「社会&芸能・つれづれ愚差」第100回(通算210回)

懐かしの昭和ヒット歌謡・アテコスリ集

「酒は涙か溜め息か」――昭和6年/歌・藤山一郎

「政治は嘘かマヤカシか」――いいかげんにしろッ!



「わたしこの頃憂うつよ」――昭和6年/歌・淡谷のり子

「これじゃ日本は泥船よ」――作詞宮本無能・作曲佐々木無策



「夢よもう一度」――昭和23年/歌・奈良光枝

「お前二度と出てくるな」――鉄面皮というコトバを知ってるかい?



「遊侠の群れ」――昭和24年/歌・小畑実
   
「我利我利亡者の群れ」――コセコセした掛け引きばっかりだ!



「銀座カンカン娘」――昭和24年/歌・高峰秀子

「国会バカボンじじい」――♫これが日本のバカボンじじい〜



「娘十九はまだ純情よ」――昭和27年/歌・コロンビアローズ

「ムスメ19はまだ?よ」――あの……エンリョしておきますデス。



「吹けば飛ぶよな」――昭和29年/歌・若原一郎

「吹けば飛ぶよな」――そのワリにしつこいねぇ、あんた!



「ご機嫌さんよ達者かね」――昭和30年/歌・三橋美智也

「ゴキゲンサンヨ タッシャカネ?」――いまどき愚問だろ!



「赤と黒のブルース」――昭和30年/歌・鶴田浩二

「赤ばっかりの決算書」――のぞくなって!バカヤロ!



「明日は明日の風が吹く」――昭和33年/歌・石原裕次郎

「行き当たりバッタリじゃ生きられねぇ」ユーちゃん、時代は変わったぜ!



「だから言ったじゃないの」――昭和33年/歌・松山恵子

「なんでそんなに鈍なのよ」――あんなコイズミが支持率70%だったなんてサ。



「嫌い嫌い嫌い」――昭和35年/歌・松尾和子

「ほかに言うこと何もない」――あんた、ホントに図々しいのね!



「浅草の鳩ポッポ」――昭和35年/歌・こまどり姉妹

「国会の阿呆ポッポ」ふぅ〜(ワインと風邪グスリとゴックンしたぞ)

— posted by 本庄慧一郎 at 02:28 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第99回(通算209回)

本庄慧一郎のヒネクレ格言集

 1杯、人は酒を飲み、2杯、酒は酒を飲み、3杯、酒は人を飲む。
――――「法華経」


 1杯、人は酒で調子に乗り、2杯、人は酒でモーローとし、3杯、人は酒で大臣の椅子を転げ落ちる
――――本庄慧一郎





 酒は薬の代わりになるも、薬は酒の代わりにならない。
――――張潮(中国の文人)


 お札はトイレットペーパーの代わりになるも、トイレットペーパーはお札の代わりにならない。
――――本庄慧一郎





 猿をオリの中に閉じ込めておくと豚のように鈍重になる。
――――「韓非子」


 無能な役人に札束をたっぷり与えておくとヤギのようにむさぼり食う。
――――本庄慧一郎





 やさしい言葉で、相手を征服できないような者は、きつい言葉でも征服できるわけがない。
――――チェーホフ


 いくら言葉を飾っても、いかがわしいウソがまじっていては、やたら悪臭を放つばかりだ。
――――本庄慧一郎





 天才とは、1パーセントのインスピレーションと99パーセントの汗の努力を惜しまぬ者のことだ。
――――エジソン


 政治家(及び役人)とは、1パーセントの誠意と99パーセントの悪ヂエと旺盛な欲を隠し持った者のことだ。
――――本庄慧一郎





 急いで結婚すると、やがて退屈に苦しむ。
――――コングレーヴ(英国の劇作家)


 急いで結婚すると、掃除・洗濯・料理・育児のベテランになれる。
――――本庄慧一郎





 やがて、沈没する船からは、ネズミはさっさと姿を消すという。
 わが日本丸の場合は、アタマ(と腹)の黒いネズミがさっさと姿を消すどころか、ロクにありもしないチエ(もともとネズミの頭は小さく、脳などはないらしい)を絞ってバタバタとウロウロと狂乱しているネ。





・閑話休題(それはさておいて)
 どこやらの店でおみやげ用にと売っているまんじゅうで、(麻生)タローまんじゅうが74パーセントで(小沢)イチローまんじゅうが26パーセントとかの売上げなんですと。
 モノを買うヘンな人たちがいるんだねぇ!

— posted by 本庄慧一郎 at 02:09 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第98回(通算208回)

本庄慧一郎のひとり合点メモランダム
 ヨレヨレで、ウロウロの麻生ソーリが、小泉サンをあらためて「変人奇人」とコキおろした。それで小泉サンが「怒るより笑っちゃうね」と突っぱねた。コチトラ、思わず呟いたね。
「目クソ鼻クソがケンカしてらぁ。お前さんたち、ヒマ人クラブのメンバーかい?」



 1月24日の朝日新聞をひっくり返す。
 「今の日本の首相にしたい戦国武将は?」というアンケート記事があった。サンプル数は9344人だというけどもサ。
 第1位が「織田信長」だってさ。回答者はいったいどんなヒトなのかね。
 あの男、まぎれもなくジェノサイト――つまり、大量虐殺者だろ。もっと言えば「組織的・計画的に行われる大量殺りくのこと」だ。
 そりゃあ、少しはいいコトもやっているけど(楽市楽座などで経済の自由化を促したりとか)でも、気に入らぬ者は、テッテイして殺したのダ。
 作家藤沢周平氏は書いているよ。
 「嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要もなく、信長が行った殺りくひとつあげれば足りるように思う」(「信長ぎらい」文春文庫)
 小泉サンをはじめ「オレは織田信長」と気取るヤカラは多いが、とんでもない。あの信長のジェノサイトを容認する奴は許せないぜ。



 「東京五輪招致」躍起になっているイシハラ氏。
 支持賛成70%だって?どうしてそういう数字が出るのかい。
 いまの社会、先に手当てすることはいくらもあるだろうがさ。
 モノには順序というものがある……と書きながら、とてもあのヒトにはついていけないと、肚立ちにまぎれに呟く。



 2月13日夜半から14日朝にかけて強風。ナマヌルイ風を春一番というらしい。でも現在、社会を吹き晒している荒っぽい風は、まじめに働く人たちの暮らしを揺さぶり立てている。
 春一番どころか、不吉風暴れる……ということだ。
 富士山のふもとの青木ヶ原に、自殺者がやたら入り込むとか。
 毎年、自殺者3万人あまり。公平とか平等とか関係のない狂った社会よ。



 ハドソン川に不時着する旅客機あれば、住宅地に突っ込み炎上するヒコーキあり。
 アソー内閣は空中分解しそうだね。どいつもこいつも信用できねぇ!



 「かんぽの宿」の件のうさん臭さ。いや、自民政権下のあれもこれも、みんなうさん臭い。
 胡乱――うろん。奇怪――きっかい。騙る――たばかる。欺瞞――ぎまん。謀る――はかる。
 紳士づらした大山師がウロウロしている役人と役人OB界。



 生命保険国内は大手8社の業績さらに悪化。
 TVCMのしつこいことと言ったら。
 クルマ・電気・不動産・そして百貨店……みんなガタガタ。
 TVCMの放送料で食ってるテレビ局もオタオタしている。
 でも、たとえば、バラエティとクイズといった出演者だけが悪ハシャギしている愚にもつかない番組を、愚にもつかないTVCMでズタズタに〔分断〕している無神経さには……「怒るより笑っちゃうね」
 現在のテレビ番組はあれはもう〔欠陥商品〕だぜ。
 たまに、少しはマシなドラマを放送するかと思えば、場違いな悪フザケCMでズタズタにする。自称自虐行為は哀れというより他はない。



 おごり高ぶった政治屋も企業も経営者も、マスコミを牛耳るヤカラも……アタマを冷やせってぇの。(と、おのれに言い聞かせ、反省ザルになる)

— posted by 本庄慧一郎 at 01:17 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第97回(通算207回)

企画室という仕事場の名称について

 以前、広告やテレビなど、マスコミの仕事をしていた時の会社名をそのまま使用している。
 同時に、現在は本の出版についての企画をあれこれ考える。
 といっても、自分の仕事のための企画である。以前は、広告やTVコマーシャルの企画そのものをビジネスにしていたが、現在は〔自分のための企画〕を考えてればいい。気がラクだしなにしろ楽しい。
 ある出版の企画で、大正後期から昭和初年代の政治・社会のデータを二・三、ピックアップした。
 いくつも論説や論文に目を通した。
 その一部をここに転載する。



 欧州大戦中の日本の繁栄は、つい昨日のことのようにふりえられるが、現在の沈滞と廃墟の中の日本人は、大正の終焉を消え行く時代の晩鐘として聞いた。だが、昭和の曙の薄明の中で、日本人はたれもまだ手さぐりの状態である。速い年の瀬に流されながら、人々は自分たちが歩いてきた過去の記憶の綱にすがることによって、これから歩き出す未来への手がかりとしようとしている。文化が、社会が、あらゆる面で低迷し、混迷し、おさきまっくらな時代に、驀進は禁物である。
(木佐木勝『木佐木日記』「『文芸春秋』に見る昭和史」より)



 資本家は、恐慌の重荷を労働者にかぶせ、「産業合理化」をおしすすめ、労働時間を延長し、賃金を切り下げ、人員整理の名目で、たくさんの失業者を街頭にほうり出した。中小企業が、バタバタつぶれた。一九三〇年の上半期、東京だけで夜逃げ、あるいは廃業したもの三万人、同じ年、従業員五〇人以上の工場だけで五十七万人の労働者がクビを切られた。紡績・製糸工場からは、ぞくぞくと、女子労働者たちが汽車賃もなく、東海道を歩いて村に帰っていった。
 新聞はつぎのように報道した。
  東海道をとぼとぼと,郷里へ帰る失業者
     (ドキュメント・昭和五十年史」汐文社より)



あれくるう大不景気のあらし
 政府は、民間の各種団体や新聞・雑誌・ラジオなどのマスコミを動員して、国民の耐乏を要求し消費節約運動をすすめた。国産品の奨励にも大わらわとなった。「全国民に訴う」という浜口首相の署名入りの宣伝ビラが全国千三百万戸に配られた。「緊縮節約はもとより最終の目的ではありませぬ。これによって国家財政の基礎を強固にし国民経済の根底を培養して、他日大いに発展するの素地をつくらがんためであります。明日伸びんがために、今日縮むのであります」と。
 また政府は「産業合理化」をはかった。合理化というのは、労働強化で生産能率をあげ、賃金切下げで生産費を安くすることで、できない工場はつぶれてもしかたがないという方針であった。(そして政府は景気対策として「金の解禁」を実施した)
 国民に将来好景気のくることを夢見させながら、その実、財閥金融資本の安定と利益をもとめようとしたものであった。
 「金解禁」によって、日本の金は、どんどん外国へ流れてゆき、デフレ政策によって物価が下がりあちこちで金づまりがおこり、物が売れなかった。好景気どころか、不景気風が吹きはじめた。
 ところで、そのころすでに、世界的な大恐慌がはじまっていた。一九二九年十月二四日(「暗黒の木曜日」という)、ニューヨークの株式会社にはじめるアメリカ(世界工業生産の四〇%)の恐慌は、たちまち世界中にひろがっていた。けれどもアメリカの繁栄を信じていた浜口政府は、なおしばらくは楽観していたが、金解禁はアラシに向かって窓をひらくようなものだった。それは、日本にも上陸し、金解禁、デフレーション政策に拍車をかけ、すさまじいまでに荒れくるった。
(註)恐慌、過剰生産の結果、資本の再生産過程がまひし、価格暴落、企業の倒産、生産力の破壊、失業と賃金下げなどをもたらす。「豊富のなかの貧困」といわれる資本主義に固有の諸矛盾を一時的、暴力的に解決する現象。
(ドキュメント・昭和五十年史」汐文社より)



 つまり、「百年に一度」とやらの「いつか来た道」にわれわれは追いやられて、トボトボ、オロオロと歩いてることですね。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:52 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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