「社会&芸能・つれづれ愚差」第4回(通算114回)

昭和20(1945)年4月の記録と記憶
 ぼくは昭和20年は小学6年生。4月に高等小学校(のちの新制中学)に進学した。
 が、すぐの4月13日(金)から翌14日未明にかけて、アメリカ軍B29、330機の無差別爆撃が4時間以上あって、父親と8歳下の弟と3人(母親は前年病死していた)で命ひとつで逃げ惑った。
 学友の大部分はすでに地方へ学童疎開していた。
 滝野川第六小学校全員で30名〜40名ほどがさまざまな理由で「残留組」として東京に居残っていたのだ。
 家は当時の北区・板橋区一帯の陸軍造兵厰(兵器製造工場の大集団地)に近く、米軍の爆撃はひたすら熾烈を極めた。
 焼夷弾の落下・爆撃の形容を「雨あられのように」などいうが、決してこんな言い方がオーバーではなかった。
 焼夷弾の直撃をうけた無惨な屍。頭髪とからだに油脂をあびた者の火だるまの七転八倒。泣き叫びながら水を求めて疾駆する者の熾烈な憤死……。
 ぼくら家族はなんとか生きのびた。命ひとつだけの「生存」である。
 これらの記憶はいずれ記録として詳細に書きしるす。
 それにしても、なんとか「平和」を保っての63年間だったが、いままたどういうつもりか、屁理屈をこねての戦争への傾斜が目に立つ。

この2007年4月という日々は……
 都知事選が終わって、キツネに化かされたような思いが遺った。
 あいかわらず政治・経済・社会……ひたすら荒れている。
 過ぐる4月10日(火)の朝日新聞のコラム「天声人語」でバグダッドが〔陥落〕して丸4年……ということをあらためて思い知った。
 そして、そこに引用されている歌人岡野弘彦氏の「砂あらし 地(つち)を削りてすさぶ野に 爆死せし子を抱き立つ母」を読んだ。
 その歌集「バグダッド燃ゆ」をさっそく購入した。
 「東京を焼きほろぼしし戦火いま イスラムの民にふたたび迫る」など、思わずうなずく歌ばかりが並んでいる。
 「天声人語」氏も言う。
 「6万という市民が死んだが、最大の犠牲者は、岡野さんも詠んだ子どもたちではないか」。さらに「血なまぐさい日常がもたらす心の傷を思うと暗然となる。平穏な日々が戻っても傷はいつまでも残る。訓練を受けた米兵でさえ、心的外傷のため、帰国後に暴力的になったりする者が後を絶たないのだ」とアピールする。
 折しもイラクに新たな爆破テロの惨事が続発している。その惨状は正に戦争そのものの無惨さである。

現在のアメリカには2億丁の拳銃が流布している
 折しも、バージニア州の大学で銃の乱射事件があった。その狂気に満ちた事件は「武力や爆薬ですべてを解決する」というアメリカの流儀とイクォールしているはずだ。2億丁の拳銃が日常の生活の中に野放しなっている国は真の民主国家か。
 わが日本でも、拳銃を振り回す男に、長崎市長4選をめざす者が選挙演説中に射殺された。
 「美しい国」だの「東京再起動」だのというスローガンはともかく、それを主導する者たちの思考の本質はとても信じられない。
 すでに殺人と汚職と欺瞞と……ひたすら汚濁にまみれた現世で、高齢者や病人や職にありつけない者たちが悲鳴をあげている。
 ゴールデン・ウィークなるバカ騒ぎの季節を迎えるこの4月、やはり63年前のことを否も応もなく思い返す。

 歴史や経験に真摯(しんし)に学ぼうとしない人類は……。
 くそ。呉越同舟なんて、ほとほとイヤですねぇ。  

— posted by 本庄慧一郎 at 04:46 pm  

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