「ニッポンの芸能人」シリーズ89

「去年今年貫く棒の如きもの 虚子」
 ラジオ・テレビ、そしてCM ・広告の仕事をしている時から「年末・年始」という季節がキライだった。個人としての感覚は虚子の句そのものだったが、仕事のスケジュールがやたら「多忙」を強いてきた。
 正月に入って、やっとひと息ついて、家の目の前にある神社の、それこそ誰もいない境内で幼なかった子どもたちと紙ヒコーキを飛ばして遊んだ記憶がある。
 ときたま参詣する人が現れて社殿に向かって鳴らす鈴の音とかしわ手の音が冴えざえと聞こえた。
 いまその神社には、大みそかからずっと避難民のような群衆が詰めかける。
 からだをちぢこませた参詣を持つ人たちが何時間か立ちつくしている。
 だからふだんの静かな神社に親しんでるぼくは、この時期、とことん近寄らない。
 それにしても、正月だけ、発作的・熱狂的にやってくるような者に、果たして神仏のご利益などあるのかね。
 どこやらのソーリ大臣のあざとい行動も噴飯ものだけど、やっぱり日常の行動・思考などがハズレている人間に真の恩恵など授かるわかがない――はずだと思うよ。

空港・列車・高速道路の混雑とテレビの騒音
 すべてがキライである。しかし、テレビの騒音はスイッチOFFで拒むことができる。
 悪ふざけとたんなるおチャラケを正月特番として平然とタレ流しているテレビ制作者たちにも肚が立つ。
 そのアホな奴らに媚びたお笑い芸人たちの「ヨッパライの冗談ごっこ」程度のシロモノを「お笑いブーム」とはやし立てる愚かさには元マスコミ人としてはただウンザリするばかりだ。
 それと大量のCM。元ギョーカイ人としては「番組とCM枠の規制」(以前は番組時間10%以内だったが、現在は?)などはまるで無視されていると思わざるを得ない。
 ドラマや劇映画などのコマ切れは、視聴者の感性をイビツにしているね。
 とりわけ、あの紅白歌合戦など(最近はまったく見たこともないが)の質ときたら、怒る気も失せる。
 続発する低俗なスキャンダルや横領事件をタナにあげての「視聴料支払い保留の者」への強権発動など、その思い上がりぶりなど許せない。その以前にやるべきことはあるはずだ。
 ぼくは地上波デジタル時代とやらのための新しいキカイについては1と3のチャンネルを使用不可能にして、NHKの番組を受信拒否したいと思っている。
 不必要な商品を強制的に送りつけて代金を請求する行為(これはいま流行の××詐欺に等しいのでないかね)は許されるのか、識者各位のご意見をお聞きしたい。

年末年始の「本庄バージョン」
 エラソーに書くつもりないが(そう思うわれても別にかまわないが)、年末は千葉県行徳の図書館に出かけての資料しらべが楽しかった。
 そして行徳・浦安の関連図書をざっと10冊ほど、娘のアシスト(パソコン検索等)で入手した。
 そのほか「江戸前」に関する本はのべで十数冊。ついでに大判の「日本料理」全八冊、そのほかすしの本、さらにドッコイショ! というかけ声を必要するほどに重い「江戸のくらし・風俗大事典」など、年末と年始にかけての「本漁り」で大量にして大漁の収穫を得た。
 テアトルエコーの公演のフォローで遅れたので、年末も年始も原稿執筆の机に向かっている。
 1月10日頃からかかる予定のD書房さんからの発注の小説を書くのが楽しみだ。

・追記
 でも昨日(4日)は、映画「早咲きの花」をワイフと観に銀座ル・テアトルに出かけた。
 年末のパーティで親しくなった山口県周南市の美しいレディ小林優子さんに「監督の菅原さんを応援しています」とご案内のチケットを頂いたのだ。
 戦争中の子どもたちの暮らしとその苛酷な運命の結末を現在という視点から描いている。(浅岡ルリ子主演)
 監督の菅原浩志氏と熱い握手を交わした。
 「ALWAYS 三丁目の夕日」と共に、快い共感を得た佳作である。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:28 pm  

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