「ニッポンの芸能人」シリーズ57
2006/5/26
つい故郷(ふるさと)を振り返る
民間放送ラジオ・テレビからもの書きとしてのぼくの仕事はスタートした。放送作家としてラジオ・テレビの番組の構成・台本を考え、執筆することが生活費を稼ぐ唯一の手段だった。
その後、早々に広告業界にもかかわりを持ち、放送の仕事と同時平行でラジオ・テレビのコマーシャルの仕事を手当たり次第にこなした。
そして10年ちょっと前に、そのギョーカイがイヤになり、きっぱりやめた。いまは、放送局とか広告代理店とか広告・CM制作会社やスタッフと一切関係なしの小説や舞台脚本を書くのを仕事にしている。
舞台のほうはこの5月に劇団ピ−プルシアタ−公演の「乳房一揆」の原作提供。秋11月には劇団テアトルエコーにオリジナル・コメディ「大都映画物語/遺骨(ほね)まで愛して」が上演される。
つまり、もの書きとして、快く存分に仕事のできる分野へと軸足を移しているということだ。
でも、おのれの出身母胎のテレビ番組やCMはやはり気になる。
捨てた女、別れた女に未練がまるでないのだが、「でも、あいつは今ごろどうしてる?」なんて、ふっと振り返ってみる時もある。
今のテレビ番組、そしてCM……ともに「大丈夫かい?」である。
番組のほとんどがもう、スタジオ出演者たちの〔自己満足型大騒ぎ〕に終始しているし、CMにいたっては品性のカケラはまるでなく、「こんなCMで広告主も代理店もOKしてるの?」という低劣なCMが多い。
つい先日、民間放送連盟だが公共広告機構だか確認する気にもなれなかったが、〔伝統工芸〕の職人の技がCM作りのスタッフにある――なんてアホなキャンペーンCMを見た。
よくもまあ恥知らずのことをほざくものだと呆れた。
メディアの多様化という波のさなかで
いまのテレビの視聴率というのは、いわば〔質〕とは無関係に〔視聴率〕という名の数字のクズ拾いにムキになっている。
いくら数字を取れてもやがて、出演者だけが図にのっているだけの、公共電波という大義名分に名をかりたアホ番組ばかりとなるだろう。
いいか悪いかは別にして、日本の伝統芸能たる落語もインターネットで配信されるという時代。自主性のない視聴者はただウロウロと漂い歩く放浪視聴者であり、広告主やテレビ局は〔虚の視聴率〕と共に自滅するだろう。
でもぼくは、いまでもテレビというメディアの覚醒と自覚と自主を期待しているのだが、小1時間もテレビを眺めていると肚が立ってくる――というより、良質(?)のスイミン薬を服んだようにとっても眠くなってくる。(そこで「今夜もテレビよ、ありがとう」と呟き、ふとんに入る!)
●追伸
「NHK受信料」について
NHK職員や関係者らの金銭的な不正や汚職が連続している。
公金・税金に関する浪費濫費については、いまやNHKに限らず、呆れ返るような事件はそれこそ枚挙にいとまがない。
06年5月25・26日付の朝日新聞の「衆院の国勢調査活動費」についての記事で、あらためて肚を立てた。
「料亭に61万円。スナックに11万円」という見出し。「ワイン6本で11万円。料亭での料理1人前5万5千円」とか、カラオケ・スナックではホステスの腰に手を回しながら……衆院関係者はこの店で10回にわたって「懇親会」をやっているとか。ただウンザリし呆れた。
そのウンザリ気分と連動するのが、NHK受信料問題である。
NHKのゴーマンさについて
衆院の国勢調査活動費の26日付の記事は「請求書『芸者代上乗せ』」とある。この件について前衆院事務総長の谷福丸氏なる男が「やましくない」だの「権威に合う活動」だと言い訳していて、ひたすら愚かしい詭弁を弄している。
(北海道苫小牧市長のナニガシ氏の痴漢行為の弁明会見と似たようなものだね)
同日の記事に「NHK局長、旅費で不正」の記事が出ている。
こんなハレンチな内部腐敗事件があとを絶たない。いや、企業や組織の体質がいきなり改善されたとはとうてい思えない。
そのNHKが受信料未払い者にたいして「法的措置をとる」と発言している。
さらに民放連会長も「必要なら罰則化」をとほざいた。
放送行政にたいして今後のNHKの動向が、これからの民放経営に関して多大の影響を及ぼすウラ事情があるのだろうが、とんでもない発言である。
ぼくは放送作家組合の創立以来(昭和34年創立)の会員だが、民放連とは、放送作家・コピーライターという職業を通じて(民放祭番組CM作品コンクールの審査員などずいぶん協力した)あれこれかかわりを持ったが。
ぼくはいま、電気の専門家(町のデンキ屋さん!)に頼んで、家のテレビ受信機から1CHと3CHを受信不可能にする工事をしてもらいたいと思っている。
消費者が買いたくないと拒絶している商品を強制的に送りつけ、有無もいわわず代金を請求するのは犯罪ではないか?
(悪質な町の貸金業者が、貸し金取り立てに暴力的行為を駆使する例を思い出したね)
まったくいまの社会、「公」の場にいる者たちのゴーマンなこと!
ああ肚が立つ。
— posted by 本庄慧一郎 at 04:57 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ56
2006/5/19
ぜひ観たい映画は初日に観る
映画「明日の記憶」を06年5月13日(土)AM10時の封切日第1回を観る。(大泉シネコンNO.3)
前回は「寝ずの番」は新宿文化のやはり封切日第1回を観た。
そういえば三谷幸喜の「笑いの大学」をやはり2年前の12月の封切日第1回を新宿で観ている。戦時中の芝居の脚本家とその脚本を検閲する担当官との攻防を描いたこの映画を観て「オレも書かなくちゃ!」と笑劇「大都映画物語――遺骨まで愛して」を1ヶ月でまとめ、劇団テアトルエコーの熊倉一雄氏にプレゼンした。そしてほぼ2年後になる今年、06年11月にテアトルエコーで上演される。(演出永井寛孝氏)
この「明日の記憶」という物語にしても、もともと当方にコンタンがあり、ぜひ、意味のあるモチベーションを得たいと出かけたのだ。
例にによってせっせと文庫書き下ろし時代小説を(1日15枚を目標に)書く毎日だが、このところしきりに、そのスキをぬって昭和史を題材にした(自伝的要素をふくめたフィクション)物語を書きたいと思ってきた。
若年性アルツハイマ−病という主人公の運命
昨年(05年)の夏、ぼくはギランバレー症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群
という疾病に襲われた。(その概略は後述する)
そのこともあって、主人公の動揺など、痛いような共振を感じた。
また、彼の職場がぼくが働いていた広告業界であったので、その点でもついつい自分を重ねてみる度合いが強まった。
たとえば、彼が辣腕の営業部長を勤める代理店にたいして競合するライバル会社として「デン・パク」が出てくるが、この「電通・博報堂」ではずいぶん仕事をした。物語の中にもある「競合プレゼン」はぼくの主戦場だった。
主人公の仕事ぶりとか、多忙な日常。そして家庭人としての欠陥や不備などを見せつけられると気持ちが波立った。が、ぼくはさいわい、そのギョーカイに「あばよ!」と言えた。
渡辺謙演ずる主人公は50歳にもならない働き盛りで発症し、やがて何十年も生活を共にした妻を「他人としてしか見られない状況」で物語は終わる。
たまたま、広告代理店電通の社員である作家藤原伊織の「雪が降る」という短篇集を読んでいた。この物語の主人公も広告代理店の男であり、たまたま二つの作品で、奇妙な追体験を強いられたのだが――。
(でもホンネを言うと広告代理店とかゲ−ノ−界のハナシって生理的な嫌悪がある。なんだかアザとく、ワザとらしいのだ。「明日の記憶」は、原作もそうなっているのか。原作者も広告関係者だったのか? 原作を読んでみるつもりだ)
タレントと俳優、または役者との違い
吹けば飛ぶようなタレントがバッコしている。あるいは目障りに右往左往している。妙に小ギレイな兄ちゃんやネエちゃんばかり出てくる作品はツマラナイ。ダシのきかないふやけたソバを食わされているような作品はごめんだ。
渡辺謙はいい。「ラスト・サムライ」よりも、彼の思いを託して具体化したこの作品のほうが良質なのは当然だろう。
ここにはまぎれもない現代があり、現代人の偽らぬ姿があるのだ。
前回の映画「寝ずの番」でも書いたが、やはり映画や演劇なんて、演ずる者に存在感や表現力がないと「金を返せ!」となる。
「寝ずの番」では俳優陣が秀逸だった。
今回も大滝秀治のキャラに有無を言わさない魅力があった。この大滝サンに以前、SONYトリニトロンカラーテレビの声の出演をお願いした時(彼のCM初出演になった)、彼は「民芸の2時間半の舞台でもちゃんとメッセージ出来ないのに、30秒コマーシャルなんて……」。でもその大滝サンはいま、CMでもその稀有なキャラで売れている。
それと、安物の「○○殺人事件」などというテレビドラマには出ない、樋口可南子サンもとってもいいなあ。(かつてぼくが本名望田市郎でコピーライターやっていた頃のご同業糸井重里サンの奥さんでした!)
ぼくはこの映画を観ての帰り、同伴した妻ととりわけ仲睦まじく食事をして帰路についたのデシタ。
— posted by 本庄慧一郎 at 04:57 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ55
2006/5/12
岡本安正さんのこと。
岡本安正さんは、TBSの制作プロディュ−サ−&ディレクタ−時代、あれこれの仕事をご一緒した人だ。
たとえば、名ナレーターとしていまも語られる故城達也さんでの2時間生ワイド「セイコープロムナードS」や、それこそ歌謡曲などの番組があった。
いまぼくは、かつての芸能界や広告業界の者たちとはほとんど交流がない。というのも、その種の人たちが嫌いだからだ。その思いは、日増しにガンコに強くなって、現在、ご交誼いただいている人は10人にも満たないだろう。
理由は(おのれのことはタナにあげて言うが)、ほとんどの人が、ギョーカイの手垢にまみれた「タコツボ人間」だからである。
その岡本さんとは、ずっとおつきあいしている。彼が得意のカメラで私たち夫婦を何度か撮っくれた。そのポートレートは大事に保存している。
岡本安正さんは歯に衣着せずにビシバシとものをおっしゃる。小気味いい。彼の回顧録「さらば放送界」にその生い立ちとその後の職業である放送業界と周囲の人との関わりなどが活写されていて同じギョーカイで働いていたぼくも興味シンシンで拝読した。
読後感――岡本安正はインテリである!
「岡本安正写真展――My Dearest」開催。
サブタイトルは「敬愛する人々の肖像」である。
かく申すぼくを岡本安正さんが敬愛する人々の端に加えて下さった。
総員で43名をかぞえるが、著名なミュージシャンや音楽関係や作家が多い。
ランダムにお名前をあげると、石井好子・戸川昌子・大木康子・堀内美希・中本マリ、そしてかまやつひろし・四谷シモン・実相寺昭雄・若山弦蔵……と顔ぶれは多様。(順不同・敬称略)
この方たちの中に本庄慧一郎も加えていただいたわけでただ恐縮。
「その人間の心や精神の質は、その人間の友人を見れば判然とする」と言い続けてきた。
岡本さんのお仕事柄も色濃く反映しているとは思うが、この写真展に登場する方々は文字どおりプロ第一級の方々であり、「岡本安正が敬愛する人々」なのだ。ぜひご来場を下さいますように。
==============================
06年5月23日(火)〜28日(日)12:00〜20:00
セッションハウスガーデン TEL03−3266−0461
東西線 神楽坂1番出口 徒歩2分。
(神楽坂と赤城神社の散歩コースもGoodです)
==============================
— posted by 本庄慧一郎 at 04:58 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ54
2006/5/5
大病を克服した団十郎さんのこと。
前回、映画「寝ずの番」のことを書いた。
そして、富司純子サンのことから、旦那様の菊五郎丈のことにふれた。
実は、ぼくの書斎には、その菊五郎丈と団十郎丈と(撮影者の塩崎博氏と)ぼくがご一緒に撮っていただいた額入りの写真がある。
先代河原崎権十郎丈の一周忌の帝国ホテルでの追悼の会でのスナップである。
CM業界の先輩で歌舞伎通の塩崎博氏のご配慮でのチャンスだったが、なにしろ当代の歌舞伎の大御所お二人とのスナップは〔芝居関係者〕でもあるぼくの宝物の一つである。
ご存じのように、団十郎丈は白血病という病魔を退けて見事に舞台復帰なさった。かく申すぼくも「十万人に一人の確率」という病気から完全復帰して、周囲の人から「おめでとう」という言葉をしきりに頂いている身なので、団十郎丈のことはとても嬉しい。(でも、スーパー歌舞伎で意欲的な活躍をなさってきた市川猿之助丈はその後いかがなのか、とても気になっているが)
とにかく、市川団十郎丈、おめでとうございます。
沼田曜一さんの訃報。
4月30日付けの新聞各紙に俳優沼田曜一さんが29日に亡くなられた記事が出た。(享年82歳)
沼田さんとは、フジTVのドラマでご一緒した。「サラリーマン巌流島」という働き盛りのサラリーマンを主人公にしたコメディで、共演は一竜斉貞鳳さん。そして杉狂児・トニー谷・太宰久雄・若宮忠三郎さんらの芸達者が揃っていた。演出は叔父の小沢效。
一竜斉貞鳳さんと小沢效は健在だが、杉狂児・トニー谷・太宰久雄・若宮忠三郎の皆さんは亡くなられた。スクラップブックを調べたら、昭和37年――1962年のことだからなぁと感慨があった。
そして沼田曜一さん。つい先日、CATVで「雲、流れる果て」で若い特攻隊員を演じていた沼田さんをワイフとしみじみと観たばかりだった。
手もとに沼田さんからご恵贈いただいた「現代の語り部――沼田曜一――民話の世界」というずしりと手重りのする写真集がある。
日本全国を民話の語り部として巡り歩き、沖縄の民話にはとりわけ執心して「ちむぐりさ座間味島」をくり返し語った。
「肝苦りさ」というこの言葉の意味は「かわいそうに」という意味で、沼田さんは沖縄の人たちの心をおのれの心として語り続けたのだ。
あれは何年前だっったか。新宿紀伊国屋ホールで「三遊亭円朝」を主題にしたひとり語りを演じだ。ご案内を頂き、ワイフと出かけた。
ひたすら熱心で真摯な舞台だった。
沼田さんが出演した映画「きけ、わだつみの声」や「真空地帯」もあらためて観たいと思っている。
それにしても、あの頃、沼田さんとスタッフともども、よく楽しく呑んだ。
貞鳳さんのお酒も楽しかった。彼のお座敷芸で沼田さんもぼくも「死ぬからやめてくれ!」と言いながら笑いころげたっけ。
(貞鳳さんにもお会いしたいなぁ)。沼田さん、再見!
— posted by 本庄慧一郎 at 04:59 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ53
2006/4/28
映画「寝ずの番」について。
アメリカ映画「プロデューサーズ」に続いて、日本映画「寝ずの番」をワイフと観た。(そうだ「プロデューサーズ」の前は「有頂天ホテル」を観ている)
「寝ずの番」(原作中島らも)は、監督マキノ(津川)雅彦。
日本映画草創期をリードしたマキノ雅弘の甥になる俳優津川雅彦第一回監督作品となるこの作品、一人の落語界の御大の死をめぐっての、親族と弟子たちの通夜をめぐるテンヤワンヤを描いた笑劇(farce)である。
いわゆる「オトナのバレ話」であり、「玄人好みの楽屋オチ譚」である。
当然、古典落語そのもののネタも出てくるし、かつてお座敷芸として演じられていいたアブナイ裏芸も登場する。
とりわけ、主人公の笑満亭橋鶴がヒン死のベットで「ソトが見たい」と息きれぎれに呟いたのを弟子が「ソソが見たい」と聞き違え、別の弟子の若い女房がベッドの病人の顔の上に仁王立ちして、ソレを開陳するというユニークなエピソードでさんざんに笑わせる。
このハナシは、ぼくも何年か前に小説に書いている。モトネタは、浅草で人気を集めた歌手田谷力三が死期近いベットで「空が見たい」と言ったのを「ソソが見たい」と聞き違えた弟子が、ストリッパーを連れてきてたっぷりナニを開陳した――と浅草芸能史にあるのだ。
それにしても、艶歌・ワイ歌・バレ歌などとそれに伴う珍芸・裏芸の連発でおもしろかった。(あの種の演出はやはり津川雅彦サンのキャリアがフルに活かされているのかと思わざるを得なかった)
美少年津川雅彦のこと。
ぼくの叔父であり物書きとしての師である劇作家小沢不二夫(新宿ムーランルージュ出身)は、民放ラジオ・テレビ、それに舞台のホン(ムーランはもとより、不二洋子劇団・新国劇・新派など)を沢山書いていた。昭和30年代初めから、当時大人気だったラジオドラマも多作した。
その中の伏見扇太郎主演で映画化もされた「風雲黒潮丸」とか「月の影法師」(ニッポン放送制作)はヒットした。
この「月の影法師」は若き日の島倉千代子が出演していたし(スタジオでのスナップ写真がある)、そしてこの番組に出演していた津川雅彦は文字どおりの紅顔の美少年だった。
野球好きの雅彦クン(高校生だった?)がある日、叔父の家の近くのグラウンドで試合があるとかで、あいさつに立ち寄ったことがあった。
素顔の彼はほんとうに快活な美少年で、同性でもそのハンサムぶりにはうっとり見愡れたものだ。
そして現在の彼の――そのキャラのユニークさと迫力には???!!!でまた魅かれる。
達者なワキ役たちについて。
御大(長門裕之)のカンロク、その風情もスゴイなあ、と感嘆したが、取り巻きの中井貴一(パパの佐田啓二もイイ男だった)、岸部一徳(ご舎弟のシロー君とはラジオDJ番組で付合ったなあ)、そして富司純子。このヒトには藤純子で、あの菊五郎丈と結婚してスグ、CM(カネボウのヘア・シルク・リンスだったかな?)で自宅に参上、打合わせをした。
テーブルや家具の角ッコにはすべてスポンジが貼り付けてあった。
幼い愛児が頭や顔をぶつけるとイケナイ! という配慮だったのだろう。
その愛児が、現在の尾上菊之助である。(そして寺島しのぶである)
御大の夫人の志津子を演じる富司純子サンが唄う「オトナの歌」もまあ、ヌケヌケと楽しかった。
出演者の一人、堺正章も芸達者だが、彼のパパはあの堺駿二。
堺駿二はぼくの叔父小沢不二夫と「同じ釜のメシを食った仲」で、幼い時の正章少年とこのボクは一緒の風呂に入って洗ってやったことがある――とあるパーティでご本人に告げたら「へえ!」と目を丸くしていた。
もうお一人、吉野夫人という役名で自転車に乗って登場する浅利香津代は、親しくさせて頂いているベテランの女優さんだ。このところ、松平健の「マツケンサンバ」ブーム以来、とんとお目にかかれないが。いつも若くチャーミングな彼女の達者な芸がもっと活きる場がないかと思う。
さて、この「寝ずの番」のパンフレットの味のある筆文字、書いたのは緒形拳とある。拳さんは、叔父小沢不二夫作の脚本「石狩の空」(新宿第一劇場だった)の舞台げい古から見ている。花道を走り出てくる若き日の拳さんは「カモシカのようだった」と鮮明に記憶している。
その後、新国劇の「王将」や「国定忠治」の東劇の楽屋で、師の辰己柳太郎サンの疾の手当てをしてやっている彼の姿を見ていて――。
以上、この映画では、あれこれ「しみじみとしたノスタルジー」をも味わったのである。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:00 pm