たとえば、「激動と波乱の時代の真相をえぐる――昭和史こぼれ話」(保坂正康著・日本文芸社刊)から。
昭和4(1929)年といえば、不況の風に庶民はキリキリ舞いしていた荒れた時代だった。
こんなエピソードをご紹介したい。(以下、引用)
【エロ・グロのカフェに群がるインテリ 昭和4年】
経済不況に比例して人心は荒んでくる。それが露骨にあらわれたのは、昭和四年から七年ごろまでの間だ。モボ(モダンボーイ)とモガ(モダンガール)の時代、社交ダンスが大はやり、繁華街にはカフェもできてきて、そこではエロやグロが商売になった。
流行する歌も古賀メロディーの「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」など倦怠感のあるもの。
浅草のカジノでは、いささかエロっぽいダンスがはやり、金曜日には踊り子が〔ズロース〕を下げるという噂までとぶ。銀座のカフェではキッス十銭という女給まであらわれるし、スカートの奥に手をいれさせてお金をとる女給まで生まれた。また、ステッキガールも生まれ、お金をとって、銀座一丁目から八丁目まで、にわかアベックになってくれる女性まで現れた。こういうエロがかったサービスに酔いしれたのは、学生やサラリーマン、ジャーナリストなどのいわゆるインテリたちで、彼らは、どんづまりのこの時代にイヤ気がさして、つかのまの陶酔にふけったのである。女給と学生の心中、女給とサラリーマンの駈け落ち、そんな記事がこのころの新聞にはたっぷりと満載されている。
カフェにはしばしば手入れが行われ、カジノでも踊り子のスタイルや衣裳にきびしい注文がつけられる。たとえば、「股下三寸未満、あるいは肉色のズロースを着用すべからず」といった具合に……である。榎本健一(エノケン)らは、こういう踊りを排して、軽演劇として浅草に灯を守りつづけたが、エロ・グロはしだいにコミカルな方向に転換し始めたのである。(引用おわり)
昨日、親しくしているある出版社の編集長のK・M氏と久しぶりに新宿でお会いした。あれこれの話をした。楽しかった。
元は歌舞伎町にあった中華料理の店「大陸」は、現在は靖国通りのビルの4階に移っていて、その店はいまでも好もしく思っている。その「大陸」でアルコール度56度の中国酒をのんだ。
帰途、歌舞伎町をそぞろ歩いた。
街角に客引きの若い男たちが右往左往している――。
「新宿今昔ものがたり/文化と芸能の三百年

かのムーランルージュ新宿座が象徴していたような好ましい風情や匂いは、いまは無い。
庶民の街――と言っても、そのための質というものがある。
だれにでも愛され親しまれる「ほど良い質」を保つのは、実はたやすいことではない。
そう――街も、人間も。
ケイちゃんの目 ↓
霜月・11月の歌舞伎町スナップ
好評配信中 着うたフル・着うた「鳥になれたらいいね」楽曲配信の詳細は
こちら

好評配信中 ドラマチック・リーディング「小童夜叉・捨」
配信詳細はこちらを ご覧ください。