人のいない場所へ
わたしの趣味は「墓参り・病院通い・仕事」とは前にものべたが、それは別にウソをついたり、妙に気取っていってるわけではない。
たとえば「墓参り」にしても、片寄った宗教心があるとか、変質的に霊魂を気にしているからではない。
でも、その一方で「やたら群れたがる日本人」に嫌悪していて、あえて墓地のような人のいない所へ出かけるのである。
それにしても日本人は群れたがる。
年の暮れや正月、そして盆という時季、また夏休みの旅行シーズンとやらには、ひたすら群れる。
かと思えば、ラーメン屋とか回転すしとかタコ焼屋などの店にまで列をつくる。それほどにして食うものか、と思う。
つまり、ヒマとカネを浪費したがる人間がワンサといるのだ。
若者たちの携帯電話での愚にもつかないお喋りも「ひとりぽっち恐怖症」患者だ。
そのくせ、家族やまわりの人たちを大事にしない。こまやかな心くばりを怠る。いや、むしろ、ないがしろにしたりイジメたりするのだ。
霊園でのひととき
わたしの物書きとしての師匠三好十郎さんの墓地は多摩霊園にある。時間ができるとポケットウィスキーをザックに入れてふらりと立ち寄る。季節の風と光と小鳥と、故人への思いで、心が和む。癒される。
昨年の晩秋、旅行などにはとんと出かけることのないワイフと、まるでご縁もない小平霊園に出かけた。コンビニでワンカップ大関とポテトチップスと折詰寿司を求め、目と心にしみる鮮やかな紅葉を眺めてきた。文句なしにいい時間だった。
そして、前述したようにわが先祖が眠る狭山湖畔霊園だがこれはもう定期便コースだ。
ときどき孫も連れて行って、ついでに西武園の展望台やらマシーンに乗ったりする。
冬などの寒い季節はもっぱら単独行になるが、墓地に人かげも少なく、ベストの気分だ。
心を深呼吸させる
ふとみれば、ロックシンガーの尾崎豊クンの墓がある。大きく立派な造りである。いまは成人してパソコンでデザインの仕事をしている伜(このホームページを立ちあげてくれた)がたしか、CDや詩集を愛していた。
丸っこい自然石の墓は、下町情緒の横溢するマンガを描いていた滝田ゆうサンのもの。
お酒好きだった人だが、いまはもっぱら爽やかなおいしい空気をたっぷり味わっているようだ。そうそう、画家のいわさきちひろさんの墓もあった。
直接会ったことはないが、あれこれの人に想いをはせるひとときは、快く和むものだ。
それにしても、ともう一度いう。いま盛り場にむやみに群れ動く人たちはすべて「ひとりぽっち恐怖症」というビョーキだ。いずれもっともっと孤独になる。要注意ですぞ。