「社会&芸能・つれづれ愚差」第484回(通算596回)


「平和だからこそ」の意味

●そういえば――
 「オリンピック憲章」第6条には、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めている――という。

●そういえば――
 国境を越え、国情を克服し、得意のスポーツ競技を通じてフェアなコンペにのぞむ――というのが確固たるオリンピック精神のコンセプトだ。

●そういえば――
 参加国206、参加人数約11,000人以上。
 新聞等の「メダル獲得表」の国名リストを見ると、その国名も、その国の位置や場所も知らないケースも多い。

●そういえば――
 「メダル獲得数表」の下位の「銅1個」という表記の10カ国の国名を見て、あらためて「世界各国要覧」の頁を開いて認識を深めた。

●そういえば――
 内戦などの混乱のために「祖国の代表」になり得ない選手10名の「難民選手団」の存在は気になった。
 「メダル獲得争い」に躍起になる大勢の者たちのカゲで、「命がけ」で参加する者たちがいるのだ。

●そういえば――
 オリンピック代表選手の壮行会で(オリンピック・パラリンピック)組織委員会会長の森喜朗氏が「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」とアナクロニズムそのもののような発言をして問題視された。
 また彼はオリンピック予算の高騰問題にふれられると「私はボランティアだからね」と見当違いの発言をする。
 リオ・オリンピックの閉会式の「日本のPR映像」で、アベ首相が登場したことも、この森氏が関わっているとか――。
 「真の平和主義」をコンセプトにしたオリンピックに、「偏狭なナショナリズム」は害毒はなるばかりだろ。

●そういえば――
 オリンピック開催中の熱にうかれたような新聞テレビなどのジャーナリズムの表現の中には――

 平和でなければ。
 平和だからこその。
 絶対の平和のために。

 こういうことばのアピールはなかった。

***

●それにしても――
 日本の4年後のオリンピックのための予算額は当初の800億円が3倍の2400億円にハネ上がっているとか。
 現在の日本は、とんでもない赤字国家(マイナス1千兆円?)である。

●そういえば――
 企業に所属するオリンピック出場選手にその企業の社長が「もしキミが金メダルを獲得してくれたら、1億円の報奨金を出すよ」と言った――というハナシをテレビで紹介していた。
 そして、金メダル500万円、銀メダル300万円……といった賞金が関係団体から出る――とかのニュースもあった。

●そういえば――
 オリンピックのしめくくりデータでオーバーヒートする新聞に、厚生労働省が発表した「2016年度の地域別最低賃金の改定結果」という記事があった。
 「最低賃金823円に/全国平均・上げ幅最大25円増」(注・時給)という見出しで活字があった。

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 この数字を読んで、あなたはどう思いますか?

 (ボクは「オリンピック・ボケなんてごめんだぜ」と思ったネ)




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ケイちゃんの目 ↓

酷暑の夏の仕事机

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— posted by 本庄慧一郎 at 02:05 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第483回(通算595回)


8月15日(昭和20年/1945年)の記憶と記録

●71年前の8月15日は「ドピーカン」(映像作りのスタッフなどが使う業界用語で、パーフェクトというべき晴天のこと)だった。
 正午の「玉音放送」(天皇陛下ご自身のメッセージ)は、練馬区石神井町8丁目の叔父の家の前の道で、叔母と二人、直立の姿勢で聞いた――その放送を近くの隣組長の高橋氏がスピーカーを通して大音量で流したのだ。

●その年――昭和20年(1945年)の初頭から春先にかけて、アメリカ軍の大型爆撃機B29等による空襲は日常化していた。
 あの「3月9日〜10日」のいわゆる「下町大空襲」の猛爆撃で、すでに一般市民は恐怖と混乱のウズの中で右往左往していた。

●本庄慧一郎(望田市郎)は、北区滝野川第六小学校6年生。
 進学進路を考えるゆとりなどまるでない、ひたすら戦々恐々とした日々だった。
 しかも、ちっぽけな家も家財道具も、大事にしていた学校用具も、4月13日の夜間空襲で灰燼になった。
 しかし、唸りをあげて落下する大量の焼夷弾を、その業火の下をくぐりぬけて、九死に一生を得た。

●そして、文字通り「着の身着のまま」の父親と弟の3人(母親は前年に病死していた)は、母親の実家である石神井町の小沢家に頼み込んで避難させてもらっていたのだ。

●8月15日正午の「玉音放送」の天皇陛下のメッセージの意味は判別つかなかった
 ――しかし、すぐそれは「大東亜戦争は日本の敗戦によって終結した」ということを知った。

●もし、あと2、3年早く生まれていたら「特攻隊に志願して」戦死していたはずた。この空襲激化の数カ月間は「いつ爆死するか」という恐怖と「いつ餓死するか」という不安に翻弄され続けた日々だった。

●そして、戦後の生活は「綱渡り」のような不安定さに苛まれた。
 その辛苦と苦労は東京在住だった者でなければ、とうていわかるまい。
 いや、あの広島や長崎や、はたまた直接に空襲という名の業火と恐怖に翻弄された者でなければ、その地獄そのももの苦しみは「実感」できまい。

●いやいや、小生の「体験」よりも、もっと苛酷で残酷で悲惨な渦中で逝った方々も大勢いらっしゃる――
 その「地獄の時間」が、とにもかくにも昭和20年8月15日に断ち切られたことは間違いない。

近代史・昭和史等の本棚からの資料本

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***


●絶対忘れることのできない「8月15日」。
 そして「8月6日の広島」、「8月9日の長崎」。

●リオ・オリンピックのテレビ中継を見ていて――思う。
 「それも、これも、平和であればこそだろう!」と。

●オリンピックのコンセプトの「フェアプレー」には、殺戮や破壊や侵略や征服はない。

●世界中の人々がそれぞれの国状を超え、国境を超えて集まり、ひたすらエネルギーと技を競い合うオリンピック――その大前提になる「世界平和」の重要性を、ここであらためて認識する思慮と英知を再確認すべきだと、ひたすら強く強く思う。



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ケイちゃんの目 ↓

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戦時下のイチロー君


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「不幸中の幸(さいわい)」に救われての人生?

— posted by 本庄慧一郎 at 03:03 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第482回(通算594回)


8月6日(1945年&2016年)の意味。

●1945(昭和20)年8月6日。「広島に原爆が投下された日」だ。
 そして2016(平成28)年の同日は、ブラジルのリオでの第31回オリンピック開幕の日だった。

●原爆被爆者の霊を悼む「厳粛」な式典の模様を中継したテレビが、リオの「狂騒」を煽り立てるように伝えていた。

●この「厳粛」と「狂騒」の間には、「71年」という時間が存在する――それには「平和の時代」という重要なクレジットが付く。

●戦争とは「破壊と殺戮」以外のなにものでもない。
 「殺さなければ殺される」という救い難い「原型」が変わることはない。

●この「71年間」という時間は、日本とその国民にとって絶対的な価値をもつ。

●現在の日本の政情には「平和」という絶対的な価値を侮り、ゆがめ、ないがしろにするごとき「狂風」が吹き付けている。
 「平和の祭典」たるこの世界的イベントは2020年に、日本で行われることになっている。

●一方では、テロの危険など世界的に不安要素は増大している。そして、中国との領海問題。さらに北朝鮮の横暴ルール無視問題……沖縄問題ともども、その対応や処理には現政府の賢明な判断と行動が求められる。

●ちなみに、8月9日は長崎にも原爆が投下された日だ。
 広島はウラン型原爆、長崎にはプルトニウム型原爆が投下された。それぞれ別種のもので「実験」されたのではといわれている。


 戦争を手段として目論む政治家たちは、自分の無能を自認せよ。党派の闘争の計算者として戦争を利用しようとする政党政治家は、罪人である。
――サンドバーグ(アメリカ/詩人・伝記作家)


●どんな賢い犬や猫も、過去や歴史を溯って学び究め、今後を、未来の在り方を創造しようとはしない。「人間だからこそ」平和であることの意義をしっかりと理解し、それを断固として守ろうと努めるのだ。

●オリンピックの日本体操チームの美技も――
 イチロー選手の「3000本安打記録」も――
 熱戦の夏の選抜高校野球のプレーも――
 「ポケモンGO」とやらの異様な暴走ぶりも――
 テレビのラフ(粗雑)で不作法な食べ歩き番組も――
 夏休みの気ままな家族旅行も――
 総立ちと熱狂のロックコンサートも――

 すべて「平和でなければ」成立しない!
 人は、人間は――あらためてそれを(!)考えるべきだ。



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ケイちゃんの目 ↓

創作のためのロケハン/林芙美子記念館
新宿区下落合

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— posted by 本庄慧一郎 at 12:00 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第481回(通算593回)


「処女作」というキラキラ語

●それにしても――
 何とか書きまとめた生涯で初めての作品(小説)が、さいわい出版刊行されて本として市場に出た場合――その作品を「処女作」と称すらしい。(もちろんナマ原稿のまま死蔵されていても「処女作」なのだろうが)

●それにしても――
 当初、演劇(舞台脚本&演出)を志望しながらも生活費稼ぎに追われて、開局したばかりの民放ラジオ局の仕事にのめり込んだ。
 以後、すぐそのあと開局した民放テレビ局の仕事などをムキになってこなした。
 さらに、テレビ局の大勢のスタッフたちと組んでの作業よりも、自分自身でプロデュースできる――「思いのままになる場所を」というコンタンをもった。
 それで、TVCMの企画・コピー・作詞(音楽制作等)のクリエイティブハウスを自分の手でつくることにした。

●それにしても――
 そのクリエイティブ集団はトントン拍子に進展したのだが――結局は重要課題である「資金ぐり」などのマネージメント面で頓挫する。

●それにしても――
 つまるところ、放送作家やTVCM制作の仕事は――しょせん複数の者たちの協同作業で、その点が当時の本庄慧一郎(望田市郎)の強い不満として胸の底にわだかまった。

●それにしても――
 放送作家もコピーライターも「物書き業」ではあるが――とことんのところで「個人作業」ではない。
 それならこの際「作家」というフィールドに挑戦したいと強く念願した。
 その当時、身辺の事情はややこしく混乱していた――しかし、その整理作業に必死に取り組んだ。

●それにしても――
 「作家作業」という「小説執筆環境」とはほど遠い状況のさなかで、何とか400字詰めの原稿用紙480枚という大作(?)に挑戦し――何とかまとめた。
 出版社に――というアテもコネも皆無だった。

●それにしても――
 その時、影書房という小さな出版社の社主だった松本昌次氏を紹介してくれる人がいた。
 松本氏は「いますぐというわけにはいかないが、近い将来ホンにしてあげましょう」と確約してくれたのだ。

●それにしても――
 ラジオ・テレビメディアの仕事(番組の構成・脚本など)では、結局は「グループ作業の一員」になってしまう――という不満を、とにかく「望田市郎作」や「本庄慧一郎作」のクレジットで発表したい――という希望と意欲は尖っていった。

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望田市郎(本庄慧一郎)の「処女作」となった著作本(影書房1992年刊)


●それにしても――
 この小説「処女作」は、劇団ピープルシアターの公演(脚色森井睦氏)で1995年10月と1998年10月に上演され好評を博した。
 さらに本庄自身の脚色で2012年9月(テアトルアカデミー睦組/演出睦五朗氏)で上演されて、こちらも大好評だった。

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●それにしても――
 影書房社主で編集者でもある松本昌次氏は、
 「処女作というモノは、ゴチャゴチャ手を入れないほうがいい」
 とおっしゃると、その「処女作」をすんなりホンにしてくれた。ラッキーだった。

●それにしても――
 「処女作」というコトバを広辞苑でひいた。
 「処女/処女受胎/処女地/処女膜/処女林」など、活字を読んでいるだけでドギマギするような単語が並んでた。

●それにしても――
 ずいぶん原稿用紙を書き捨てたはしたが、文字通り生まれて初めてまとめた(480枚)の小説が、きちんと装丁された(イラスト・デザイン高氏雅昭氏)文句なしの「出版物」になって市場に出たのだ。

●それにしても――
 その段階では松本昌次氏について、本庄は正直、詳細に存じ上げなかった。
 しかし、松本氏の編集者としての経歴は「本好きだった本庄」をあらためて仰天させた。

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松本昌次氏 著作本

   

松本昌次(まつもとまさつぐ)
 1927年10月、東京生まれ。高校教師等を経て、53年4月から83年5月まで未來社勤務。同年6月、影書房創業、2015年7月、同社を退く。その後も編集者として現在に至る。
 著書:『朝鮮の旅』(すずさわ書店・1975年)、『ある編集者の作業日誌』(日本エディタースクール出版部・1979年)、『戦後文学と編集者』(一葉社・2001年)、『わたしの戦後出版史』(トランスビュー・2008年)。
 編書:『西谷能雄 本は志にあり』『庄幸司郎 たたかう戦後精神』(ともに日本経済評論社・2009年)。
松本氏著作最新刊『戦後編集者雑文抄/追憶の影』(一葉社・2016年)奥付より


●それにしても――
 編集者として松本昌次氏が採り上げた作家・評論家の諸氏と、その作品・評論が、いずれも快い納得感を与えてくれた。
 そして現在も、松本昌次氏はご健在で、執筆と講演活動でお忙しいようだ。

●それにしても――
 どっぷり全身つかっていた電波メディアの仕事(ラジオ・テレビ・TVCM等)から訣別して、この本庄も何とか「作家」を名乗れる著作本を出せた。

●それにしても――
 ラジオ・テレビ、そしてTVCM時代の仕事仲間とはとことん疎遠になった。
 正直「名刺なければタダの人」のようなお方ばかりだったものねぇ。

●それにしても――
 テレビというメディアとその番組(とりわけエンターテインメント番組!)をツラツラ眺めていると「この出演者たち……大丈夫かねぇ」とつい呟いたりしてしまう。

●それにしても――
 「物書き業、半世紀あまり」のほぼ半分のあたりで、それまでの電波メディアの仕事からあえて「作家」「脚本家」にスイッチして、とにかくもうひと仕事と呟いている昨今――あらためて歩んできたいままでの道、そしてこれから進むべき道をじっくり見直して、新しい「処女地」「処女林」へと歩き出そう! と意欲している昨今だ。

 松本昌次氏のご健筆、ご活躍を心から祈念しております。


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ケイちゃんの目 ↓

盛夏の小さな命たち
花と虫と実と

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— posted by 本庄慧一郎 at 01:48 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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