●1932年7月22日生まれ。本名望田市郎。
人生は
いくたびかの死と
いくたびかの復活との
ひと続きである。
いくたびかの死と
いくたびかの復活との
ひと続きである。
――ロマン・ローラン(1886〜1944年/フランスの作家)
●とにもかくにも――
ふと気づけば「長寿」の仲間入りをすることになるようだ。
しかし「生き恥をさらす」とか、のべつ「世話をやかせる」とか、やたら「ヒンシュクを買い、毛嫌いされる」とか……では、その意味がない。
●とにもかくにも――
1945(昭和20)年の春――東京では、とくに3月10日のB29というアメリカの爆撃機300機の猛爆撃が20万発の焼夷弾を投下、手のつけられない惨状に、庶民は慄然とした。
その後の4月13日は、北区滝野川も爆撃され、自宅は消滅した。
●とにもかくにも――
文字どおりの「着の身着のまま」で、板橋(当時は郊外)までオタオタと父と幼い弟の3人で逃げ、印刷工場(大日本印刷――当時)まで渦巻く炎の下をかいくぐって……「九死に一生」を得た。
●とにもかくにも――
「爆死か焼死」の危機をなんとかくぐり抜けた。
そして、あらたに「餓死」という危機に晒されて8月15日の敗戦を迎える。
●それにしても――
以後「平穏な生活」とはほど遠い歳月が続いて――。
●それにしても――
予科練(海軍飛行予科練習生)とか、少年飛行兵とか、特攻隊とかの用語しか知らない少年は、1945年8月15日の敗戦によって急転直下、解放されたのだ。
●それにしても――
それから72年。
母方の兄弟(叔父たち)が、B級と称される大都映画に4人(監督、シナリオ、撮影、助監督)などに関わっていたことは幼少期から多大な影響を受けて――戦後いちはやく演劇・劇作をめざすようになった。
●それにしても――
放送作家、コピーライター(広告、TVCM、制作)そして転進して文庫書き下ろし時代小説(約50冊)を書く。
それに先がけてナマイキにも評論的なもの、自己啓発書も書いた。
『広告・ほんね・うらおもて』(著望田市郎/TBSブリタニカ/1982年6月刊)
『想像力と創造力で差をつけろ』(著本庄慧一郎/ぱる出版/1994年2月刊)
『顔のない人間になるな』(著本庄慧一郎/総合法令/1994年3月刊)
『伸びる男のキーワード101』(著望田市郎/総合法令/1994年10月刊)
●それにしても――
これらの「エラソーに書いた本」は、1994(平成6)年に集中している。
いまから20年余り前――キリキリと尖っていた時代だ。
だが、自分で書いたホンの主旨やメッセージをないがしろには出来ない。
●それにしても――
「爆死か餓死か」の死線を生き延びた者は「成り上がり」「成り下がり」を嫌悪する。
己の人生を、きっちり律して生きたいと念じている。
●それにしても――
「平和だからこそ」の真の価値をしっかり理解している者が少なくなった。
「平和」であることを放棄する者。その価値を理解しようとしない者たちを――憎む。
●それにしても――
ふやけて歪んだ現在の「飽食の時代」と同時に、「貧困と格差」というムジュンが共存する社会状況と、その異状を看過して恥じることのない政治屋たちを小生はとことん嫌悪している。
●本庄慧一郎のスローガン――
顔にいい微笑を。
そして――
心で吠えろ!
そして――
心で吠えろ!
ケイちゃんの目 ↓
脱稿済み舞台脚本リスト
(2016年7月22日現在)
(2016年7月22日現在)
目下、執筆中……