「ニッポンの芸能人」シリーズ70


関敬六さんのこと
 たまたま前回のこのH・Pで、萩本欽一さんのことのふれて浅草出身の芸人サンのことなどを書いた。
 そう、清水金一、森川信、東八郎さん、そして、坂上ジロさんのことなども。
 そしてそのあと、旧知の友人の名刺を探していたら、関敬六さんのものが出てきて(名刺交換した年月日は記入していなかった)、なんとなく、体調をくずしているという関さんのその後を思っていたのだ。
 彼の親友、渥美清さんが亡くなったのは68歳。関敬六さん78歳。
 ぼくはこの8月で病気してから一周年。さいわい以前にも増しての活力を奪還して、「1日15枚執筆」を目標に夏休みなんかナシの精勤ぶりだが、休憩をかねて芸能史の本をよく読む。
 いわく「浅草芸人爆笑帳/小島貞二」「日本の喜劇人・小林信彦」「浅草・土地の記憶/山田太一編」「芸人たちの芸能史/永六輔」「藝人という生き方・渥美清のことなど/矢野誠一」エトセトラ。
 今朝8月25日の新聞には、関敬六さんを偲ぶ記事とともに「冥王星、降格」と第一面にあった。
 中島みゆきの歌に「地上の星」というのがあったが、ついぼくは、近頃のテレビメディアにうろつくゲーノー人のことを想起したものだ。
 例によってやたら、カリスマとかセレブとか(さすがスターという言葉は使わないが)どう見ても街のアンちゃんか、キャバレーのホステスみたいのばかりのガキ・グループの小うるさい風景にはうんざりしてきたので、このフィールドでもぜひ「降格」をハデにやってもらいたいと思っていた。

「浅草の唄」と関敬六さん
 関敬六さんが愛唱していた「浅草の唄」は、作詞サトーハチロー、作曲万城目正。そしてレコードでは藤山一郎が唄っていた。昭和22年の発表である。
 サトウハチローは浅草どっぷりだった詩人。その生活態度(!)は破天荒だったらしいが「リンゴの唄」(歌並木路子・昭和21年)などの大ヒット曲の作詞もしている。
 ぼくも浅草にはいまもって思いをもってはいるし、なんとか昔の元気を取り戻してもらいたいと願うものだが……現在の浅草に出かけてみると、正直「なにかちがう、どこかがズレてる」と感じてしまう。
 多くの浅草出身者が、そして相変わらずのファンがそう念じているはずだが、愛する浅草の「歯車がひとつズレている」という違和感は消えることがない。残念。といって、最近の渋谷や新宿のような下品な街になってもしょうがないがね。
 街も生きもの、人間も生きもの。手におえない品性下劣はイヤだ。 
 そうそう、あのカメダ・コーキというボクサーと、高校野球のエース、サイトウ君がやっぱり対比されているが、生まれや育ちがたまたまつましく貧しかったからといって、品性下劣というのは情けないね。
 いま、友人の芸能史家本地陽彦さんがまとめた「永遠の処女原節子伝説」を読み始めた。
 本音でいうと「永遠の処女」というのはすんなりウン!といえないけれど、でもあの清水金一とか森川信とか、渥美清とか東八郎とかさらに由利徹さんとかいう人生の荒波にもまれた(表現がフルイ!)男たちには初々しいばかりの素朴な純真さがあった。
 そう「浅草の唄」を熱唱する関敬六さんにもそれがあった。
 さて、いまのわが身を省みて……これから、どう生きるか、だナ。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:55 am  

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