「社会&芸能・つれづれ愚差」第400回(通算512回)

忘年会という集いとそして……リスのお話。

●忘年会とは――「その年の苦労を忘れるために、年末に催す宴会」(広辞苑)だそうだ。

●その忘年会のサケで、酔ってクダ巻いて、ケガしたり、ケンカしたり、セクハラで恥をさらしたりしている者がいる。

●かつては、仕事の関係上、歳末はやたらつきあいの集まりやサケの席が多かった。が、いまはさいわい、ソレがない。

●それでなくても、人間トシと共に忘れっぽくなっているし、とにもかくにも、忘れるべきコトはどんどん忘れるネ。

●きちんと記憶しておかねばならないコトも山ほどあるから。でも、TVのクイズ番組などの「正解」のようなコトは脳に詰め込んでおく必要はないネ。

●ちょいと調べれば分るようなモノは、放っとけばいい。
 人間の脳なんて、生きてゆく時間と反比例して、その吸収力はどんどん衰えてゆくんだもン。

●ガラクタみたいなデータばっかりの記憶力には、大事な、人間としての「貴重な記憶」が記録保存されないからサ。

●以前、幼い子どもたちのためにリスを飼っていた。
 石神井公園で拾ってきたドングリの実を与えると、さっさと自分の巣に運び込んでね。
 結局は、巣の中にいっぱいになったドングリの実のために自分が入れなくなって、巣の外でブルブル震えていた。

●人間の世界にも――このリスみたいなのが多いんだよねぇ。


2014年歳末の1万歩ウォーク

●この1ヶ月余り――諸般の事情ゆえに、集中的に原稿(舞台脚本)を書き、まとめた。
さいわい身近(家族)に、演劇等の周辺事情にくわしい者がいるのでまとめ作業をフォローしてもらい……助かったけど。でもクタビレた。

●久々に「1万歩ウォーク」に出かけた。なんにしても、いわゆる「いまどきの盛り場」なんてキライだから、行く先はしぼられるネ。

●荻窪の古書店に寄り(極力まとめ買いをしないように努める)、阿佐ヶ谷・高円寺などをアテもなく歩く。今回は阿佐ヶ谷から高円寺への元桃園川の緑道をたどる。

●そして、高円寺駅近くの中華屋さんで昼メシ――好みの中国の「透明なサケ」があったので注文。51度というアルコール度です。
180cm以上あるらしい中国人青年の店員に、「ダイジョーブデスカ。トッテモツヨイデスヨ」と言われて、「大丈夫! そのつもりで飲みます」と答えた。

●2杯目を頼む。「ダイジョーブデスカ?」と、また聞かれて、「ハイ、大丈夫!」と答えた。せっせと水を持って来てくれて……機嫌よく飲み、無事、帰宅した。

●ついでに、その往復の街の「小店」をスナップ撮影してネ。チマチマと飾り付けた風景にココロが和む。「これ見よがし」のギンギラの風景がイヤでね。

●高円寺といえば――いまからざっと、20数年前に仕事場があった。
 あれこれの身辺事情と心境の変化をバネに、強引ともいえる人生の方向転換を敢行したのデス。それはそれで成功したのですけどネ……。

●その結果「負のエポック」として、某大病院の口腔外科で大手術を受けることになった。そして文字どおり「九死に一生」を得た――。

●小さな公園を見下ろすその仕事場のあったマンションを眺めて、思いにとらわれて――。
 さらにその14年後にはギラン・バレー症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群に罹病して――これも「大ピンチ脱出」で、いまは元気!

●2014年の歳末1万歩ウォークは、現在のおのれを顧みるGOODなモノでした。

●2015年――新しい年が皆さまにも「意味のある結実をもたらしますように」心から願っております。



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ケイちゃんの目 ↓

桃園川緑道
秘めやかな記憶の深呼吸……ナンチャッテ!



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— posted by 本庄慧一郎 at 12:05 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第399回(通算511回)

ボクの隠れ家的書斎。

●とくに「うまいモノ」を食いたいとは思わない。なぜなら、その時出されたモノは必ず「それなりにうまいから」。

●サケは好きだし、若い頃から強かった。
 けれど(トシとか、経済的理由とかで)ガブ呑みはしない。スグ、ほろりと酔うスベを知っている。

●でも、ときおり、中国料理の店へ行くコトがあると、「56度」なんてサケを好んで呑む。

●酔っぱらって、やたらはしゃいだり、やたらヤヤコシクなる酔っぱらいは大きらいだからね。

●「仕事場」のことについて書く――そんな願ってもないオーダーがあった。
 書籍の装丁や装画やをする人たちのプロ集団の会誌で……嬉しかった。

●その原稿では、「物書き業半世紀あまり」の歳月をふり返って、時折ウロウロ、二又道(追分という)で戸惑うボクを「こっちの道がいいんじゃない?」と助言してくれる「人と、その著書」について書いた。

●季刊誌で2回(この12月と来年4月頃)の予定。

●いずれ、もっとこまかく「物書き人生」で出会った「忘れられぬ人」を書きたい。
 それはそのまま「本庄慧一郎の物書き道中控」として、まとまるハズ……と思ってます。



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ケイちゃんの目 ↓

古書店の倉庫のような、我が書斎


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— posted by 本庄慧一郎 at 03:41 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第398回(通算510回)

そして、菅原文太さんのこと。

●2014年11月28日。菅原文太さん没。享年81歳。
 高倉健さんを「追いかけるような」訃報だった。
 健さんとの思い出を綴った文章の中で、文太さんに書き下ろした歌『望郷』のこと Link にふれた。

●まだ文太さんがファッションモデルもやっていた頃(映画スターになる直前?)、新宿厚生年金会館(当時)近くのバーで何度も出会っていた。
 いや、カウンターの隣の席で同じ時間を過ごした。(おサケに強かった)

●その後(1988年頃)、長いおつきあいの作曲家の石田勝範さん(映画『大奥』をはじめ、テレビドラマの劇伴など作品多数手がけている。それに小生の企画・プロデュース・作詞のCDアルバム『平和を願う歌』のうち『名もない花』の作曲もしていただいた)から、「菅原文太さんの歌を作詞して」と電話があった。
 「SONYからシングル盤を出すのだけど、2曲用意したうちの1曲を文太さんとしては、どうしても気に入らなくて」というコトだった。

●その曲が、「他人の女房に惚れて、というド演歌みたいなのがイヤで」という理由だった。
 それで、急いで『望郷子守唄』(『望郷』に改題)を作詞して、文太さんが快く歌った。

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 その作詞をする前に、マネージメントをなさっていた奥さん(菅原文子さん)が、新宿にあった仕事場に来て下さり、花束を持参してくれたのを記憶している。万事に控えめの、チャーミングでしっかりとしたお人柄だった。




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●文太さんは「オレ、歌うまくないけど」としきりにテレていた。
 小生はあえて「せりふ」を入れた歌詞を書いた。

 『この世は、焼きたてのパンじゃない。あたたくもないし、やさしくもない』

 このセリフは「さすが!」というテイストで「文太さんならでは」だった。


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●赤坂のお店に招かれた。文太さんと奥さんとの三人で過ごした。その時、鮮やかなマリンブルーのマフラーを頂いた。小生の宝物である。

●そのおサケの席で「ボクの物書き業の師匠は、劇作家だったムーランルージュ新宿座出身の叔父の小沢不二夫と、もうひとり、その叔父と親しかった劇作家の三好十郎さんです」と話した。

●すると、文太さんが「オレの親父と三好十郎さんはとても親しかった。なにしろ初台では、隣り同士で住んでいたんだから」。
文太さんの父上も絵を描いていて、三好十郎さんも生涯を通じて絵にこだわっていた。(戯曲『ゴッホ小伝/炎の人』は文字どおりの名作だ)

●その後、文太さんのお父上狭間二郎さんから、三好十郎さんに関してのことを綴った長文のお手紙を頂いた。だが、何度か仕事場を移転しているうちに、そのお手紙を紛失してしまった!

●いわゆる「ゲーノー界の有名人」と仕事をしたことは多い。でも小生はいつも一定の距離をおいてきた。
 仕事が済めば、さっさと忘れてしまう人がいた。また、たやすく忘れられない人もいた。高倉健さん、菅原文太さん、そして……。
●そういえば、映画『トラック野郎』で文太さんとコンビを組んだ愛川欽也さんも、ごく近くにいた人だったけど……。

●12月6日(土)/テレビ朝日での再放送の『わたしのグランパ』を再見した。
 文太さんって、ああいう物語のああいう役を演じてもいいなぁ。うまいなぁ。
 でも、ストーリーが(とりわけ後半)いままでの文太さんにやたら媚びたような展開になって――それがマイナスしてた。(ああいうのってヒイキの引き倒しというのかなぁ)

●高倉健さんも菅原文太さんも、ゲーノー界のスターの座に長い間「君臨」しながらも、「自己」というものをまっとうに大切にした――「人生の達人」でした。

●あらためて――
 高倉健さん、菅原文太さんのご冥福をあらためてお祈りします。

— posted by 本庄慧一郎 at 12:27 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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