テレビメディアとゲーノー人
禍(わざわい)は福の種。福は禍の種。
――吉田松陰
●そういえば――
防衛費という名目の予算は、2016年度5兆541億円から、2017年度予算の概算要求総額は、過去最大の5兆1685億円へとハネ上がった。
同時に、軍事に応用可能な基礎研究費を助成する『安全保障技術研究推進制度』の予算として、16年度の6億円から18倍増となる110億円を要求したという。
公金(税金)の食い荒らし現象は、すでに「目に余るもの」にイライラしてきた。
●そういえば――
かのマスゾエ氏の問題をはじめ、国会議員らの不透明金銭問題。
同時に都議などの政務活動費などの不正疑惑。
(同じ筆跡のン百枚もの領収書を提出した女性国会議員とか)あのマスゾエ氏問題と同質の「不正」は解決などしていない。
(朝日新聞2016年8月10日夕刊より)
(朝日新聞2016年8月22日朝刊より)
●そういえば――
予算高騰の異状が問題視されている五輪問題。さらに、築地市場の豊洲移転問題――どれもこれも公金食い荒らしのスキャンダルばかりだ。
(東京新聞2016年9月1日朝刊より)
(朝日新聞2016年9月1日朝刊/週刊文春広告より)
●そういえば――
スキャンダルといえば、「テレビメディアとゲーノー人」という構図もエスカレートするばかりだ。
現在のテレビというメディアは、インターネットなどの台頭で(かつて、映画がテレビの影響をモロに受けてたちまち衰退したと同様に)いわゆる視聴率獲得のために目の色を変えている。
●そういえば――
「テレビ番組視聴率ランキング」から時代劇が消えたのは、記憶に新しいが、このところ現代物のドラマも「ベスト20」(NHKは別として)には登場しない。
(朝日新聞2016年9月1日朝刊より)
●そういえば――
ゴールデンタイムとやらの番組の質は下落するばかりだ。
本庄慧一郎は、現在も「日本放送作家協会・日本脚本家連盟」の(創立以来の)会員であることには変化がないか、現業からは離れた。(小説や舞台脚本執筆に移った)
つまり、本庄慧一郎の出身母体は、民放ラジオ・テレビだ。
しかし、そのテレビというメディアと、とりわけ娯楽番組と称されるモノに嫌悪感をもっている。
●そういえば――
とりわけ、テレビメディアには「パラサイト」と言っていい人種がウヨウヨしていると言ってきた。ハンパで未熟で図々しいだけの連中の悪のり悪はしゃぎだけの番組が横行している。
●そういえば――
ある日ある時、何となくテレビを眺めていたら、劇団民藝の故宇野重吉氏の子息寺尾 聰氏と、浅草出身のコメディアンA・H氏の子息であるA・Tがインタビューされる番組を続けて見た。
寺尾氏は分相応の話しぶりで好感がもてたが、バラエティ番組で売れっ子のA・T氏の場合は、いかにも「成り上がり」という臭気フンプンで……不快になった。
●そういえば――
「テレビとゲーノー人」という関わりの中で、みるみる堕落してゆく者は多い。
今回の女優高畑淳子さんと息子のケースも、その典型的な例ともいえる。
●そういえば――
高畑淳子さんの出身母体は、演劇史的にいえば新劇――劇団青年座だが、彼女はこのところテレビでチヤホヤされていた。
かつて、同じ劇団に山岡久乃さん(1926年〜1999年)、東 恵美子さん(1924年〜2010年)という女優がいたが、お二人とも、テレビドラマなどでも人気を得たがふだんはつつましやかで控えめ――好感のもてるお人たちだった。
●それにしても――
テレビというメディアで知名度を広め、その人気にのっていっときチヤホヤされた者が、以来、人間としてハナ持ちならない存在に変容するケースをいくつも知っている。
●それにしても――
現在のテレビのエンターテインメント番組のカラ騒ぎ、悪はしゃぎぶりは異状だ。
さらに、これらの「人気者」たちも現実対応という点では、まるで不適格者が続出するのも否めない。
脱線淫行行動(不倫騒動なんて上質なモノではない?)
そして、違法薬物汚染、さらに……枚挙にいとまがない。
●それにしても――
人生でもっとも大事にしなければならない10代から成人期への季節を、「テレビ・ゲーノー界」の表層でウロウロして過ごしてしまった若者たちは――どうするんだろうなぁ。他人ごとながら気にかかる。
テレビ・マスコミ業界のオモテもウラも知っている者はいま、やたらイライラしているぞ。
●それにしても――
政治の分野では、「税金の荒っぽい使い捨て」にハラが立つ。
そして、「テレビ・ゲーノーの世界のイージーでいいかげんな成り上り族」にとことんハラを立てている。
●あえて申しあげたい――
テレビというマスメディアを利用して成り上がるのは自由だが、もし、現在や先行きがゴタついたら、それ相応の対応を自分で考えろ。
その「非常事態の時だけ」一般人と同じようにとはいかないんだからね。
こっそりFO(フェイドアウト)するわけにはいかないのだ。
理由は「テレビメディアという特別なゾーンでいい気になった者」には、それ相応の責任があるのダ!
●そういえば――
ひとくちに演劇といっても、歌舞伎やオペラ、ミュージカル、大衆演劇、そして「新劇」というジャンルなどがある。
「新劇」の原点は築地小劇場(1924年〜1945年)といわれているが、その主流と称されてきたのが、劇団俳優座・劇団民藝・文学座といわれてきた。
「新劇」という分野の人々は、「食うや食わずでも、納得のいく芝居を」という理想をもっていた。
●そういえば――
やはり、生活費や公演の資金を得るために新劇人たちはずっと映画やテレビに出演して、そのカテを得てきた劇団青年座も、俳優座から派生したグループで、テレビのためのプロダクションではない。
●そういえば――
つい最近の週刊誌の見出しに、「高畑淳子の建築中2億円の豪邸、売却か」(記憶があいまいだけど)とあった。いわゆるかつての新劇俳優にはあり得なかったコトだ。
「清貧に耐えて理想の演劇に生きる」という本来のフィールドには大違いのコースに流され、おぼれて……やがて、流行の波間に沈んでゆく者はかぞえきれない。
●そういえば――
高畑淳子とその息子も、テレビというメディアの濁流に押し流されてゆく、あまたの「消えゆく人たち」になるのか?
ケイちゃんの目 ↓
師の劇作家三好十郎のこの本は
昭和55年(1980年)の出版である