50年という歳月(敬称は略させていただきます)
ぼくの仕事としての出発は演劇だった。
劇作家三好十郎主宰の劇団戯曲座のけい古場が京王線桜上水の宗源寺という寺にあった昭和20年代後半に、いま評論家として活躍する樋口恵子(旧姓柴田)の紹介で出かけた。
三好十郎は叔父小沢不二夫とすでに親しかったが、三好十郎の作品や評論には当時のぼくは強く魅かれていた。
新国立劇場の芸術監督栗原民也の肝入りで04年、「浮標――ブイ」と「胎内」という三好作品が上演されて、そのしっかりした舞台造り(演出)に好感をもった。
そして三好作品を系統的に、また誠意をもって取り組んできた劇団文化座の「をさの音」も観た。その他いくつもの作品を連続上演したのだが、原稿のメ切りに追われていて観られなかったが。
思えば、文化座の創始者佐々木隆(鈴木光枝の旦那様、佐々木愛のお父上)には、三好十郎の指示で、演出論を拝聴に参上している。
素敵な男たちのこと
劇団戯曲座では高品格に出会った。
当時、大映にいた高品格はニックネームが「班長」だった。彼の兵役経験に由来するらしい。
中野区に哲学堂という公園があり、そばに丸山という町がある。彼はそこで駄菓子屋さんのような小店をやっていた。
ぼくは何度か高品格という先輩を慕って家を訪ね、三好十郎談義や演劇の話を拝聴している。
高品格はそのあと、日活映画に移籍、石原裕次郎などのワキ役として存在感をアピ−ルする。
たしか「全日本フライ級第6位」というプロボクサーとしての経歴を有していた。そのせいで裕次郎とのカラミでは抜群の凄みを見せた。
その高品格の演技では、和田誠の監督作品「麻雀放浪記」が忘れられない。
そういえば、イラストレーターの和田誠ともご一緒している。
合同酒精の「ハチ・ハニーワイン」のポスターのアート・ディレクション(フォトは立木義浩)をお願いした。青山のマンションに参上している。またカネボウのPR映画には、作曲家の八木正生、フォトグラファーの立木義浩という売れっ子お三方に出演してもらった。
「魅力ある女性について」というテーマで語ってもらったのだ。
立木「雨の日に美しさがきわだつ女がいいなあ」。和田「モノを食べてるときに、ビューティフルな人がいい」。そして八木「いい女はいつ、何をしていてもいいもんだよ」。立木と和田「それって、八木チャン、ずるいよ」と大笑いになった。(記憶にズレがあるかもしれない……)
いまぼくは、舞台の脚本を書いていて、和田誠著「ビギン・ザ・ビギン――日本ショウビジネス楽屋口」を再読した。有楽町日劇の創始からそのヒストリー、そして演出家山本紫朗と越路吹雪、その他のコメディアンやダンサーたちのエピソードが頑味できる労作である。
ピアニスト&作曲家八木正生
和田誠と立木義浩と八木正生は親しかった。
その八木正生は50代前半で急逝した。
先日、新宿中村屋4階のラコンテで、デュークエイセスの谷道夫に久々に再会した折に八木正生について語った。
ジャズピアニストとしての図抜けたテクニックを持っていた八木正生は、ジャズボーカルで文句なしのハーモニィを聴かせるデュークエイセスが大好きだった。
そのせいで八木正生とのCM音楽コンビ(作詞ぼく、作曲八木正生)でン十曲も作ったが、デュークエイセスとの仕事も多かった。
八木正生は高倉健にも惚れていて、高倉健の「アサヒビール」のCMでは、ぼくの作詞・作曲八木正生、そしてボーカルはデュークエイセスでイメージソングを作った。
しかも高倉健は映画「新・網走番外地」での田中邦衛との北海道の露天風呂のシーンで、「おまえがいて、おれがいて、人生にがいかショパイか」と歌ってくれている。
CM撮影の大泉東映スタジオで、ぼくは直接、健さんから「ホンの御礼のシルシです」という封筒を押しつけられている。(日本音楽著作権協会を通じて頂くことになっていますと固辞したら、そんなこと関係ありませんと言われたのだ)
八木正生というアーチストのダンディズム……そして高倉健。
和田誠も立木義浩も……それに高品格。
いい男たちに出会った。
それに、小沢昭一、熊倉一雄の〔慈味〕ある個性……いいなあ。
「いい男たちのこと」
2005/1/3
— posted by 本庄慧一郎 at 10:30 am
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