ウソは〔人間〕の始まり
ウソっ臭い嘘、ウソばっかりの社会と政治
詐欺と偽装とインチキばかりが横行する社会である。
政治(家)から始まって、各種官庁、地方行政府。企業、メーカー、そして大小の金融業からリフォームなどの中小企業、さらに個人レベルの詐欺や横領など、ウソ八百でベタ塗りの昨今である。
もともと「ウソ八百」というコトバがウソ仕立てだ。
とりあえず時代小説作家のハシクレだから「大江戸八百八町」だの「旗本八万騎」、「大阪八百八橋」などオーバーな表現には慣れっこである。
そういえば中国などには「白髪三千丈」とかいったオーバー表現は山ほどあるが、だいたいオーバーな表現はウソの始まりだね。
ウソつきは〔人間〕の始まり
このところまた、アベ内閣の現役閣僚をはじめ、現役議員、そして品川区(その他イロイロの)地方公務員らの公費にかかわる不正濫用疑惑(俗に公金ドロボーという!)が続発している。
内容は使用料タダの議員宿舎に妾(のような者)と同棲したり、自分の家を〔事務所〕として届けてたっぷりの家賃を公費として請求したり、政務調査費で飲み食いやカラオケにうつつをぬかし、かと思えば公務の名をかりた宴会で、お接待係の女性にチカン行為をしたりと、まあ、どれもこれも、食いけとウソと横暴ばっかり。
つくづく思う。「人間って哀れだなあ。人間って哀しいねぇ」
ぼくの資料棚で最近のさばっている本たち
ぼくの現在の棲み家の風景はヘタな古本屋と似たようなものだ。
書斎はもちろん、天井までの本棚が三方を囲んでいる。そのほか二つの部屋も本棚ぎっしり。2階への階段は片側は本ダナ。床にも本、壁ぎわも本。
ぼくが死んだら、古本屋が開業できるゾ、と口走ったりする。
放送作家・コピーライター時代の蔵書は一部を除いてほとんど江戸時代の資料と入れ替わった。
昨年末のテアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」の好評につい図にのって、目下、時代小説執筆と平行して舞台のコメディをと意欲している。
10企画ほどの資料箱には関係資料本をバンバン入れておくが、このところ目立って多いのが〔詐欺〕関係の本。
いわく「世界のペテンと詐欺の大百科」「詐欺師入門/騙しの天才たち」「人をその気にさせる話術」「悪知恵マニュアル」「悪徳商法/あなたはもう騙されている」「詐欺とパクリの裏手口」「詐欺師の手口90」「詐欺師のすべて」「怪しいお仕事」「騙す人ダマされる人」「平成の裏仕事師列伝」……キリがないのです。
詐欺師のコメディはいくらもあるが、これで、ヨーシ、決定版を書いてやるゾ、なのデス。
ひとつのウソをつくと新しい20のウソを考えなければならない
それにしても、いまのテレビドラマのほとんどが、あまりにもウソっ臭くて、どうにもシラケるね。
もともと舞台の戯曲も映画のシナリオも、小説もフィクション。ウソの素材をどうほんとうらしく見せるか、読ませるかが作り手たちの技だが、まあ、いまのテレビの、その軽々しくアサハカな作りようといったら……。
とりわけ、民放テレビなんてタダだからどうでもいいが、カネを巻き上げるのにキュウキュウとしているNHKのモノだって(ドラマはドラマとして)番組全体では見なくてはのちのち困るというほどのものはない。
あの不祥事とスキャンダル続発のダンタイの本質にフタをしておいて〔強権発動〕するとは、これは「押し売り詐欺」ではないのかね。
NHKの番組に代る情報ツールやエンターテインメントなどいくらでもあるのだよ。
それにしてもウソどっぷりの社会とそこにうごめく人たち――ぼくはフィクションというウソをタネにした仕事をして半世紀、カツカツだが生活をしたきたが、現実では努力してウソをつかないようにしている。
だって「ひとつのウソをつくと20のウソを――」なんて計算したら、とてもそんな才能ないことに気付くもの。とにかく気が小さいから、そんな大胆なことしないね。
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いまの社会、ウソを取り除いたら、なにが残るのかね。
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