本庄慧一郎めはこのコトバを「おだてりゃジジイも階段2段跳び昇り」と言い替えている。
今回、東京新聞出版部さんから出版して頂いた「新宿今昔ものがたり/文化と芸能の三百年

とりわけ、7月18日号「サンデー毎日」の「読書の部屋」というコラムで、荒俣宏さんがお採りあげ下さった。
まだ、直接お目にかかってごあいさつする機会には恵まれずにいるが。
東京新聞出版部さんをはじめ、親しい友人たちからそのコラムのことを知らしてもらい、さっそく「サンデー毎日」を購入した。
荒俣さんが岩手県への取材旅行をなさった折の経緯と、〔遠野〕のこと、そして石川啄木のことなどを記されている。
その啄木の話題から親友だった金田一京助さんのことに触れ、さらにその金田一京助さんが、ムーランルージュ新宿座の明日待子さんの大ファンだった――という拙著の文章を引用して下さっている。
この荒俣さんのコラムは現在北海道札幌で日本舞踊の家元として活躍なさっている明日待子(芸名五條珠淑/本名須貝とし子)さんにお知らせしたところ、元気ハツラツとした声で「さっそく拝読しました!うれしゅうございました」とお電話があった。
たしか九十歳というご高齢とはムカンケイのしっかりと、ハツラツとしたお声である。
昨年、(平成21年7月)に新宿の劇場で直接お目にかかっているが、とにかく、しゃっきり、すっきりしたお姿にひたすら驚き感動した。
昭和10年代のあのアイドルの先駆――明日待子さんは健在です!
あらためて、荒俣さんや関係者の方々の許可を得てそのコラムをそっくり転載させて頂きたいと思っているが、本日はその文章の一節――本庄慧一郎に関わる箇所をどうしても書かして頂きたいのデス。
それは『新宿の文化史を、こんなに細かいエピソードで語れる著者に、私はほれ込んだ。』(2010年7月18日号・サンデー毎日「読書の部屋」より)という文言デス。
物書き業ざっと半世紀――こういうホメ言葉にはつい「おだてりゃジジイも階段2段跳び昇り!」と、ついシャウトしたのです。
荒俣さん、ありがとうございます。(10人のチャーミングなヤングレディに言い寄られるより……比較にならないほどにウレシイ!)
ケイちゃんの目 ↓
本庄慧一郎拙宅の小庭のトマト――初々しくも神々しい〔処女作〕