「社会&芸能・つれづれ愚差」第487回(通算599回)


「爽秋」という季節は来るのかね?

●それにしても――
 またもや「政務調査費」なる公金を、領収書の数字を改ざん(ex:「1」を「4」に)して、「横領」した議員たちのニュースを見た。
それにしても情けない連中である。

●それにしても――
 仮にも「選挙」で住民に選出された「公職」を利用してのルール違反――というより犯罪。
人間として恥さらし、ハレンチの行為も、ど頭をさげて辞職すれば帳消しになると思っているようだ。

●それにしても――
 彼らには家族がいるだろう。父母や妻や子どもたち。そして身近にいる血のつなりのある者たち――。
 いやいや、そんな関わりの中で「取り返しのつかない悔恨」など、あの男たちの心情にはカケラもないのだろう。
 犬や猫や猿やブタほどのデリカシイもないか。

●それにしても――
 「築地市場」の移転予定だった「豊洲新市場」に関わる「工事スキャンダル」。
 ひたすらウンザリ・ゲンナリするほどにデタラメで醜悪の臭気ふんぷんである。

●それにしても――
 「戦争ごっこ」の好きなヤカラがあっちにもこっちにもウヨウヨしていて、まったくイヤになるなあ!
将来の戦争には勝利はない。
両者全滅に終わる。
――ラッセル(イギリスの政治家/1792〜1878年)
 ㊟ラッセルは130年以上も前に言っている!
 人類の知恵や良識は、進歩革新がないばかりか、後退しているね。


●それにしても――
 「不浄不潔にウジ虫。税金公金に金喰い毒虫」の悪例はしつこく続く。
 富山市議会議員連中の政務調査費がらみの不正事件など。卑しく浅ましいスキャンダルばかりで! 2016年9月15日現在、7人辞職のようだ。
 人間の我欲のうす穢さにはウンザリするばかりだ。

●それにしても――
 人生での、いや人間の「汚点」「恥ずべき履歴」というものは、ど頭をただ深く下げても帳消しにはならない――と思うけど。
 しかも、「そのこと」を当のご本人がケロリと忘れてしまうようなことでは……ねえ!
 「公金横領・着服」なんて者たちは、自分のハレンチな行為をトコトンどう思ってんのかねえ。



NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

わが家の庭の花たちの記憶

487-599-1

487-599-2

487-599-3

487-599-5

487-599-4

487-599-6

— posted by 本庄慧一郎 at 01:48 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第486回(通算598回)


「虚」という魔物がいる?

●それにしても――
 JR小海線清里駅。
 小海線北隣りの野辺山駅に次いで、日本で2番目に高い場所にある駅とか。
 かつて訪れた折は高原の町としてこの清里の記憶は清々しく品位のある町として鮮明だった。

●それにしても――
 テレビのルポで、その清里の町の「現在」を見た。
 1980年代「第2の原宿」といわれたという混雑振りが紹介されていた。
 そして「現在」の閑散としたストリートの風景は、人の姿も見えず、また寂寞としていた。
 土地のお店の人の証言では「もともと、この淋しさは夏休みが終わったことなどに関係ない」ということだ。

●それにしても――
 その狂気的なブームにのって新しく建てられた都会風のホテルやレストランやストアが、いまは無残な姿で放置されたままで自然の風景をぶち壊していた。
 「虚栄」は消滅したあとにも醜さを遺す。

●それにしても――
 「虚栄」「虚飾」「虚勢」「虚威」「虚位」……と、見せかけだけのまがいものがのさばり通る昨今である。
 清里に静けさは戻ったかもしれないが、かつての「清々しい自然のたたずまい」は元に戻ることはないようだ。

●それにしても――
 ハイクオリティの雑誌『東京人』に(1987年から5年間)『とうきょうヒッチはい句』と題して「街の写真と五七五を4句」そして短文のエッセイを担当させてもらった。(月刊1冊で3カ所)その場所の総数は126カ所に及んだ。
 その企画の「まえがき」に書いた。
 「街は人がつくる。しかし、出来上がったその街は、こんどは人間を飼育しはじめる」と。
 たとえば、新宿歌舞伎町を考えてほしい。
 店らしい店が1軒もない頃のこの街を見知っている本庄は、いま「街が飼育したその人間たちによって、こんどはその街自身が飼いごろしにされる」と考えているのだ。あの高原の美しい町清里は、これからどうなるのかなぁ。

●それにしても――
 街も、そして人間も、「虚栄」「虚飾」「虚勢」「虚威」「虚位」などに取り憑かれたら、やっぱりそのあとの人生に寂寥の風が吹く――と思っているのデス。

●それにしても――
 「虚」という字のつく魔物は、テレビ・ゲーノーのフィールドにもウヨウヨしているよねぇ!


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

03

デザイン:高氏雅昭氏


『東京ろまんちっ句』著望田市郎(本名)1996年 冬青社刊より

486-598-1p18

486-598-2p19





486-598-3p192

486-598-4p193





486-598-5p244

486-598-6p245





486-598-7p256

486-598-8p257

— posted by 本庄慧一郎 at 02:27 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第485回(通算597回)


テレビメディアとゲーノー人

 吉凶はあざなえる縄のごとし。
                ――『太平記』


 禍(わざわい)は福の種。福は禍の種。
                 ――吉田松陰


●そういえば――
 防衛費という名目の予算は、2016年度5兆541億円から、2017年度予算の概算要求総額は、過去最大の5兆1685億円へとハネ上がった。
 同時に、軍事に応用可能な基礎研究費を助成する『安全保障技術研究推進制度』の予算として、16年度の6億円から18倍増となる110億円を要求したという。
 公金(税金)の食い荒らし現象は、すでに「目に余るもの」にイライラしてきた。

●そういえば――
 かのマスゾエ氏の問題をはじめ、国会議員らの不透明金銭問題。
 同時に都議などの政務活動費などの不正疑惑。
 (同じ筆跡のン百枚もの領収書を提出した女性国会議員とか)あのマスゾエ氏問題と同質の「不正」は解決などしていない。

NONALNUM-3438352D3539372DBFB7CAB9A3B1

(朝日新聞2016年8月10日夕刊より)


NONALNUM-3438352D3539372DBFB7CAB932

(朝日新聞2016年8月22日朝刊より)



●そういえば――
 予算高騰の異状が問題視されている五輪問題。さらに、築地市場の豊洲移転問題――どれもこれも公金食い荒らしのスキャンダルばかりだ。

NONALNUM-3438352D3539372DBFB7CAB933

(東京新聞2016年9月1日朝刊より)


NONALNUM-3438352D3539372DB5ADBBF6B9ADB9F0

(朝日新聞2016年9月1日朝刊/週刊文春広告より)



●そういえば――
 スキャンダルといえば、「テレビメディアとゲーノー人」という構図もエスカレートするばかりだ。
 現在のテレビというメディアは、インターネットなどの台頭で(かつて、映画がテレビの影響をモロに受けてたちまち衰退したと同様に)いわゆる視聴率獲得のために目の色を変えている。

●そういえば――
 「テレビ番組視聴率ランキング」から時代劇が消えたのは、記憶に新しいが、このところ現代物のドラマも「ベスト20」(NHKは別として)には登場しない。

NONALNUM-3438352D3539372DA5E9A5F3A5ADA5F3A5B0C9BD

(朝日新聞2016年9月1日朝刊より)



●そういえば――
 ゴールデンタイムとやらの番組の質は下落するばかりだ。
 本庄慧一郎は、現在も「日本放送作家協会・日本脚本家連盟」の(創立以来の)会員であることには変化がないか、現業からは離れた。(小説や舞台脚本執筆に移った)
 つまり、本庄慧一郎の出身母体は、民放ラジオ・テレビだ。
 しかし、そのテレビというメディアと、とりわけ娯楽番組と称されるモノに嫌悪感をもっている。

●そういえば――
 とりわけ、テレビメディアには「パラサイト」と言っていい人種がウヨウヨしていると言ってきた。ハンパで未熟で図々しいだけの連中の悪のり悪はしゃぎだけの番組が横行している。

●そういえば――
 ある日ある時、何となくテレビを眺めていたら、劇団民藝の故宇野重吉氏の子息寺尾 聰氏と、浅草出身のコメディアンA・H氏の子息であるA・Tがインタビューされる番組を続けて見た。
 寺尾氏は分相応の話しぶりで好感がもてたが、バラエティ番組で売れっ子のA・T氏の場合は、いかにも「成り上がり」という臭気フンプンで……不快になった。

●そういえば――
 「テレビとゲーノー人」という関わりの中で、みるみる堕落してゆく者は多い。
 今回の女優高畑淳子さんと息子のケースも、その典型的な例ともいえる。

●そういえば――
 高畑淳子さんの出身母体は、演劇史的にいえば新劇――劇団青年座だが、彼女はこのところテレビでチヤホヤされていた。  かつて、同じ劇団に山岡久乃さん(1926年〜1999年)、東 恵美子さん(1924年〜2010年)という女優がいたが、お二人とも、テレビドラマなどでも人気を得たがふだんはつつましやかで控えめ――好感のもてるお人たちだった。

●それにしても――
 テレビというメディアで知名度を広め、その人気にのっていっときチヤホヤされた者が、以来、人間としてハナ持ちならない存在に変容するケースをいくつも知っている。

●それにしても――
 現在のテレビのエンターテインメント番組のカラ騒ぎ、悪はしゃぎぶりは異状だ。
 さらに、これらの「人気者」たちも現実対応という点では、まるで不適格者が続出するのも否めない。
 脱線淫行行動(不倫騒動なんて上質なモノではない?)
 そして、違法薬物汚染、さらに……枚挙にいとまがない。

●それにしても――
 人生でもっとも大事にしなければならない10代から成人期への季節を、「テレビ・ゲーノー界」の表層でウロウロして過ごしてしまった若者たちは――どうするんだろうなぁ。他人ごとながら気にかかる。
 テレビ・マスコミ業界のオモテもウラも知っている者はいま、やたらイライラしているぞ。

●それにしても――
 政治の分野では、「税金の荒っぽい使い捨て」にハラが立つ。
 そして、「テレビ・ゲーノーの世界のイージーでいいかげんな成り上り族」にとことんハラを立てている。

●あえて申しあげたい――
 テレビというマスメディアを利用して成り上がるのは自由だが、もし、現在や先行きがゴタついたら、それ相応の対応を自分で考えろ。
 その「非常事態の時だけ」一般人と同じようにとはいかないんだからね。
 こっそりFO(フェイドアウト)するわけにはいかないのだ。
 理由は「テレビメディアという特別なゾーンでいい気になった者」には、それ相応の責任があるのダ!

●そういえば――
 ひとくちに演劇といっても、歌舞伎やオペラ、ミュージカル、大衆演劇、そして「新劇」というジャンルなどがある。
 「新劇」の原点は築地小劇場(1924年〜1945年)といわれているが、その主流と称されてきたのが、劇団俳優座・劇団民藝・文学座といわれてきた。
 「新劇」という分野の人々は、「食うや食わずでも、納得のいく芝居を」という理想をもっていた。

●そういえば――
 やはり、生活費や公演の資金を得るために新劇人たちはずっと映画やテレビに出演して、そのカテを得てきた劇団青年座も、俳優座から派生したグループで、テレビのためのプロダクションではない。

●そういえば――
 つい最近の週刊誌の見出しに、「高畑淳子の建築中2億円の豪邸、売却か」(記憶があいまいだけど)とあった。いわゆるかつての新劇俳優にはあり得なかったコトだ。
 「清貧に耐えて理想の演劇に生きる」という本来のフィールドには大違いのコースに流され、おぼれて……やがて、流行の波間に沈んでゆく者はかぞえきれない。

●そういえば――
 高畑淳子とその息子も、テレビというメディアの濁流に押し流されてゆく、あまたの「消えゆく人たち」になるのか?


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓


師の劇作家三好十郎のこの本は
昭和55年(1980年)の出版である

NONALNUM-3438352D3539372DCBDC

— posted by 本庄慧一郎 at 12:11 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第484回(通算596回)


「平和だからこそ」の意味

●そういえば――
 「オリンピック憲章」第6条には、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めている――という。

●そういえば――
 国境を越え、国情を克服し、得意のスポーツ競技を通じてフェアなコンペにのぞむ――というのが確固たるオリンピック精神のコンセプトだ。

●そういえば――
 参加国206、参加人数約11,000人以上。
 新聞等の「メダル獲得表」の国名リストを見ると、その国名も、その国の位置や場所も知らないケースも多い。

●そういえば――
 「メダル獲得数表」の下位の「銅1個」という表記の10カ国の国名を見て、あらためて「世界各国要覧」の頁を開いて認識を深めた。

●そういえば――
 内戦などの混乱のために「祖国の代表」になり得ない選手10名の「難民選手団」の存在は気になった。
 「メダル獲得争い」に躍起になる大勢の者たちのカゲで、「命がけ」で参加する者たちがいるのだ。

●そういえば――
 オリンピック代表選手の壮行会で(オリンピック・パラリンピック)組織委員会会長の森喜朗氏が「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」とアナクロニズムそのもののような発言をして問題視された。
 また彼はオリンピック予算の高騰問題にふれられると「私はボランティアだからね」と見当違いの発言をする。
 リオ・オリンピックの閉会式の「日本のPR映像」で、アベ首相が登場したことも、この森氏が関わっているとか――。
 「真の平和主義」をコンセプトにしたオリンピックに、「偏狭なナショナリズム」は害毒はなるばかりだろ。

●そういえば――
 オリンピック開催中の熱にうかれたような新聞テレビなどのジャーナリズムの表現の中には――

 平和でなければ。
 平和だからこその。
 絶対の平和のために。

 こういうことばのアピールはなかった。

***

●それにしても――
 日本の4年後のオリンピックのための予算額は当初の800億円が3倍の2400億円にハネ上がっているとか。
 現在の日本は、とんでもない赤字国家(マイナス1千兆円?)である。

●そういえば――
 企業に所属するオリンピック出場選手にその企業の社長が「もしキミが金メダルを獲得してくれたら、1億円の報奨金を出すよ」と言った――というハナシをテレビで紹介していた。
 そして、金メダル500万円、銀メダル300万円……といった賞金が関係団体から出る――とかのニュースもあった。

●そういえば――
 オリンピックのしめくくりデータでオーバーヒートする新聞に、厚生労働省が発表した「2016年度の地域別最低賃金の改定結果」という記事があった。
 「最低賃金823円に/全国平均・上げ幅最大25円増」(注・時給)という見出しで活字があった。

NONALNUM-3438342D3539362DBFB7CAB9


 この数字を読んで、あなたはどう思いますか?

 (ボクは「オリンピック・ボケなんてごめんだぜ」と思ったネ)




NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

酷暑の夏の仕事机

484-596-1

484-596-2

484-596-3

— posted by 本庄慧一郎 at 02:05 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第483回(通算595回)


8月15日(昭和20年/1945年)の記憶と記録

●71年前の8月15日は「ドピーカン」(映像作りのスタッフなどが使う業界用語で、パーフェクトというべき晴天のこと)だった。
 正午の「玉音放送」(天皇陛下ご自身のメッセージ)は、練馬区石神井町8丁目の叔父の家の前の道で、叔母と二人、直立の姿勢で聞いた――その放送を近くの隣組長の高橋氏がスピーカーを通して大音量で流したのだ。

●その年――昭和20年(1945年)の初頭から春先にかけて、アメリカ軍の大型爆撃機B29等による空襲は日常化していた。
 あの「3月9日〜10日」のいわゆる「下町大空襲」の猛爆撃で、すでに一般市民は恐怖と混乱のウズの中で右往左往していた。

●本庄慧一郎(望田市郎)は、北区滝野川第六小学校6年生。
 進学進路を考えるゆとりなどまるでない、ひたすら戦々恐々とした日々だった。
 しかも、ちっぽけな家も家財道具も、大事にしていた学校用具も、4月13日の夜間空襲で灰燼になった。
 しかし、唸りをあげて落下する大量の焼夷弾を、その業火の下をくぐりぬけて、九死に一生を得た。

●そして、文字通り「着の身着のまま」の父親と弟の3人(母親は前年に病死していた)は、母親の実家である石神井町の小沢家に頼み込んで避難させてもらっていたのだ。

●8月15日正午の「玉音放送」の天皇陛下のメッセージの意味は判別つかなかった
 ――しかし、すぐそれは「大東亜戦争は日本の敗戦によって終結した」ということを知った。

●もし、あと2、3年早く生まれていたら「特攻隊に志願して」戦死していたはずた。この空襲激化の数カ月間は「いつ爆死するか」という恐怖と「いつ餓死するか」という不安に翻弄され続けた日々だった。

●そして、戦後の生活は「綱渡り」のような不安定さに苛まれた。
 その辛苦と苦労は東京在住だった者でなければ、とうていわかるまい。
 いや、あの広島や長崎や、はたまた直接に空襲という名の業火と恐怖に翻弄された者でなければ、その地獄そのももの苦しみは「実感」できまい。

●いやいや、小生の「体験」よりも、もっと苛酷で残酷で悲惨な渦中で逝った方々も大勢いらっしゃる――
 その「地獄の時間」が、とにもかくにも昭和20年8月15日に断ち切られたことは間違いない。

近代史・昭和史等の本棚からの資料本

483-595-1

483-595-2

483-595-3

483-595-4

483-595-5

483-595-6

483-595-7

483-595-8



***


●絶対忘れることのできない「8月15日」。
 そして「8月6日の広島」、「8月9日の長崎」。

●リオ・オリンピックのテレビ中継を見ていて――思う。
 「それも、これも、平和であればこそだろう!」と。

●オリンピックのコンセプトの「フェアプレー」には、殺戮や破壊や侵略や征服はない。

●世界中の人々がそれぞれの国状を超え、国境を超えて集まり、ひたすらエネルギーと技を競い合うオリンピック――その大前提になる「世界平和」の重要性を、ここであらためて認識する思慮と英知を再確認すべきだと、ひたすら強く強く思う。



NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

NONALNUM-3438332D353935BEAFC7AF

戦時下のイチロー君


NONALNUM-3438332D353935B8BDBADF

「不幸中の幸(さいわい)」に救われての人生?

— posted by 本庄慧一郎 at 03:03 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
<< 2025.5 >>
SMTWTFS
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
 
※ ご注意 ※このウェブサイトに掲載されている、すべてのコンテンツの著作権は(有)望田企画室ににあります。
著作権者の許可無く、本サイト内の全てのコンテンツ・著作物について、無断での使用・転載・加工は一切お断りしております。