本庄慧一郎の『社会芸能つれづれ愚差』もおかげさまで、この回で298回になりました。
ずっと親しくご愛読・訪問して下さっている皆さんに、あらためてありがとうございますと申し上げます。
2005年の夏、ギラン・バレー症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群などというまことにヤヤコシイ病気にかかりまして、大変に優れたお医者さまと積極的で的確な看護師・療法士の方々の尽力で蘇生して以来7年、健やかに過ごしてきました。
でも、その「大病」とリハビリの期間をきっかけに、大勢の皆さんから頂いていた年賀状に対して心ならずも、欠礼することになりました。
その申しわけない――という思いも託して、この週1回更新のブログをせっせと続けて参りました。この回で通算410回になりました。
新しい年2013年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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カァチャンよ 働きすぎだよ 玉子酒 変哲(小沢昭一)
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いつも来る 綿蟲のころ 深大寺 波郷
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ふとめざめたら なみだがこぼれていた 山頭火
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かくれ家や 歯のない口で 福は内 一茶
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好きだから 強くぶつけた 雪合戦 風天(渥美清)
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蜜柑たべて よい火にあたって居る 方哉
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細道になり行く声や 寒念仏 蕪村
とにかく、とにかく、平和な世でありますように。
とにかく、とにかく、まじめに生きようと努める人に相応のしあわせを。
何はなくとも、もうひと仕事を、と意欲している本庄慧一郎です。
新しい年もよろしくご交誼のほどをあらためてお願い申しあげます。
2013年を迎えるに当たって――。
小沢昭一著 「俳句で綴る変哲半世記」
12月27日(木)、岩波書店さんからの「書籍在中」の郵便物が届いた。
小沢昭一著「俳句で綴る変哲半生記」だった。
小沢さんが亡くなったのは、12月10日――17日前のこと。
思うに、この本の上梓を待たずに小沢さんは旅立たれたことになる――気品と格調をもった本を手にして、つい涙をしたたらせた。
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先週、小沢昭一さんとの思い出について、あれこれつづった。
多くの方がさまざまなエピソードや思い出ばなしを述べていらっしゃたので、本庄慧一郎としては「本庄流にしぼって」書かせて頂いた。
拙著「東京ろまんちっ句」の「あとがき」には、小沢昭一さんとのこと、そして変哲さんの俳句のことをあれこれ書かせて頂いた。
その小沢変哲さんからは、あべこべにていねいなおほめの葉書を頂いた。
その頁の五七五――
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(「東京ろまんちっ句」望田市郎(本名)著 1996年 冬青社刊 pp36-37より)
原発を拒みつづけて枯野なる 変哲(平成11年11月)
なにはさてあと幾たびの晦日蕎麦 変哲(平成17年12月)
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去る・消える 逝く人のことなど寒椿 一露
ケイちゃんの目 ↓
春を待つ大樹
生きた化石といわれるメタセコイア
生きた化石といわれるメタセコイア
**浅草公会堂前の手形**