物書きのハシクレとしての小生は、ついこんなことを呟いてしまう。
「〔異常〕はつねに〔正常〕の仮面をかぶってやってくる」と。
すでに、「5人家族が88日間暮らせる核シェルター」なるものが売られていることや、「持ち歩きできる放射能の数値測定器」が巷でもてはやされていることなど、いつのまにか当たり前のようになってしまった。
もうひとつ、勝手に呟く。
「思いもかけない〔不幸〕や〔アクシデント〕は、何の前ぶれもなしにやってくる」と。
地震や津波や、そして原発事故の放射能禍でとんでもない災難をこうむった人々には……お気の毒で申しあげるべき言葉もありません。
願わくば、くじけることなく、復興復旧への歩みを着実に進めて下さいますように。
記録映画「ムーランルージュの青春」が完成した
記録映画「ムーランルージュの青春」(1時間50分)
制作:�蠍弧逎廛蹈瀬�ション 監督:田中重幸
昭和6年(12月31日)に開場、昭和20年5月25日に爆撃炎上。その後再開し、それから昭和26年までの20年間、日本演劇史・大衆芸能史にユニークな足跡を記したムーランルージュ新宿座。
今回、そのムーランルージュの興亡を、直接・間接の関係者の証言や、資料や再現ドラマなどの手法を駆使してまとめた1時間50分というこの映画は、文句なしに「価値ある労作」といえる。
かく申す本庄慧一郎にとっても、物書きとして時代物などのフィクションものと並行して、「芸能社会史」という側面からもムーランルージュ新宿座と戦前の大都映画(昭和17年に戦時企業統合令によって日活・新興・大都は大日本映画株式会社――大映になった)は必須テーマになっている。
その観点からもこの記録映画の完成は大歓迎すべきことである。
「ムーランルージュ新宿座」は、個性的な作家たちをはじめ、戦前は左卜全・望月優子・有島一郎、そして戦後は、三崎千恵子・森繁久弥・由利徹をなどなど多彩な俳優やタレントを生み出した劇団であり劇場であった。
小生にとっては文筆業の師である叔父の劇作家・小沢不二夫と、その結婚相手の小沢弥生(ムーランでは市川弥生)が深く関わっており、ムーランルージュの脚本・演出で良質の仕事をした小崎政房は、同時に大都映画では時代劇スター松山宗三郎として八面六臂の大活躍をしており、この両者の関係はとても深い。
今回の記録映画で小生も「証言者」の一員として諸先輩と共に喋らせて頂いた。
2011年6月4日(土)の中野ゼロホールを皮切りに一般公開が予定されているので、ぜひ皆さんにもごらん頂きたいと思っています。
詳しくは
ブログ「夕焼け劇場
ムーランルージュ新宿座と大都映画についての本庄慧一郎の本
�‐�説「赤い風車劇場の人々/新宿かげろう譚

�◆�幻のB級!大都映画がゆく
」(集英社新書 2009年1月刊)

��「新宿今昔ものがたり/文化と芸能の三百年
」(東京新聞出版部 2010年6月刊)

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