さまざまな縁(えにし)のこと
ぼくは折にふれて、また機会あるごとに、ぼくがかかわってきたギョーカイの畏敬する先輩として、桂小金治さん、小沢昭一さん、そして熊倉一雄さん(順不同)というお方のお名前を挙げてきた。
ぼくの人生のなかでも特筆すべき今回のテアトル・エコー公演の「大都撮影所物語」はまず、熊倉一雄さんのキューによって実現した。
この公演には桂小金治さんが(お若くチャーミングな奥様とご一緒に)ご来場くださり、小沢昭一さんは観てくださったその日に書かれた(いま、帰ってきました。いいお芝居でした。望田さんの作品と、エコーは、性が合いますねぇ。ぜひ続けて下さるといいなァ! ウレシイ一日でした。ありがとうございました。再拝)という飛び上がるほどに嬉しい文面のお葉書を下さった。
今回のエコーの公演はぼくにとっては正に「人生のボーナス」といった趣きのある、そしてかけがえのない縁の証しになる価値あるイベントになった。
師走12月になっての訃報
エコー公演を好評裡に打ち上げて、中断していた執筆作業を再開してアタフタしているとき、岸田今日子さん、青島幸男さんの訃報に接した。
かつてニッポン放送をキィ・ステーションにした全国ネットのオビ番組「サザエさん」という番組があった。
原作長谷川町子・脚色小沢不二夫で、たしか10年近く続いた番組だ。
お父さん磯野波平が東野英治郎、お母さんのお舟が三戸部スエ。そうだ! ヒロインのサザエが市川寿美礼。ご近所に住む若き夫婦(たしか学生夫婦だった?)が小山田宗徳と岸田今日子で名字は鮫谷(サメヤ)だった。
そして、毎日ご用聞きに現れるのが近所の酒屋キク屋さんは小沢昭一。
そのほか、ワキを固めるのがベテラン揃いのとびきり楽しい番組で、作家見習いのぼくは叔父小沢不二夫のカゲでせっせと台本を書いていた。
若き岸田今日子さんが、ぼくの書いたせりふを、それこそハスキーな声でいきいきと喋ってくれたのには、(オシッコをチビるほどの)感激だった。
そして青島幸男さん。
同業・同年・ギョーカイ同期だが、結局はじかに親しくおつきあいしたことはなかった。
ただ彼がフジテレビの昼のオビの生番組「おとなのマンガ」(ハナ肇とクレージー・キャッツ出演)の台本を書いている時、ぼくはヨルのオビの生番組「待ってました!」の台本を書いていた。こちらの出演者は桂小金治・楠トシエ、そして西村晃という顔ぶれで、社会風刺をテーマにしたコントだった。
時を同じくして「ぼうふら紳士」という番組があり、名バイプレーヤーの三井弘次・桂小金治のご両人の演じるコメディを書かせてもらっていた。
当時、新宿区河田町にあったフジテレビでは、青島さんとはいつも背中合わせで働いていたのだが、ついぞお話したことがなかったのだ。
考えてみると、桂小金治さん、小沢昭一さんとのかかわりは長い!
そして、創立50周年というエコーの熊倉一雄さんともナガーイ!
今回のエコーの公演では、この「畏敬するお三方」との縁(えにし)がもっとも嬉しいカタチで甦ったと、ぼくは心から感激しているのデス。
芸能プロデューサー麻生芳伸さんのこと
麻生さんの芸能プロデューサーとしての仕事は、ユニークで多彩だった。
昨夏、ぼくがとんでもない大病をしてなんとか復活した時、彼は体調をくずし、12月31日(2005年)に急逝した。
彼の強い要望で「桂小金治独演」の企画を進めていた。
その後、「麻生芳伸さんを偲ぶ会」などを通じて彼の旧友である木村聖哉・志田盛弘・青木英明・田島正夫(順不同)の皆さんと、麻生さんが生前親しくしていた中野区沼袋・シルクラブの社長西村重博さんの理解と協力で、来年2007年3月21日(水)に、「異才!麻生芳伸を偲んで」の「桂小金治独演会」が実現することになった。
ぼくもゲーノー・テレビ・広告などのギョーカイは古い。当然、仲間・友人の新陳代謝はある。
去る者、日々に疎しというコトバもあるが、いまのぼくにとっては、移り変わる季節にも不変の〔畏敬する先輩の皆さん〕と、新しいお仲間との快い交流は、ひたすら楽しく嬉しいものである。
06年さようなら。さて新しい年、07年をもっと楽しい年にしよう。
いい先輩、そして新しいお仲間、……よろしくお願い致します。
人去り、人来たりて、ゆっくりめぐり移ろう人生の季節――。
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