〔胡乱〕とは、乱雑であること。いいかげんなこと。また不誠実のこと。(広辞苑)とある。
正直に申し上げて、〔胡乱な輩〕とのつきあいは、個人的には一切ない。
なぜならば、「神経質で、気が短くて、飽きっぽくて、協調性に欠けるから――」と自称している。そのせいで、当然のことながら、親しい友人や仲間は大勢いない。
いや、若い頃から終始一貫して、ラジオ・テレビ、そしてTVCFや広告制作、そして小説や演劇の実作にかかわってきたから、人づきあいや社交がニガ手というコトはない。
しかし、トコトンのところでは、人づきあいに関してはガンコで、好き嫌いの感情は明確で、結果としてマイ・ペースを貫く。
とは言いながら、政治や社会の表舞台に登場する輩たちに対する好悪の感情は強く激しく、エスカレートするばかりだ。
たとえば、つい最近いいトシをした政治家が「誕生会」と称してガンクビを揃えたが、小沢一郎・渡部恒三、そして鳩山由紀夫といった人たちの顔を見ると、否も応もなく不快になり、ココロも萎える。
彼らと群れる連中もうざったい。卑しい。大キライである。
烏合(うごう)の衆というコトバがしつこくつきまとうなぁ。
それと、内閣不信任案を推進した自民・公明の連中――とりわけ、やたら図にのって喚く谷垣サンとやらもイヤラシイ。
いまやチェルノブイリ以上という状況に……というもともとの「原発」そのものの推進母体は自民・公明でしょうが!
その関係者もふくめて、ヌケヌケとまあ、他人事のようにシレッとしている連中のハレンチなこと。許せない。
いまあらためて、好もしい方々のこと
・俳優M・Gさんのこと。
若かりし頃、つまり昭和30(1955)年頃、劇作家三好十郎氏主宰の劇団戯曲座でめぐり合い、その後、ずっと(50年ほど?)もプライベートなコンタクトのなかった俳優M・Gさん。
ひょんなことで交際が復活したのが最近。彼M・Gさんはこの10年ほどは思いもかけない〔薬害〕に見舞われたが、ようやく以前のペースを取り戻したとのこと。
かつては爽やかな二枚目だった。その後、劇場映画の〔悪党役〕やテレビトラマの名演、アメリカ映画「逃亡者」のディビット・ジャンセンの声などなど、数多い作品で活躍した。
グンと貫禄のついたこれからのM・Gさんに期待したい。
・監督Y・Kさんのこと。
テレビの2時間ワイドドラマだけで、ざっと20年(33作品)でヒットシリーズを手がけている監督Y・Kさん。(このシリーズ以外に多数の作品がある)
テレビドラマの制作条件はさらにキツクなっているようだ。
その作業の中核に在る演出の仕事は、文句なしにハードだ。
もちろん苛酷ともいえる制作スケジュールのさなかでは監督としての作業はきつくならざるを得ないはず。
でも、ふだんのY・Kさんは、とてもこのギョーカイのやり手の監督とは思えない柔和で物静か――文字どおりジェントルな方だ。
小生はプロフェッショナルなY・Kさんを尊敬している。
・大衆芸能史家としてのH・Kさんのこと。
ごく最近、あるブログに書いた小生の文章を見て、ご連絡を頂いた。まるで面識なかったH・Kさん。
もともと、浅草をベースとする大衆芸能(となると畏敬申しあげる小沢昭一先輩がいらっしゃるが)については、この本庄慧一郎もしつこくこだわってきた。なにしろ、「生まれは下町、育ちは浅草」をキャッチフレーズにしてきたのだから。
で、このH・Kさんと手紙やメール、そしてじかにお目にかかり、そのお人柄にたちまち魅かれた。
気が付いてみたら、H・Kさんが書かれた著作物や評論や文章はあれこれ手元にあって、その造詣の深さをあらためて認識した。
同時にH・Kさん自身のキャラクターにも快い親しみをもった。
もうひとつ、H・KさんはK出版の編集者でもあって――物書きとしてのこれからの小生にとって意義のある道標になって下さるといううれしい予感がある。
そのほか、WebプロデューサーK・Tさん、広告業界の旧知のY・Kさん、映像ディレクターのH・Nさん。そして映画監督T・Sさん、同じく映画監督のZ・Mさん……などのこと。
いわゆる「3.11」以後、少々へこんだ小生だが、このところ、そのココロを活性させるテコになってくれた人たちとめぐり会った。
直接のビジネスも、取り引きもない。でも、物書きとしての小生に貴重な「やる気」を与えてくれる人たちである。
とりあえずここまではお名前をイニシャルで書いたが……。
・船橋の八百屋さん「ヤオハル五十嵐勝さん」のこと。
15年ほど前、「中国からの留学生を4000人の物心両面で惜しみないフォローにつとめた船橋の八百屋さん五十嵐勝さん」のことをセミ・ドキャメンタリーの小説として出版した。
当時、五十嵐さんは中国留学生支援で私財を失う――というピンチを招いた。が、当の留学生諸君が「五十嵐さんを救うために」義捐金を集め、あのジャッキー・チェンも協力して、そのピンチを脱出した。
この話を小説「謝謝の樹」と題してまとめた。
15年後のいま、あらためて電子書籍化をふくめて、中国語で再刊しようという企画が進行している。
現在の五十嵐さんも元気ハツラツと青果業に、そしてあいかわらず中国への訪問へと活発に活動しておられる。
このところ「ボランティア」ということばや行動は大いに広まり、より深く理解されるようになったが、五十嵐さんのそれは永い歳月を超えて脈々と息づいている。
ちなみに、この日中友好のかげの主役である五十嵐勝さんのふるさとは「フクシマ・いわき」である。
小生は物書きのハシクレとして土性骨のすわった五十嵐勝さんとじかに接点をもったことに、いま新たな感慨を熱く強く感じているのだが――いずれ詳細について書きたい。
何にしても、「口と腹のバラバラな」ウサン臭い人物とは顔も合わせたくない。
さいわい、好もしい人物が身の周囲にいて下さることに、いま、腹の底から感謝しているのでがあります。
かつての広告業時代からの親友のアートディレクター東本三郎氏の企画プロデュース「あかるい鬱展」から小谷中清氏・青木勤氏(この二人も、小生の親しい仲間)の作品をご紹介します。
「あかるい鬱展」
6月2日(木)〜6月8日(水) 渋谷東急文化村1Fギャラリー
オフィシャルホームページはこちら です。
青木勤氏作品〔水彩画〕
小谷中清氏作品〔鉄アート〕
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