「社会&芸能・つれづれ愚差」第67回(通算177回)

オノマトピア(擬音語)の遊び
 作曲家桜井順さんは、小林亜星さんと並ぶ業界トップランナーだ。広告業時代のぼくのきわめて数少ない〔畏友〕である。
 テレビやCM時代のつきあいで記憶に残っている人はごく少ない。が、桜井順さんのキャラクターはいまもって忘れないし好意をもっている。
 彼の手(作曲)になる作品は3000曲とか、それ以上とか。小生もコピーライター&CM作詞家の時代はずいぶん力添えを得た。
 そう、あの「黒の舟歌」や「マリリンモンロー・ノーリターン」などの名曲も彼のモノだ。
 その彼の名著「オノマトピア/擬音語大国にっぽん考」(電通刊)は、ユニークで面白い。
 文筆業の小生としては、毎日原稿用紙埋めに励んで50年というわけだし、現在も1日15枚を目標のシガナイ稼業に変化はないのだが……。
 古書店のような書ダナには雑多なホンがある。
「辞書にないことば面白読本」とか、そうそうずしりと手重りのするアンドルー・チャン著「アメリカ俗語事典」(研究社出版)とか「罵詈雑言事典」(東京堂出版)とかとか……ワンサとある。
 それこそ「チビチビ・チクチク」と一杯やりながら「モソモソ・パラパラ」と頁をくっての「チンタラ・チンタラ」の時間はけっこう楽しい。

そこで、下手くそなオノマトピア遊び
たとえば――駄作。
・「記者会見する福田総理」――「トッポラ・ヘッチョコ」
・「エビ養殖詐欺の社長」――「シュリンプリン・シランプリン」
・「大分の教育委員たち」――「ガックラ・ボケマン・ダラケンチョ」
             or「カネコネ・カネコネ・コテコテコテ」
・「前首相のアベさん」――「ニヤリンコ・ヌケリンコ・アナクロリンコ」
・「支持率凋落のブッシュさん」――「クレクレクレー爺・サルサル去ァレ」
・「バカ騒ぎタレントたち」――「バカタレ・アホダラ・タコツボラ」
・「アキハバラ文化」――「エテガッテラ・エコガッテラ」
・「あの吉兆ささやき女将」――「ハジマルダシーノ・シッポダシーノ」
              or「マッシロケケケ・マックロケケケ」
・「くいだおれ人形くん」――「ビックラコイテラ・ヒマジンウヨウヨ」
・「誰でもよかった症候群」――「デアウヲサイワイ・コロコロコロシーヌ」
・「石原都知事」――「シバシバシーバ・ゴーゴーマンダー・ソクヤメーロー」
         or「ウソカクシ・メカクシ・シリカクシ・金カクシ」
・「東京都教育委員会」――「タテッテバ・ウタエッテバ・ウルサイッテバ」
・「公金食い荒らしの役人たち」――「ヨクボケーノ・ジゴクユキビッチ」
・「ニュースキャスター山本モナ」――「スベッチャッタ・ヤッチャッタ・バレチャッタ」
・「世界のファーストレディ」――「ババババ・ババババ・ババババ・ババ」
・「エコ・タレント・ブーム」――「ギソギソギソ・ギタイ・ギタイ・ギタイ」
・「ビラ配り・過当取り締まり?」――「ジメジメ・イジメ・イチャモンスター」

— posted by 本庄慧一郎 at 11:05 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第66回(通算176回)

08年6月29日・新宿文化センター大ホールのコンサート
 タイトルは「2つの現代曲によるふたりの巨匠展/フレンドリーコンサート――こどもたちのミサ&カルミナ・ブラーナ」

 合唱・東京オラトリオ合唱団/新星合唱団/オーケストラとうたうこども合唱団/多摩グリーンロタキッド・クラブ/世田谷区立祖師谷小学校児童合唱団/世田谷区立松沢小学校児童合唱団
 そしてユニークな編成のオーケストラとソプラノ・テノール・バスの歌い手たち。
 指揮・郡司博/ホルスト・マイナルドウス

快い感興に満ちた臨場感
 残念ながら歌曲の言葉(原語)は、すんなり理解できず、パンフレットの解説の概略を頼みに聴いた。
 が、意味の詳細が理解できずとも、そのライブ・ステージから放射される合唱とオーケストラの熱いアピールは文句なしに心を熱くし、揺さぶった。
 たとえば、新星合唱団の(成人の男女混声)と児童たちの合唱団、そしてオーケストラの三百数十人で埋めつくされたステージはその景観も整然と美しく、十分に魅力があるが、オーケストラと合唱のハーモニーは、いちずで、ひたすらで、聴衆を見事にインボルブするクリエイティブなパワーを有していた。
 音楽に対して真摯で情熱的なハートをもった人々が生み出すライブ音は、知識的な理解や解釈の不足など軽く凌駕(りょうが)して、良質の音楽の醍醐味を満喫させてくれた。
 演奏後の観客の心からの拍手と、出演者たちの高揚したリアクションに、コンサートの、そしてライブの、なにものにも変え難い悦びが横溢していた。
 ワイフともども、心からの拍手をした。



新しい交友のことども
 テレビ・ラジオ、そしてCMや広告の仕事をして来たせいで、おつきあいする人々は多かった。
 しかし現在は、過去の仕事の関係者とほとんどつきあいはない。
 もともと、ゴルフもマージャンもギャンブルも、趣味としての蕎麦打ちとか旅行なども格別の興味も関心もない。
 だから、新しい友人はあえて必要としない――。
 だが、実際には、「ムカシからのつきあい」とは別の「新しい友人」はどんどん増えている。
 このコンサートのシリーズのベースになっている新星合唱団のバスを担当する宇敷裕さんとは最近親しくさせて頂いている。
 それは、小生の心ある音楽仲間と家族全員の協力で制作した自主CD「平和を願う歌・あなたに語りかける組曲/鳥になれたらいいね」をお求め頂いたのがきっかけだった。
 東京新聞には二度にわたって好意的な紹介記事を書いて頂いたが、いくつもの「新しい交友」がそこから生まれた。
 いま小生は、時代小説の作家としてありがたい場所を与えられているが、その一方で〔表現者〕としての末席にいる者としては、より広く多くの人々が快く拍手をしてくれる演劇の脚本や、そしてまたオリジナルの歌などを創出していきたいと意欲している。
 宇敷さんをはじめ、新しい出合いから得た信じられる友人ともていねいな交誼を重ねたいと思っている。
 宇敷さん、ご一緒に快い仕事したいですね。謝謝。



 とにかく、幼い子どもたちに、このコンサートの〔エモーショナルな体感〕をぜひとも実感させたいと思った。

— posted by 本庄慧一郎 at 02:30 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第65回(通算175回)

じっくり読書とパラパラ読書

 なにしろ、古書店の倉庫のような資料の本とはひっきりなしのつきあいだから、休憩タイムはどうしても〔パラパラ読書〕になる。

 本日は「世界毒舌大辞典」(ジェーローム・デュメル著/吉田誠訳――大修館書店)をパラパラと。
 「父の日」に娘たちにプレゼントされたズブロッカ(ロシアのお酒)をなめながら。


●野心
「私は偉業をやってのけた。無から出発して悲惨などん底にたどり着いた」
(S・J・ベレルマン)


 ホリエ・ナントカ君をはじめ、ま、「一代の叩き上げ」といわれるおじさんたちの浅はかなドキュメントはイロイロあった。


●政治家
「良い政治家とは、未来を予言することができ、またそのあとで物事が予言したように進まなかったことをしっかりと説明することができる人間だ」
(ウィストン・チャーチル)


 コイズミ・アベ・フクダ……行きあたりばったり、口先だけの強引と右往左往。すべて選挙民が阿呆やからねぇ。


●人口
「出生率の低下が続けば、まもなく人気のない学校では、35人の教育者が児童1人のクラスを作るために議論するのが見られることだろう」
(ヴォランスキー)


 少子化は政治が劣悪であることの反証である。現在でもその貴重な児童たちをカビの生えた爺さんたち(たとえばトンチンカンな役人たちや教育委員会とやらの)が無責任にこねくり回しているものね。


●法律
「法律とは、大きな害虫はさっさと通りぬけ、小さなハエがつかまるクモの巣である」
(オノレ・ド・バルザック)


 自転車の駐輪では、ビシバシ罰金(保管料)を取る。
 でも、公金浪費の天下り役人などは野放しだし、それと……やめた!


●想像力
「人間は人を救うことよりも、殺すことに関してのほうがより豊かな想像力を持っている」
(フランシス・ピカピア)


 戦争商人、武器ビジネス。そしてそこに群れる欲の権化の無数のヤカラ。防衛省にかかわる利権と汚職と……地獄に続く一筋道。


●思想
「思想とはクツ下のようなものだ。ときどき取り替えねば臭くなる」
(アルフレッド・ジャリ)


 この場合の「思想」は「政権担当者」と置き替えたい。
 長期に居座った政党とそのヒモ付政治家は履き古したクツ下のように、例外なく臭い。


●医者
「待合室の植物が枯れている医者のところへは決して行くべきではない」
(エルマ・ボンベック)


 点滴を作り置くという違法の言い訳に「自宅には風呂もない……」と泣きながら弁明する医者がいた。病人が列をなしたという評判だったとか。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:48 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第64回(通算174回)

「御改革」という名の暴挙暴改
 文庫書き下ろしという時代小説を書いている。
 あるシリーズ物の三冊目で、あの俗物将軍こと11代徳川家斉の死去のあとの「水野忠邦の御改革」のウラ話をフィーチャーしながら。
 家斉は在位50年という居座り将軍で、その後も「大御所」として君臨して、12代家慶を操った。
 おべっか幕閣を周りにはべらせて勝手放題なことをした。
 なにしろ側妾40人ほどをおいて55人の子どもを作ったオットセイ男である。
 この男が死んだあと、水野忠邦が「改革」を声高に唱えて〔暴走〕する。この水野の尻馬にのって幕府批判などを弾劾するのが〔妖怪〕こと鳥居耀蔵とその一派。
 絵草子や洒落本などの物語に託して政治のデタラメを諷刺批判したとして多くの戯作者・絵師・出版元が狙われ潰される。
 一方、この天保という時代は天候不良や政治の拙さから飢餓飢饉の連続で農民一揆が続発している。
 幕府や公儀のデタラメさをそのままに何百というご倹約令と強硬取り締まり、そして年貢の強制と……それはヒドイ時代だった。
 いや待てよ「江戸の三大改革――享保の改革/寛政の改革/天保の改革」はどれもこれも、幕府及びその権力にからんでいた者たちの無能失策で失敗している――。



 つくづくと、しみじみと思う。
 現在の自公政権の長期居座りとまるで同じだというとこを。
 封建時代ならいざ知らず、民主主義の現今、こんな状況をスイッチ出来ない日本の選挙民って……何なの?

水と土と人間の暮らしと
 太古の昔から、人は水と土と、そして天の恩恵にあずかって生活してきた。
 その水と土と、そして天の豹変と叛乱と氾濫によっていま手酷い目に遭っている。
 自然を、地球をやみくもに苛めてきたことのツケが時々刻々と顕在化していると思えてならない。
 それでも、武器や爆薬を駆使して戦争という破壊行為に執心するヤカラがいる。
 人間ってふしぎな動物だなあ。

消費税アップと「生活者の目線」
 この二つのまったく相反することをぬけぬけと口にするフクダさん。
 官吏や役人たちの、また各省庁における浪費・濫費、さらに天下り役人OBらの管理無責任や横領窃盗と言える不正続発の現状を放置しておいて……どういうつもりだね?
 11代将軍家斉時代と同様の愚行ではないのかね?

「自殺10年連続3万人超」ということ
 とりわけ、「30代、高齢者、最多に」の事実を政治家たちはどう認識しているのか。
 30代の者の場合、「仕事疲れ、うつ病など」が原因というが、こうした経済事情と背中合わせの労働環境の劣悪化は、有無もなく政治家たちの無能によるものとしか言えない。
 だからといって「誰でもよかった無差別殺人」が正当化されることなど絶対にないが、日頃「フランス料理や高級ワインにいやされる」なんてうそぶくソーリ大臣にまっとうな施策を期待することはムリだね。

銀座の高級レストランやクラブのこと
 かつての商売(テレビ・広告などの仕事)で、おつきあいで銀座のあれこれの店に行ったが、とてもではないが、イヤだね。
 〔文壇バー〕などというのがあって、作家先生とかいう人種がバカ高いサケを食らい、女たちにチヤホヤされてやに下がっている。
 お粗末でクダラナイTV番組で荒稼ぎしている連中が図にのり、得意になって悪はしゃぎしているのを何度も散見した。
 昔も今も、下司下品な成り上がり者はゴキブリのようにウロウロしているのだ。



「虚栄は虚偽の産物である」
――――イギリスの思想家のカーライル




「政治家の資格の第一は、嘘をつくという意識や自覚のないままに、正々堂々と嘘言をのべるクソ度胸を有するかどうかだ」
――――本庄慧一郎


— posted by 本庄慧一郎 at 01:21 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第63回(通算173回)

好き・嫌いを言わない
 食べ物のこと。
 毎日の食卓に出されたものは、ていねいにきれいに食べる。
 幼い頃の「餓死か爆死か」の死線を彷徨した経験者に〔身に過ぎたぜいたくとわがまま〕は一切不要だ。

好き・嫌いを明言する
 政治及び政治家たちのこと。
 このHPでは何回もくり返して書いた。
 「巧言令色」――口先だけ、薄っぺらな言葉だけの者。現在の政治家たちのほとんどは、信じられない。嫌い。
 この人なら――というケースはもちろんあるが、マスコミはたいてい無視する。嫌いな奴の自信過剰顔は大キライ! と口に出して言う。

テレビメディアの情報について
 新聞・書籍・雑誌……などの政治・社会その他一般についての情報収集にこまめに努めているつもりだ。
 中ではことさらに〔押しつけがましい〕のはテレビだ。
 その番組の、その編成上の無神経さと荒っぽいさはほとんどビョーキだ。
 もちろん〔識別〕と〔選択〕、あるいは〔偽装〕と〔偽証〕を徹底して検証に努めるが、公共メディアとしての質の劣化は目に余る――!

コメンテーターという人種たち
 テレビという〔場所〕は、そこに居すわる人間をたいてい変質させる。
 ほとんど例外なく、いずれエラぶる、尊大になる、庶民づらしながらも趣味のわるいぜいたく三昧におぼれてゆく。
 かつて評論家大宅壮一は「テレビ総白痴化時代」を声を大にして言った。
 朝日新聞6月12日付文化欄「一億総博知化時代」とあった。
 元放送に携わっていた本庄慧一郎としては「一億総薄痴化への謀み」とつぶやく。

こんな予言があった
 アメリカの社会経済学者ジョージ・ギルダーは、1991年に著書「テレビの消える日」で、「在来型のテレビは、放送局が一方的に流す情報を受けとる端末に過ぎない。デジタル技術を駆使した多様な情報を蓄積・加工するコンピュータに駆使される」と予言している。
 番組やCMの〔悪ハシャギぶり〕の明日は――?

「歌わせたい人たち」のこと
 学校の職員会議での挙手・採択による教職員の意思確認の行為を禁ずる――という都教育委員会の通達。この通達を拒む都立三鷹高校の土肥信雄校長の〔たった一人のアピール〕に拍手。
 この〔通達〕はあきらかに反民主主義だろうが。
 東京都教育委員会のメンバーって?
 アナクロニズムというカビをまとった人たちって、まだまだ跳梁跋扈している。
 劇作家永井愛の「歌わせたい男たち」という戯曲読みました? 舞台観ました?

哀れだなあ。惨めだなあ。
 〔居酒屋タクシー〕と言うんだそうだ。官庁の役人の深夜帰宅を先手をうって顧客にするために個人タクシーのおっさんたちが、利用してくれる役人にビールや金券を手渡して売り上げ増進に努めているという。
 遊び呆けて深夜帰宅する役人は乗車地の六本木・赤坂などを「霞ヶ関」に変えて申告していたとか。ひたすら思う。
「人間って哀れだなあ。惨めだなあ」

水着を変えたら好記録が出たって
 内閣や政府の人や質を変えたら、きっと好結果が出るよネ。

やっぱりヘンだなあ、テレビは
 テレビ業界では、アノ船場吉兆のバアさんをタレントとして目をつけてるそうだ。
 大昔、オオヤマサコとか、すこし昔、ノムラサチヨなんてオールドレディがいたがね。
 近頃は、相撲評論家として、いえ社会評論家としてフジタノリコとか前大阪府知事とやらのオオタナントカなんてオバサンが得意顔でテレビにのさばっている。
 ま、男性のほうは、政治ヒョーロン家という三宅ナントカ、そして元代議士ハマコーとか、テレビ制作者のセンスというのはどうなっているのかね。
 あのヒガシコクバルという知事は、あれで知事の仕事になっているのかい。
 みのもんたについての週刊現代(6月21日号)の記事、読んだけどあのヒト「蛙のフェイスにオシッコ」のようです。エライ!
 もうひとつ、あのアベシンゾーさんをなんとかの相談相手に迎えたいというラジオ局もあるとかで、もうウンザリだねぇ。まったく何考えてんのかい?

まっとうな女性も大勢知ってますけど……
 松平健さんの新作(?)ハワイアンソングの振りに合わせて、客席で上半身でマネて踊るオバサンたちを見た。
 ヨン様に熱狂するレディたち。「キヨシ!」と叫ぶ中年女性軍団。そして……もういいや。

好きと嫌い
 物書きのハシクレとして三谷幸喜サンというヒトに好意をもっていた。が、まあ自作映画のPR映画のためとは言いながら……イヤハヤ、なんともデス。ゲームセンターの〔モグラ叩き〕のようにあちこちに顔を出している。

「山場CM」のイヤらしさ
 「秋葉原の殺傷事件」の報道番組で「この後すぐ」というスーパー出しておいて、バカCMをガンガン流していた。????? おい、いいかげんにしろよ!

— posted by 本庄慧一郎 at 01:29 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
<< 2025.5 >>
SMTWTFS
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
 
※ ご注意 ※このウェブサイトに掲載されている、すべてのコンテンツの著作権は(有)望田企画室ににあります。
著作権者の許可無く、本サイト内の全てのコンテンツ・著作物について、無断での使用・転載・加工は一切お断りしております。