「社会&芸能・つれづれ愚差」第96回(通算206回)

09年1月21日刊行、拙著「幻のB級! 大都映画がゆく」(集英社新書)についての書評がさっそく2月5日号(1月29日発売)の「週刊新潮」に掲載された。

評者は文芸評論家の縄田一男氏です。



《映画史に一石を投じる必読本》

  文筆を業とする者ならば、必ずや生涯に一冊というテーマを胸中にあたためているはずである。本庄慧一郎にとって、それが、四人の叔父がスタッフとして在籍し、少年期、撮影所の雰囲気を吸収しながら育った大都映画の全貌を解明していくことであっても何ら不思議はあるまい。
 実際、大都映画で製作された映画の中で、完全、不完全を問わず現存している作品はごく僅かでしかない。そこで著者が選んだのは、創始者・河合徳三郎を軸に映画史の未開拓部分に斬り込んでいくことであった。
 徳三郎は、西南戦争後の全国的不況の中、故郷岐阜から青雲の志を抱いて上京。
“もっこ抱ぎ(かつぎ)”をふりだしに、土建業者〜博徒集団の風雲児として名を轟かせた。さらに頭山満や後藤新平の知遇を得て政治外郭団体のリーダーとして東京府会議員を二期八年つとめ、いまも泉岳寺に遺る、大石良雄の碑を建立したりした。そして昭和二年、大都映画の母胎となった河合映画会社を発足。同十七年、政府の映画製作会社の統合命令により、日活、新興キネマとともに大映として合併吸収されることになる。
 著者の意図は、これまでの権威主義的な映画史にはほんの一ページくらいの扱いで、かつ、「満州事変から日中戦争に至る時期にキワものと呼ばれるニュース・ストーリー的な愛国的国策映画をいちばんたくさん作ったのはこの会社だった」と記されている誤記等を糺すことであった。この一巻によれば、大都映画は「大号令」という大作国策映画一本をつくったことを免罪符に、ますます娯楽路線の充実を図ってゆく。
 つまり、本庄の主張は、大都映画とは、社会の不況の中から躍り出た一代の奇傑・河合徳三郎がつくった娯楽の殿堂、すなわち、映画界の<立川文庫>というべきもの。そして、熱烈な固定ファンと驚異的な本数を封切り、経営破綻でなく、軍主導の国家の命令によって潰された映画会社である、ということになる。
 従来の映画史に一石を投じる客観性と、行間からにじみ出る愛情が一体となった映画ファン必読の一巻だ。



おかげさまで、映画監督、演劇評論家、日本映画史研究家……などの多くの皆さんからたくさんの反響をいただいています。
映画ファンの方々は、ぜひご覧ください。

— posted by 本庄慧一郎 at 09:28 am  

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