!『星影のワルツ』よろしくおねがいします!」とあいさつに現れた。
その後、新宿南口、文化服装学院前のあたりにあったミノルフォン・レコードのスタジオに招かれたこともあったがあれから何年……。遠藤実さん、享年76歳。
いまでも、ぼくはカラオケで「ぜひ!ぜひ!」と言われると、「星影のワルツ」と、叔父小沢不二夫作詞の「リンゴ追分」とそれからフランク永井の「君恋し」を(イヤイヤながら!)歌う。
それでも許してもらえない時には藤山一郎の「三日月娘」を歌う。
つい先日は、徳間書店の岩渕徹社長に銀座で久しぶりにお目にかかれた。
岩渕社長とは、徳間書店「問題小説」に本名望田市郎で時代小説を何作品か載せてもらったいきさつがあるのデス。
「いまの本庄慧一郎があるのは岩渕徹社長のおかげなのデス」と素直にアタマを下げます。
岩渕徹サンが歌う「白い花の咲く頃」が好きです。
話はソレましたが、歌がつなぐ思い出のアレコレを書かしてもらいました。
— posted by 本庄慧一郎 at 01:12 pm
「社会&芸能・つれづれ愚差」第88回(通算198回)
2008/12/6
08年11月〜12月の思いつきメモランダム
・映画
11/2(日)Tジョイ大泉「おくりびと」
よく出来た作品だ。遺体を棺に納める際の、一切のめんどうを見る納棺師の男、二人を主人公にしたユニークなハナシ。
そのうちぜひ書きたいと思っていた材料だった。すでに関係資料は山のように集めていたので、興味をもって観た。
主人公を本木雅弘。先輩の納棺師を山崎努が演ずる。
〔特殊〕な素材を〔普遍化〕した手練はお見事。(監督滝田洋二郎)
でもネ……オレはオレで、この素材でコメディを書くぞ!と、意気込む。
11/23(日)浅草中映劇場「したまちコメディ映画祭第一回」
小沢昭一特集「野坂昭如のエロ事師たち」より「人類学入門」。なにしろ、〔半世紀の小沢昭一ファン〕と唱えている小生だから「ゲストトークあり」となればゼッタイ出かける。それに久しぶりの浅草。地下鉄田原町階段入口の¥350の焼きそばを食べ、六区中映劇場トナリの居酒屋でショーチュー2杯。やきとり。同じテーブルにいた先客のオジサンは元映画看板絵描さんとかで、うまや橋きわ生まれだった。あえて(!)ワイフをつき合わせる。
で、「エロ事師たち」は主演小沢昭一さん。大のつく熱演。
最近のワルフザケ・コメディとは異なり、重低音に〔人間の悲哀〕の心にしみる音が響いている作品だ。
小沢昭一さんにごあいさつ、小生とワイフと三人の写真を撮らせてもらう。
戦前のB級大都映画については、2年前に劇団テアトルエコーに脚本を書いて上演。小沢昭一さんにもおほめのお葉書きも頂いた。そしてこのところ一年がかりで新書版「実録B級三流大都映画」をまとめ、目下、大詰めの整理中。
小沢昭一さんにはオビのお言葉を頂くことになっているのデス。
・11/21(金)シネマート銀座試写室「三十九枚の年賀状」
製作・監督・脚本/図師三千男。図師さんは小生がコマーシャルにかかわっていた時のお仲間でディレクターとしてさまざまのCMを演出した人。
その図師さんが劇映画に取り組んだ第1作目だ。 太平洋戦争の敗戦も近い九州宮崎でのひとりの少女と負傷した若い兵士のこころのふれ合い――その四年後の再会をふくめた〔平和を願う映画〕である。
あのマスコミの仕事をしていた時代、小生も図師さんも「無署名の仕事」をしていた。正直、あまり本心で喋ることがなかった。親しげにしていたギヨーカイ仲間は多かったが、結局はウワベだけのいいかげんなつきあいだったのだ。
図師さんのお人柄には好感を持っていたが、この〔監督作品〕で初めて〔図師三千男の肚の底の思い〕がそっくり解ったように思った。
広告・CMギョーカイにはいろいろな人がいた。いまはほとんどおつきあいはないが、図師さんのような人とはこれからも仲良くしていきたいと思う。
この映画、大いにアピールするといいなぁ。09年から全国公開だとか。応援したい。皆さん映画「三十九枚の年賀状」ぜひ観て下さい。
・11/25(火)Tジョイ大泉「私は貝になりたい」
オリジナルのテレビドラマも観た。フランキー堺主演の映画(東宝1959年)も観た。橋本忍先輩の文句のない力作・名作である。
で、今回の作品――とにかくざっと60年前の作品のリメーク。
こういう企画に挑戦するスタッフの皆さんにまず拍手!
でも、若い人たちが観に来てくれないと――そう熱く願っています。
でもね、ひとつ、あの音楽のことだけど、曲のイメージよりもなによりも、なんでガンガン押しつけがましく聴かせようとするのかね。イライラする。とにかくウルサイ。
広告のフレーズに「静かで強い」というフレーズがあったけど、これでもかの音楽の押しつけはダレのせいかね? こまかいことはともかく、あの無神経さは文字どおり「画竜点睛を欠く」だよ。
・映画
11/2(日)Tジョイ大泉「おくりびと」
よく出来た作品だ。遺体を棺に納める際の、一切のめんどうを見る納棺師の男、二人を主人公にしたユニークなハナシ。
そのうちぜひ書きたいと思っていた材料だった。すでに関係資料は山のように集めていたので、興味をもって観た。
主人公を本木雅弘。先輩の納棺師を山崎努が演ずる。
〔特殊〕な素材を〔普遍化〕した手練はお見事。(監督滝田洋二郎)
でもネ……オレはオレで、この素材でコメディを書くぞ!と、意気込む。
11/23(日)浅草中映劇場「したまちコメディ映画祭第一回」
小沢昭一特集「野坂昭如のエロ事師たち」より「人類学入門」。なにしろ、〔半世紀の小沢昭一ファン〕と唱えている小生だから「ゲストトークあり」となればゼッタイ出かける。それに久しぶりの浅草。地下鉄田原町階段入口の¥350の焼きそばを食べ、六区中映劇場トナリの居酒屋でショーチュー2杯。やきとり。同じテーブルにいた先客のオジサンは元映画看板絵描さんとかで、うまや橋きわ生まれだった。あえて(!)ワイフをつき合わせる。
で、「エロ事師たち」は主演小沢昭一さん。大のつく熱演。
最近のワルフザケ・コメディとは異なり、重低音に〔人間の悲哀〕の心にしみる音が響いている作品だ。
小沢昭一さんにごあいさつ、小生とワイフと三人の写真を撮らせてもらう。
戦前のB級大都映画については、2年前に劇団テアトルエコーに脚本を書いて上演。小沢昭一さんにもおほめのお葉書きも頂いた。そしてこのところ一年がかりで新書版「実録B級三流大都映画」をまとめ、目下、大詰めの整理中。
小沢昭一さんにはオビのお言葉を頂くことになっているのデス。
・11/21(金)シネマート銀座試写室「三十九枚の年賀状」
製作・監督・脚本/図師三千男。図師さんは小生がコマーシャルにかかわっていた時のお仲間でディレクターとしてさまざまのCMを演出した人。
その図師さんが劇映画に取り組んだ第1作目だ。 太平洋戦争の敗戦も近い九州宮崎でのひとりの少女と負傷した若い兵士のこころのふれ合い――その四年後の再会をふくめた〔平和を願う映画〕である。
あのマスコミの仕事をしていた時代、小生も図師さんも「無署名の仕事」をしていた。正直、あまり本心で喋ることがなかった。親しげにしていたギヨーカイ仲間は多かったが、結局はウワベだけのいいかげんなつきあいだったのだ。
図師さんのお人柄には好感を持っていたが、この〔監督作品〕で初めて〔図師三千男の肚の底の思い〕がそっくり解ったように思った。
広告・CMギョーカイにはいろいろな人がいた。いまはほとんどおつきあいはないが、図師さんのような人とはこれからも仲良くしていきたいと思う。
この映画、大いにアピールするといいなぁ。09年から全国公開だとか。応援したい。皆さん映画「三十九枚の年賀状」ぜひ観て下さい。
・11/25(火)Tジョイ大泉「私は貝になりたい」
オリジナルのテレビドラマも観た。フランキー堺主演の映画(東宝1959年)も観た。橋本忍先輩の文句のない力作・名作である。
で、今回の作品――とにかくざっと60年前の作品のリメーク。
こういう企画に挑戦するスタッフの皆さんにまず拍手!
でも、若い人たちが観に来てくれないと――そう熱く願っています。
でもね、ひとつ、あの音楽のことだけど、曲のイメージよりもなによりも、なんでガンガン押しつけがましく聴かせようとするのかね。イライラする。とにかくウルサイ。
広告のフレーズに「静かで強い」というフレーズがあったけど、これでもかの音楽の押しつけはダレのせいかね? こまかいことはともかく、あの無神経さは文字どおり「画竜点睛を欠く」だよ。
— posted by 本庄慧一郎 at 01:31 pm