2011年11月9日、天王洲アイル銀河劇場にて観る。
ゴッホ市村正親。演出栗山民也。
昭和28(1953)年の頃、三好十郎氏の劇団戯曲座文芸演出部に入座した。
三好十郎氏は、ムーランルージュ新宿座に在籍していた叔父小沢不二夫とも親交がふかかったので、その小沢の同意と推挙を得てのことであった。
同時に、当時から親しくしていた柴田恵子さん(現・評論家樋口恵子さん)の推挙もあっての入座であった。
世田谷赤堤のご自宅の書斎によばれて、原稿執筆のお手伝い(原稿の清書・口述筆記など)を命じられた。
評論集「日本及び日本人」の執筆時だった。
その都度、三好氏は〔報酬〕を下さった。恐縮していると「素直に取りなさい」と叱られた。そのおカネで買い求めた和英辞典が宝物として手もとにある。
あらためて申しあげるまでもないが、畏敬する三好十郎氏の作品や著作物は可能なかぎり求めて精読した。
つい先日もご紹介した記録映画「ムーランルージュの青春

三好十郎氏に師事していた押川昌一氏の「風の音」(1954年)の上演の頃のことで制作スタッフとして参加していた小生には、三輪敏雄氏の話は飛び上がるほどうれしかった。
栗山民也氏は、三好作品「浮標(ブイ)」「胎内」、そして「炎の人」の三作品の演出をしている。いずれの舞台も胸をドキドキさせて観た。どの作品も、独特のテーマで、いずれもまぎれもなく「三好十郎」であった。
今回のゴッホ――市村正親は、劇団四季の「エクウス」(1975年)の少年(アラン・ストラング)の舞台から観ている。
馬に寄り添う裸身の少年――という刺激的な場面を忘れない。
そして、主役の医師を演じたのは日下武史。
彼は劇団四季のスターティングメンバー7人のひとりだ。四季の当初(東京駅八重洲口にあった国鉄労働会館のホールなど)の公演から観ている。(武田泰淳原作「ひかりごけ」なども)
アヌイの「せむしの聖女」には、小沢不二夫の娘(小生のイトコ水沢有美が、まだ小学校入学前だったか)が出演して、稽古場への送り迎えで、浅利慶太演出のそっくりを〔体験〕した。
放送作家の仕事をしていた当時にTBSラジオで、語り日下武史さんの番組構成をやっていた。そののちにコピーライターとしては、トヨタ自動車のCMのコピー、ディレクションを担当したこともある。
その声と話術の絶妙さは魅力的だった――。
なんにしても、すでに36年も経ったが、あの日下武史さんと市村正親さんの「エクウス」の舞台も忘れられない。
民芸滝沢修の「炎の人」ももちろん観ているし、現在でもVTRで観る。そのたびに、心を熱くし、大きく揺さぶられる。
今回の栗山民也演出、市村正親のゴッホも、ひたすら胸を熱くして観た。
いまさらのように三好十郎流の、終始、熱くたぎるようなリビドーに揺さぶられて……近年、稀に見る価値のあるカタルシスを体験した舞台だった。
ケイちゃんの目 ↓
劇団員の箱根バス旅行で。三好先生(左)と小生
望田市郎は本庄慧一郎の本名
銀河劇場入口のポスター
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