「社会&芸能・つれづれ愚差」第158回(通算270回)

2010年4月23日(金)

 気候不順。地球乱調。世情狂奔。そして政治呆(暴)走。
 さてさて、4月23日は、小生にとっては意味のある記念日。
 朝9時。原稿執筆開始時間に、突如として秩父あたりの新緑を見たくなりパートナーと家を出る。
 恒例になっている西武線で……結局なじみの川越行に変更したのだが。
 何か一つ、非日常的なことをやりたいと〔人力車〕で回遊した。
 さいわい、朝から小雨が降っていて大嫌いなゾロゾロとかワサワサとかギュウギュウはなく、どこもかしこも人かげまばら。
 というわけで、「春雨の川越蔵の町を二人乗りの人力車」でひとめぐり――という趣向はバツグンのイベントになりました。

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詳細↑

Link    川越は、文庫書き下ろし時代小説(そろそろ50冊を超えるか?)を書き始めた初期の「死楽狐十郎シリーズ」の主人公の出生地とし、また川越藩でのいきさつのことを物語にした。
 飲む。食う。歩く。買う。(ささやかな品ばかり!)
 2010年4月23日(金)は我々の45回目記念日(何の?)だった。




大赤字国の我利我利我妄者たち
 老朽化した大型船が浸水して、大ネズミたちが右往左往の醜態を晒す。
 それにしても自公政権半世紀の結果――いわゆる〔事業仕分け作業〕によって晒け出される公金・税金の濫費・浪費、または私物化は目に余る。
 それらのすべての醜態の責任は、自公政権の悪質な温床が原因だろ。
 時代小説の資料の中には、バカ将軍・バカ藩主・バカ殿様などの記録は山ほどある……つまり、今も昔もちっとも変わらねぇということだね。
 4月24日(土)の新聞各紙では「独法8事業廃止」の大活字がある。
 それら団体のいかにももっともらしい名称そのものがうさん臭い。テレビレポーターの取材によって暴露されるインチキそのもののような実態にただ呆れ返る。
 さらに、その団体の担当者たちの説明――というより屁理屈や小理屈には、ただ呆れるばかりだ。
 あの男たち(担当者や責任者)にはまっとうな思考力や判断力はないらしい。いや、立場上、ひたすらトボケているだけなのか。
 彼らにも女房をはじめとする家族がいるはずだが、どう思っとるのかねぇ。
 もちろん、正当性・妥当性のある団体やスタッフ諸君も存在するだろうが、結局は「箱に詰められたリンゴは、一つ腐るとすぐにすべてが腐る」ということだね。
 自浄力を失った人間は、ただ醜く、哀れだねぇ。


政治と政治家たちの質
 〔小泉狂騒〕あたりからの政治のリーダーたちのその質には、ただただ呆れるばかりだ。
はっきり言って、現在、見えすいた、うすっぺらな思慮や打算で右往左往するヤカラには、何も期待できない。
 すでに根腐れを起こしている者たちが、いくら大言壮語しても、いくらもっともらしい顔をしても、いくらエラソーな党名を揚げても信用できない。
それもこれも、民主主義という治世下の選挙民自身であるわれわれが愚かしいという反証なのだよねぇ。

 選挙していない。もちろん認めていない。信託していない――そんな奴ばっかりが跳梁(ちょうりょう)するのを黙認せざるを得ないなんて……まったく冗談じゃねぇよ……デス。

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         ケイちゃんの目 ↓

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        川越のカラフルな鼻緒の草履のお店

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         ネズミの額ほどのわが家の庭の花

— posted by 本庄慧一郎 at 01:41 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第157回(通算269回)

井上ひさし氏・ばばこういち氏・福田陽一郎氏のこと

 2010年4月12日(日)の朝日新聞の朝刊に井上ひさし氏、ばばこういち氏、そして福田陽一郎氏の訃報がのっていた。
 井上氏(75)、ばば氏(77)、福田氏(77)である。
 ばば氏とは赤坂一ツ木通りの事務所時代よくお伺いした。今年の初め、ばば氏とはご近所づきあいをしている作曲家桜井順氏から、ばば氏の鎌倉のご自宅の電話番号を教えてもらい長々とお話をした。
 ジャーナリストばばこういちとして活躍している時代からの知己で、考え方などに違和のないまじめな人だった。
 福田陽一郎さんは〔同業者〕ではありましたが、そのお仕事ぶりにはつねにいい刺激をもらいました。ミュージカルやテレビの脚本などセンスのいいホンを書いておられた。しかし、ついにじかにお話をすることはなく……残念でした。
 井上ひさしさんは、じかにお目にかかったことはない(小生は見かけによらず積極的社交性がない――ホントです!)ものの、エニシは深い。
 とにかく作家としての井上さんにずっと注目してきたし、作品はもちろん注目してきた。
 1959年(昭和34年)発足(と同時に小生は会員になった)の日本放送作家協会&日本脚本家連盟の「脚本家年鑑」には、「井上ひさし」と一緒に「本庄慧一郎」も載っているが、井上氏の代表作のテレビは「ひょっこりひょうたん島」で、戯曲は「表裏源内蛙合戦」とある。


畏友・熊倉一雄氏と井上ひさし氏

 2006年に放送作家・広告コピーライター、そして時代小説の仕事とあれこれ廻り道した小生は、熊倉一雄氏のリードでやっとテアトル・エコー第131回公演「大都映画撮影所物語」を、熊倉御大を芯にした公演で具体化して頂き、好評を得た。
 今回、井上ひさし氏の訃報に関する記事はいろいろ出たが、この熊倉さんと井上さんの肝心の出会いの周辺のことはあまり触れられていないようだった。
 ということで、数十冊あるはずの井上さんの著作本のうちの「表裏源内蛙合戦」(なんとこのホンは5冊も買っていた!)で、その新潮社本の井上さんご本人のあとがきからこの傑作戯曲についての文章を抜粋して転載させて頂く。

〔日本人のへそ〕
 劇団「テアトル・エコー」第34回公演。
 一九六九年二月六日恵比寿エコー屋根裏劇場で初日。十二日間六回上演した。
 演出・熊倉一雄。
 (※データ略)
〔表裏源内蛙合戦〕
 劇団「テアトル・エコー」第36回公演。
 一九七〇年七月十七日から八月五日まで二十日間二十六回、新装の劇場「テアトル・エコー」の杮(こけら)落とし公演として上演された。
 演出・熊倉一雄。
 (※データ略)

あとがき
 物心つく頃から、歌と芝居が好きだった。大学時代、アルバイトで浅草のストリップ小屋で働いていた時期があるが、ストリップの演目(だしもの)は歌と踊りと小芝居の寄せ集め(バラエティ)で、殊のほか気に入った。
 『うかうか三十、ちょろちょろ四十』という題名で、寄せ集め型式の民話劇を書いて文部省に送ったら、芸術祭脚本奨励賞といういかめしい賞を呉れた。
 これは案外いけるかも知れぬ、と気負い込んだ途端、福田善之氏の『真田風雲録』が出た。まことによく出来た歌入り新劇で、鼻ッ先を拳骨で思い切り殴り飛ばされた気がした。恰好よく云えば挫折した。こんな凄い作者が居る間は、新劇を書いてもはじまらぬと思い、潔く放送作家に転向した。恰好悪く云えば退却である。
 放送作家になってからは書きまくった。
 (略)
 『ひょっこり・ひょうたん島』(児童文学者の山元護久と共作。武井博ほか演出)はそのひとつの成果だった。
 (略)
 「てんぷくトリオ」の座付き作者をしながら、コントの勉強をした。昔、浅草で働いていた事が役に立った。この間(かん)、私の番組というと決まった様に顔を出す役者が居た。新劇人にしては矢鱈に歌の上手な人であったが、この人が熊倉一雄氏で、芝居とコントと歌と踊りの寄せ集めの新劇を書いてみる気はないかと誘った。「福田ショック」の後遺症はまだどこかに残っていたが、但し、徹底的に歌を入れ、徹頭徹尾、笑いのめし、洒落のめせば、「福田ショック」を吹き飛ばせるかも知れぬと考えた。こうして、一年がかりで書き上げたのが『日本人のへそ』である。
 (略)
 熊倉一雄氏にまた乗せられ、『表裏源内蛙合戦』を書いた。
不器用な癖に器用な振りをしている平賀源内が他人とは思えず、かなり前から、調べておいて書き上げた。
(略)
一九七〇年十一月十二日              井上ひさし



 〔劇作家井上ひさし〕は、ここからスタートしているのである。そのことをここにつけ加えておきたい。

P.S
 私事になるが、この5月に1年がかりの「新宿今昔ものがたり/文化と芸能の三百年」(東京新聞出版部刊)が出るが、その資料本の1冊に「浅草フランス座の時間」(井上ひさし・こまつ座編/文春ネスコ刊)がある。
 おもしろい記述満載のホンだが、昭和22年に公演された原作・田村泰次郎/脚色・小沢不二夫(小生の叔父)/演出・小崎政房による「肉体の門」の記述を参考にさせて頂いた――のだが。



 井上ひさし氏の戯曲(処女作?)「日本人のへそ」をテアトル・エコーが再演する。2010年9月18日〜10月3日。乞うご期待!なにしろ我らがクマさん、益々元気ですゾ!

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        ケイちゃんの目 ↓

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           わが家の桃の花のツボミ

— posted by 本庄慧一郎 at 02:21 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第156回(通算268回)

再堀! 四字熟語「温故知新」


「夜郎自大」→ヤロウジダイと読む。
 自分の実力をかえりずみ、仲間内で尊大に構えてのさばる小人物のこと。
 ――政治界からゲーノー界まで、チンケな唐変木(!)がウヨウヨしてるもんネ。

「得意忘形」→トクイボウケイと読む。
 得意のあまり有頂天になって、自分を忘れること。
 ――自分のクチで「憂国の士」を言うヤカラの顔の……シマリのないことと言ったら!

「衣食礼節」→イショクレイセツと読む。
 衣食足りて礼節を知るということ。
 ――でも、現在の日本では、衣食足りてエゴと欲っかきばかりがきわだってきて、礼節なんてぶっとんだねぇ。

「狡兎三窟」→コウトサンクツと読む。
 悪賢いウサギは、隠れる穴を三つもっている。万が一の場合にはそのどれかの穴に逃げ込んで狡く保身する。
 ――近頃の狡兎は、穴三つどころか、穴五つ……穴六つ……も用意している悪知恵モグラみたいな人物がウヨウヨしてるぜ。

「狐群狗党」→コグンクトウと読む。
 ロクでもない連中のことをいう。つまり、キツネの群れと野良犬の群れのこと。
 ――政治屋の群れから、ナンデモ詐欺団のことだけど……いまの世の中、こんなのバッカリだもんネ。

「羊質虎皮」→ヨウシツコヒと読む。
 ずばり〔見かけ倒し〕のこと。
 ――アレもソレも、アッチもコッチも、ドレもコレも……その点ではとことんテッテイしている  〔見かけ倒しのオンパレードの時代〕だネ。
 同義語は「羊頭狗肉」。

「薄唇軽言」→ハクシンケイゲンと読む。
 現在のテレビに顔を出す連中をひとくくりにしたコトバ。
 ――番組もただナサケナイの一語だが、その番組を作っている連中も……そしてCMを作っている ヤカラも……どこへ行くのアンタたち。

「蝸牛角上」→カジュウカクジョウと読む。
 取るに足らない争いのこと。
 ――つまり、カタツムリのツノの上での争いなんて……というイミですと。
 そういえば……というか総イレバ……というか。情けないコンペばっかり。

「玉石同砕」→ギョクセキドウサイと読む。
 価値ある玉もどうでもいい石も……。
 ――つまり、善も悪も、賢も愚も共に壊れて滅びること。ずばり地球・人類、最後の日?

「洗心革面」→センシンカクメンと読む。
 心の汚れを洗い清めて、面目を一新することでアル。
 ――コレって、言うに易く行うに難しというヤツなんですよネ。

 現在、政治というフィールドで右往左往……または、「左顧右眄/さこうべん」している連中って、精神にカビが生えてない?あ、ダレ?「たちあがれ日本なんて、あんなジジィたちに言われたら、かえって萎えちゃうヨ〜」なんて言ったのは!?

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          ケイちゃんの目 ↓

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             井の頭公園の水の花

— posted by 本庄慧一郎 at 02:03 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第155回(通算267回)

コジツケ・デタラメ辞転


「権兵衛がタネまきゃカラスがほじくる」
●怪説
 この場合のカラスは〔天下り役人OB〕の意味。
 自民党政権半世紀余りで、破産寸前のニッポン。
 水の貯まらないダムとか利用価値のないダム。それにクルマの通らない高速道路や利用価値のないハコモノ……などでバカバカ公金を濫費して、挙句にカネが足りないから増税するといい続けた。そして政権交替。そしてまた同工異曲の……情けないねぇ。
 おまけに〔公益法人〕を隠れミノに天下りカラスが食い散らかす……というワケ。
 実際のカラスはギャアギャアとうるさく鳴き騒ぐが、〔天下りカラス〕はふだんは身を潜めておとなしい。しかし、そのどん欲さは底なしである。

「魔が差した」
●怪説
 ふと悪魔が心を占拠したために、思いもしなかった悪業に手を染めてしまった――というイミ。
 酒に酔って女性の尻をなぜた男とか、スーパーで焼ちくわとかシャンプーとか即席めんを万引きしてバレた時の女とかが、有効に活用する。そして最近は、国会のロートル議員が採決時の意思表示のボタンを他人の分まで押しまくった場合の言い訳にも活用する便利な用語。
 そういえばこのアンポンタン男〔元脳衰ダイジン〕デシタ。
 さて、もうひとつ――セコイ女あそびをしてワイフにバレた亭主も苦しまぎれに使うコトがある。

「アタマがまっ白になった」
●怪説
 ふだんからモノゴトを深く考える習慣をかなぐり捨ててきた者が乱用する。
 つまり、思いもかけないピンチに出くわし、事情説明を求められた場合にポロポロと口をついて出る。もともと人間らしい思考脳の絶対量が不足している者が、ドタン場で口走るケースばかりだが、 その場合、アタマの中がまっ白なのは事実だが、腹の中は見事にまっ黒な場合が多い。

「まことに遺憾です」
●怪説
 重大事件や呆れ返るようなスキャンダルの責任者であり当事者であるヤカラが、ヌケヌケと「まことに遺憾です」とのたまう。
 これはイカンよ。そんなのないぜ!120パーセントの誤用ダヨ!本来の〔遺憾〕とは、残念とか気の毒といった第三者の感想みたいのモノ。責任を負うべき者がシレーとした顔(または、もっともらしい深刻面)で、口にすべき言葉ではないのダ。
    それにしてもいまの世の中〔遺憾野郎〕がやたら増殖してやりきれんのう!



「口叩きの手足らず」
●怪説
 口先ばかり達者で実行力ゼロのヤカラのコトでありますな。
 たとえば、先般行われた国会での党首討論の両者がソレ。
 与党を代表する者が口にするアレコレもそうだが、野党に落ちた党の代表者のそのテイタラクの、その原因や理由に対する無自覚ぶりなど、まさにずばり「口叩きの手足らず」そのものだろ。



「小娘と茶袋」
●怪説
 具体例をあげるなら、渋谷の町や原宿竹下通りあたりにワラワラと寄り集まってくる中学生や高校生(のような若いムスメたち)は、いともカンタンに色けづくというコト。
 茶袋とは、ホラ、紅茶のソレをイメージすればよろしい。
 白い袋も一度、湯にひたせば、たちまち紅茶の色に染まるでしょ。でもね、猥雑な盛り場でのワル遊びで小娘(!)たちが身につける色は、冴えた紅茶の色ではないなぁ。そう、どどめ色だね。どどめ色ってどんな色かって?ふん、アナタ、とうに知っているでしょうが!
 それにしても〔茶袋ムスメ〕などとタワムレたあげく、淫行条例とかにひっかかり、退職に追い込まれ、女房に愛想つかされたりするアサハカ男は多いなぁ。男は哀れだなぁ。茶袋ムスメに気をつけようぜ、ご同輩!



 妄言多謝――●怪説 バカバカしいこと書いてスミマセンというイミです。

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       ケイちゃんの目 ↓

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      わが家の桜(実は近所の石神井川の桜)

— posted by 本庄慧一郎 at 01:30 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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