「社会&芸能・つれづれ愚差」第482回(通算594回)


8月6日(1945年&2016年)の意味。

●1945(昭和20)年8月6日。「広島に原爆が投下された日」だ。
 そして2016(平成28)年の同日は、ブラジルのリオでの第31回オリンピック開幕の日だった。

●原爆被爆者の霊を悼む「厳粛」な式典の模様を中継したテレビが、リオの「狂騒」を煽り立てるように伝えていた。

●この「厳粛」と「狂騒」の間には、「71年」という時間が存在する――それには「平和の時代」という重要なクレジットが付く。

●戦争とは「破壊と殺戮」以外のなにものでもない。
 「殺さなければ殺される」という救い難い「原型」が変わることはない。

●この「71年間」という時間は、日本とその国民にとって絶対的な価値をもつ。

●現在の日本の政情には「平和」という絶対的な価値を侮り、ゆがめ、ないがしろにするごとき「狂風」が吹き付けている。
 「平和の祭典」たるこの世界的イベントは2020年に、日本で行われることになっている。

●一方では、テロの危険など世界的に不安要素は増大している。そして、中国との領海問題。さらに北朝鮮の横暴ルール無視問題……沖縄問題ともども、その対応や処理には現政府の賢明な判断と行動が求められる。

●ちなみに、8月9日は長崎にも原爆が投下された日だ。
 広島はウラン型原爆、長崎にはプルトニウム型原爆が投下された。それぞれ別種のもので「実験」されたのではといわれている。


 戦争を手段として目論む政治家たちは、自分の無能を自認せよ。党派の闘争の計算者として戦争を利用しようとする政党政治家は、罪人である。
――サンドバーグ(アメリカ/詩人・伝記作家)


●どんな賢い犬や猫も、過去や歴史を溯って学び究め、今後を、未来の在り方を創造しようとはしない。「人間だからこそ」平和であることの意義をしっかりと理解し、それを断固として守ろうと努めるのだ。

●オリンピックの日本体操チームの美技も――
 イチロー選手の「3000本安打記録」も――
 熱戦の夏の選抜高校野球のプレーも――
 「ポケモンGO」とやらの異様な暴走ぶりも――
 テレビのラフ(粗雑)で不作法な食べ歩き番組も――
 夏休みの気ままな家族旅行も――
 総立ちと熱狂のロックコンサートも――

 すべて「平和でなければ」成立しない!
 人は、人間は――あらためてそれを(!)考えるべきだ。



NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

創作のためのロケハン/林芙美子記念館
新宿区下落合

482-594-1

482-594-2

482-594-3

482-594-4

— posted by 本庄慧一郎 at 12:00 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第481回(通算593回)


「処女作」というキラキラ語

●それにしても――
 何とか書きまとめた生涯で初めての作品(小説)が、さいわい出版刊行されて本として市場に出た場合――その作品を「処女作」と称すらしい。(もちろんナマ原稿のまま死蔵されていても「処女作」なのだろうが)

●それにしても――
 当初、演劇(舞台脚本&演出)を志望しながらも生活費稼ぎに追われて、開局したばかりの民放ラジオ局の仕事にのめり込んだ。
 以後、すぐそのあと開局した民放テレビ局の仕事などをムキになってこなした。
 さらに、テレビ局の大勢のスタッフたちと組んでの作業よりも、自分自身でプロデュースできる――「思いのままになる場所を」というコンタンをもった。
 それで、TVCMの企画・コピー・作詞(音楽制作等)のクリエイティブハウスを自分の手でつくることにした。

●それにしても――
 そのクリエイティブ集団はトントン拍子に進展したのだが――結局は重要課題である「資金ぐり」などのマネージメント面で頓挫する。

●それにしても――
 つまるところ、放送作家やTVCM制作の仕事は――しょせん複数の者たちの協同作業で、その点が当時の本庄慧一郎(望田市郎)の強い不満として胸の底にわだかまった。

●それにしても――
 放送作家もコピーライターも「物書き業」ではあるが――とことんのところで「個人作業」ではない。
 それならこの際「作家」というフィールドに挑戦したいと強く念願した。
 その当時、身辺の事情はややこしく混乱していた――しかし、その整理作業に必死に取り組んだ。

●それにしても――
 「作家作業」という「小説執筆環境」とはほど遠い状況のさなかで、何とか400字詰めの原稿用紙480枚という大作(?)に挑戦し――何とかまとめた。
 出版社に――というアテもコネも皆無だった。

●それにしても――
 その時、影書房という小さな出版社の社主だった松本昌次氏を紹介してくれる人がいた。
 松本氏は「いますぐというわけにはいかないが、近い将来ホンにしてあげましょう」と確約してくれたのだ。

●それにしても――
 ラジオ・テレビメディアの仕事(番組の構成・脚本など)では、結局は「グループ作業の一員」になってしまう――という不満を、とにかく「望田市郎作」や「本庄慧一郎作」のクレジットで発表したい――という希望と意欲は尖っていった。

NONALNUM-3438312D353933CBDC

望田市郎(本庄慧一郎)の「処女作」となった著作本(影書房1992年刊)


●それにしても――
 この小説「処女作」は、劇団ピープルシアターの公演(脚色森井睦氏)で1995年10月と1998年10月に上演され好評を博した。
 さらに本庄自身の脚色で2012年9月(テアトルアカデミー睦組/演出睦五朗氏)で上演されて、こちらも大好評だった。

NONALNUM-3438312D353933BDE9B1E9A5E0A1BCA5E9A5F3

NONALNUM-3438312D353933BAC6B1E9A5E0A1BCA5E9A5F3

NONALNUM-3438312D353933B1EAA4C8B0A6




●それにしても――
 影書房社主で編集者でもある松本昌次氏は、
 「処女作というモノは、ゴチャゴチャ手を入れないほうがいい」
 とおっしゃると、その「処女作」をすんなりホンにしてくれた。ラッキーだった。

●それにしても――
 「処女作」というコトバを広辞苑でひいた。
 「処女/処女受胎/処女地/処女膜/処女林」など、活字を読んでいるだけでドギマギするような単語が並んでた。

●それにしても――
 ずいぶん原稿用紙を書き捨てたはしたが、文字通り生まれて初めてまとめた(480枚)の小説が、きちんと装丁された(イラスト・デザイン高氏雅昭氏)文句なしの「出版物」になって市場に出たのだ。

●それにしても――
 その段階では松本昌次氏について、本庄は正直、詳細に存じ上げなかった。
 しかし、松本氏の編集者としての経歴は「本好きだった本庄」をあらためて仰天させた。

NONALNUM-3438312D353933BEBECBDCBBE1CBDC

松本昌次氏 著作本

   

松本昌次(まつもとまさつぐ)
 1927年10月、東京生まれ。高校教師等を経て、53年4月から83年5月まで未來社勤務。同年6月、影書房創業、2015年7月、同社を退く。その後も編集者として現在に至る。
 著書:『朝鮮の旅』(すずさわ書店・1975年)、『ある編集者の作業日誌』(日本エディタースクール出版部・1979年)、『戦後文学と編集者』(一葉社・2001年)、『わたしの戦後出版史』(トランスビュー・2008年)。
 編書:『西谷能雄 本は志にあり』『庄幸司郎 たたかう戦後精神』(ともに日本経済評論社・2009年)。
松本氏著作最新刊『戦後編集者雑文抄/追憶の影』(一葉社・2016年)奥付より


●それにしても――
 編集者として松本昌次氏が採り上げた作家・評論家の諸氏と、その作品・評論が、いずれも快い納得感を与えてくれた。
 そして現在も、松本昌次氏はご健在で、執筆と講演活動でお忙しいようだ。

●それにしても――
 どっぷり全身つかっていた電波メディアの仕事(ラジオ・テレビ・TVCM等)から訣別して、この本庄も何とか「作家」を名乗れる著作本を出せた。

●それにしても――
 ラジオ・テレビ、そしてTVCM時代の仕事仲間とはとことん疎遠になった。
 正直「名刺なければタダの人」のようなお方ばかりだったものねぇ。

●それにしても――
 テレビというメディアとその番組(とりわけエンターテインメント番組!)をツラツラ眺めていると「この出演者たち……大丈夫かねぇ」とつい呟いたりしてしまう。

●それにしても――
 「物書き業、半世紀あまり」のほぼ半分のあたりで、それまでの電波メディアの仕事からあえて「作家」「脚本家」にスイッチして、とにかくもうひと仕事と呟いている昨今――あらためて歩んできたいままでの道、そしてこれから進むべき道をじっくり見直して、新しい「処女地」「処女林」へと歩き出そう! と意欲している昨今だ。

 松本昌次氏のご健筆、ご活躍を心から祈念しております。


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

盛夏の小さな命たち
花と虫と実と

NONALNUM-3438312D353933B2D6A3B3

NONALNUM-3438312D353933B2D6A3B1

NONALNUM-3438312D353933B2D6A3B2

NONALNUM-3438312D3539338EC48ECF8EC4

— posted by 本庄慧一郎 at 01:48 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第480回(通算592回)


大橋巨泉さんのこと。

●2016年7月12日。大橋巨泉さんが亡くなられた。
 永六輔さんに続いての「同期の桜」ともいうべき人の逝去である。
 永さんともども、民放ラジオ、テレビで活躍された。

●彼は、民放テレビの番組司会者として人気を博した――。
 新聞の訃報欄記事は書いていた。
 その前段階ともいうべき時期から、この本庄はすでに永六輔や大橋巨泉、さらに前田武彦という諸氏と毎週、同じスポンサーの別の番組でいつも同じ場所にいた。

●彼らが「出演していた」のはラジオ日本(当時ラジオ関東)というラジオ局の『昨日のつづき』という、フリートークのオビ番組だった。
 紅一点として富田恵子さん(草笛光子さんの妹)が才気煥発ブリを発揮していた。

●1959(昭和34)年スタートの番組で、前々回(第478回通算590回 Link )当ブログでも触れた日本放送作家協会の創立総会があった年である。

●この『昨日のつづき』と本庄が担当した『おはよう参ちゃんですよ』(TV映画『名犬リンチンチン』で主役の坊やの声を女優で声優の北里深雪さんが演じた、オビのコント番組)で、TBSの朝の放送だった。
 この二つの番組のスポンサーが、参天製薬で、その担当部長の石田さんは、インテリで、寛容で、文句なしのお人柄だった。さらに両番組のディレクターはS氏で――気持ちのいい仕事だった。

●したがって『昨日のつづき』の録音現場をちょくちょくのぞいた――構成台本なしのアドリブというのは、メンバーの特質によるので、当時としてはユニークだった。永六輔、前田武彦、そして大橋巨泉の三人は、やがてラジオ、テレビの「出演者」として、表舞台へ出ていった。
 それぞれが、テレビタレントとして有名になった――。

***

●民放ラジオ・テレビ時代の先駆けとなったこのお三方が逝った。
 出発点はさして変わらなかったが、小生は彼らとは異なるコースを辿った。

●もちろん、生まれも育ちも、その後の「仕事場――マスコミ業界」も、彼らとは「微妙に異なるフィールド」 を歩んできた。
 巨泉氏が『11PM』などで喧伝したゴルフ、マージャン、競馬などなどとは本庄はほとんど関わらなかったのも――正直「業界の人」と「本番の仕事以外」でヤリトリするのがイヤだったからだ。

●もちろん、テレビ、マスコミに関わる仕事(とりわけTVCM制作など)では、大手広告代理店スタッフやクライアント担当スタッフなどとの小めんどうで手間ヒマのかかる作業は、実に要領よくノーリツ的にこなしたが。

●それと――近頃もしきりに感じるのだが、ラジオ、テレビなどのマスメディアの表舞台には、なにやら「人間の心身の目に見えぬ部分をやがて損ねるモノ」があるのではと危惧してきたのだ。
 「テレビマスコミ業界」という名の「磁場」には、つまるところ人間の心身に好ましからざる影響を及ぼす何かがあるのでは――と、密かに懸念しているのダ。

●前回のブログ更新日(原則週1回更新というルール)は本庄のバースデーだった。
 毎年おとずれるこの日を、今回から――

蘇生再生の日

 として有意義に迎えたいと思っている。


 人間とは、自分の運命を支配する自由な者のことである。
――マルクス(ドイツの経済学者/1818〜1883年)


●それにしても――
 「季候のいい時期の太陽を追い求めるようにカナダ、オーストラリア、ニュージランド、日本を1年で迎える「ひまわり生活」を続け、趣味を楽しんだ」(朝日新聞2016年7月20日)という大橋巨泉さん――本庄としては「へえ!」と目を丸くして居すくむばかりですねぇ。
 当方、ギャンブルなど一切不得手。社交性ゼロですけど、アチラへ行ったら……よろしくご指導のほどを、巨泉さん。

 改めて、皆様のご冥福をお祈りいたします。




NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

わが家の庭の、平和共存生物。

NONALNUM-3438302D353932A4E4A4E2A4EA

NONALNUM-3438302D3539322DA5C1A5E7A5A6

NONALNUM-3438302D353932C0E8C2E5A5ABA5A8A5EB

先代カエル


NONALNUM-3438302D353932C5F6C2E5A5ABA5A8A5EB

当代カエル


NONALNUM-3438302D353932A4D2A4E8A4C9A4EA

NONALNUM-3438302D353932A4E1A4B8A4ED

— posted by 本庄慧一郎 at 02:27 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第479回(通算591回)

サル歳――6回目の蘇生日!(ナンチャッテ)

●1932年7月22日生まれ。本名望田市郎。

 人生は
 いくたびかの死と
 いくたびかの復活との
 ひと続きである。
――ロマン・ローラン(1886〜1944年/フランスの作家)

●とにもかくにも――
 ふと気づけば「長寿」の仲間入りをすることになるようだ。
 しかし「生き恥をさらす」とか、のべつ「世話をやかせる」とか、やたら「ヒンシュクを買い、毛嫌いされる」とか……では、その意味がない。

●とにもかくにも――
 1945(昭和20)年の春――東京では、とくに3月10日のB29というアメリカの爆撃機300機の猛爆撃が20万発の焼夷弾を投下、手のつけられない惨状に、庶民は慄然とした。
 その後の4月13日は、北区滝野川も爆撃され、自宅は消滅した。

●とにもかくにも――
 文字どおりの「着の身着のまま」で、板橋(当時は郊外)までオタオタと父と幼い弟の3人で逃げ、印刷工場(大日本印刷――当時)まで渦巻く炎の下をかいくぐって……「九死に一生」を得た。

●とにもかくにも――
 「爆死か焼死」の危機をなんとかくぐり抜けた。
 そして、あらたに「餓死」という危機に晒されて8月15日の敗戦を迎える。

●それにしても――
 以後「平穏な生活」とはほど遠い歳月が続いて――。

●それにしても――
 予科練(海軍飛行予科練習生)とか、少年飛行兵とか、特攻隊とかの用語しか知らない少年は、1945年8月15日の敗戦によって急転直下、解放されたのだ。

●それにしても――
 それから72年。
 母方の兄弟(叔父たち)が、B級と称される大都映画に4人(監督、シナリオ、撮影、助監督)などに関わっていたことは幼少期から多大な影響を受けて――戦後いちはやく演劇・劇作をめざすようになった。

●それにしても――
 放送作家、コピーライター(広告、TVCM、制作)そして転進して文庫書き下ろし時代小説(約50冊)を書く。
 それに先がけてナマイキにも評論的なもの、自己啓発書も書いた。


 『広告・ほんね・うらおもて』(著望田市郎/TBSブリタニカ/1982年6月刊)

04



 『想像力と創造力で差をつけろ』(著本庄慧一郎/ぱる出版/1994年2月刊)

06



 『顔のない人間になるな』(著本庄慧一郎/総合法令/1994年3月刊)

07



 『伸びる男のキーワード101』(著望田市郎/総合法令/1994年10月刊)

05




●それにしても――
 これらの「エラソーに書いた本」は、1994(平成6)年に集中している。
 いまから20年余り前――キリキリと尖っていた時代だ。
 だが、自分で書いたホンの主旨やメッセージをないがしろには出来ない。

●それにしても――
 「爆死か餓死か」の死線を生き延びた者は「成り上がり」「成り下がり」を嫌悪する。
 己の人生を、きっちり律して生きたいと念じている。

●それにしても――
 「平和だからこそ」の真の価値をしっかり理解している者が少なくなった。
 「平和」であることを放棄する者。その価値を理解しようとしない者たちを――憎む。

●それにしても――
 ふやけて歪んだ現在の「飽食の時代」と同時に、「貧困と格差」というムジュンが共存する社会状況と、その異状を看過して恥じることのない政治屋たちを小生はとことん嫌悪している。

●本庄慧一郎のスローガン――
  顔にいい微笑を。
  そして――
  心で吠えろ!


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

脱稿済み舞台脚本リスト
(2016年7月22日現在)

NONALNUM-A4C9A4F3A4BDA4B3

NONALNUM-B1E9A4E9A4BBA4C6

NONALNUM-CBFCB0FAA4AD

NONALNUM-A5B8A5E7A5F3

NONALNUM-CCB4B0E3A4A4

NONALNUM-C9F7A4D2A4ABA4EB



目下、執筆中……

NONALNUM-A5B4A5EAA5E9

— posted by 本庄慧一郎 at 03:26 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第478回(通算590回)


永六輔さんのこと。

●2016年7月7日。永六輔さんが亡くなられた。
 享年83歳。心からのご冥福を祈ります。

●なにしろ、永六輔さんとの「対面」は、昭和39年(1959)9月。
 現在は、その後、日本脚本家連盟と名称を変えたが、その母体になった「日本放送作家協会」が創立された日の会場だった。
 つまり、本年2016年には「創立50周年」(放送作家協会からでは57年)を迎えたわけだ。

NONALNUM-3437382D3539302D2DB2F1CAF3


 もうひとつ、「つまり」といえば、永六輔さんとはその時からの「知己」であり、「同業者」であった――ということになる。

●その放送作家協会は、劇作家の大先輩の久保田万太郎先生以下、北条秀司、菊田一夫、宇野信夫(そして、本庄の師匠であった叔父の小沢不二夫)など、ベテランの先輩作家がズラリと顔を揃えていた。
 その創立総会に20代だった本庄も出席していた。
 が、その日その会のデータでは、「理事」としてすでに永六輔の名がある。
 さらに「評議員」として前田武彦の名もある。

●当時すでに、永六輔、前田武彦氏らは、ラジオ放送作家として現場の仕事をしていたのだ。
 とりわけ、永六輔氏は、すでにNHKラジオで活躍しはじめている。
 三木鶏郎の「トリローグループ」(ラジオのコント作家、出演タレントグループ)に関わっていたという。永六輔氏は高校生で、「投稿者」という立場で活躍。その才能を認められていた。

●本庄としては、劇作家小沢不二夫、同じく三好十郎という先生に師事し、演劇修業に努めていて、高校在学中から「コント投稿」という積極行動に出ることは叶わなかったのだ。

●そういえば、1960年代の民間放送は、まず民放ラジオの時代から始まり、やがてTVへと移行した。
 その時代を制作スタッフとして、また、その周辺の芸能フィールドで活躍したのは、永六輔、大橋巨泉、前田武彦、青島幸男、さらに阿久悠、野坂昭如、なかにし礼、五木寛之氏ら(順不同)である。
 小生(本庄慧一郎)としては、このグループ(数年の年齢差はあるが)の一人として、とにかく一生けんめいに走っていた。

●そういえば、今回の永六輔氏の訃報であらためて思ったのだが、すでに鬼籍に入られた人は多い。
 前田武彦、青島幸男、阿久悠、野坂昭如、そして永六輔の皆さん。
 共に民放ラジオ・テレビの現場でご一緒した人たちだった。

NONALNUM-3437382D3539302D2DA4CFA4ACA4AD


NONALNUM-3437382D3539302DCBDC

数ある永六輔著作本の一部

NONALNUM-343738A1DD353930A5C6A5ECA5D3B2E8CCCC

2016年2月4日放送『徹子の部屋』テレビ画面


 大橋巨泉、なかにし礼氏は、現在ガンとの闘病に努めているという。

●かく申す本庄も、いくつかのややっこしい病名の疾病に襲われたが、幸いに現在はシャッキリとして創作のデスクに座って仕事をしている。

●ラジオ・テレビ、そしてTVCM、時代小説などの仕事を経て……あらためていま、「初志」であった舞台脚本に腰をすえて挑戦している。
 現在のスローガンは次のフレーズである。

 「顔にいい微笑を。そして、心で吠えろ!」




NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

7月の仕事場

NONALNUM-3437382D353930BDF1BAD8A3B1

NONALNUM-3437382D353930BDF1BAD8A3B2

NONALNUM-3437382D353930BDF1BAD8A3B3

— posted by 本庄慧一郎 at 12:18 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
<< 2025.5 >>
SMTWTFS
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
 
※ ご注意 ※このウェブサイトに掲載されている、すべてのコンテンツの著作権は(有)望田企画室ににあります。
著作権者の許可無く、本サイト内の全てのコンテンツ・著作物について、無断での使用・転載・加工は一切お断りしております。