●そういえば――
かつて(いわゆるバブル時代)、商売柄(ラジオテレビ&広告・TVCF制作時代)打ち合わせなどで、つねに銀座・六本木・赤坂・原宿……などをウロウロするのが日常だった。
●そういえば――
書斎での執筆の仕事に移ってから、それらの繁華街とはすっかり疎遠になった。
当時は、それらの街のレストランで食事をすることも多く、仕事仲間とよくランチを一緒にした。
●そういえば――
当時はこちとら「自由業」――混雑する時間を避けて、少々ずらして入店する。
すると、近くの会社のサラリーマンやOLたちが引き上げたばかりの、レストランのテーブルに「食い散らかした」ままの皿、小鉢があった――。
●そういえば――
その情景は、ギョッとするほどだらしなく、穢く、見るにたえないほどの惨状だった。
つまり、皿に残された料理や、口紅のついたシワシワのナプキンは、そのまま「汚物」だったネ。
●そういえば――
ウェイター、ウエイトレスも手が回らないので、すぐに片付かない。テーブルの「汚物」を目の前にして、憮然と座している――その不快感は、何年も経ったいまでも記憶にこびりついている。
●そういえば――
彼らは、たぶん「一流企業」の者たちだったはずだが、彼らの「品性」を疑ったねぇ。
***
●そういえば――
観光地へ向かう電車ではなく、都心を走る電車の中でムシャムシャとモノを食う女性としばしば出くわす。
もちろん(!)手鏡をのぞき込んで化粧する女性などは、のべつだけど。
●そういえば――
ある著名なフォトグラファーが言っていた。「モノを飲み食いするアクションが美しい――なんてレディはこの世にいないねぇ。たいてい、いやらしく、あさましいんだ」
●そういえば――
ひと昔まえのテレビのホームドラマは、のべつ食卓――食事の場面が出てきたが、最近は、ドラマ以外の番組でも、やたらモノを食べる場面がのさばっている。
その女たちの表情も仕草も、そして口にするコトバも品性を欠いていて、ゲンナリする。(女性に限らず……男たちの場合もそれ以下だけどネ)
●そういえば――
テレビの視聴率というのは、以前「1%=100万人」といわれていた。現在の数字は変わってるだろうけどさ。
でも、その(ン百万人もの他人が見ている)「衆人環視」のまっただ中で、不作法にモノを食うなんて……ハレンチというべきじゃないか?
●そういえば――
あるお年寄りがきつい語調でいっていた。
「生きものとしての人間が、からだにモノを入れたり(食べることだ!)また、からだからモノを排泄(大小便をすることだ!)することは、大っぴらに他人目(ひと目)に晒すのは大ハレンチだ」と。
●そういえば――
テレビでギャアギャア騒ぎながらモノを食ってる者たちって……シアワセだなぁ!(と見当ちがいのコトを呟いた)
●そういえば――
「食べのこさない、食べきる!運動」といったようなキャッチフレーズでキャンペーンをはじめた地方都市(川越市だっけ?)があったなぁ。
●そういえば――
アメリカの作家パール・S・バックの書いた大河小説『大地』を読んだのはン10年前だった。
中国の貧しい夫婦の三代にわたる時代の物語だったけど、食べる物のない貧窮のどん底で若い夫婦が「壁の土」を煮て食べ、飢えをしのぐという場面があった――。
●そういえば――
本庄慧一郎の未発表の時代小説短編で『飢餓峠』というのがある。
江戸から逃げてきた若い幕府の役人が、奥秩父から山越えをして自分の故郷をめざす――その途中で、貧しい農家の老婆と娘に出会って一夜の宿を乞うが、その老婆が囲炉裏の土鍋で煮ていたものは「畑の土」であった――というのがあった。
●そういえば――
ニホンウナギ、クロマグロ……などの絶滅危機がいわれている。
寿司大型店などの「マグロ解体ショー」などに目の色を変えて群がる人たちの――上品ぶる気はないけど、アレッてさあ……何ていえばいいのかねぇ!
●そういえば――
そのうち、客集めにブタやらウシやウマなどの「解体ショー」でもやらかすんだろうか?
●そういえば――
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」といった人は、ゲーテだっけ?
***
「家は(雨水が)洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて、足ることなり」
――千利休/江戸時代の茶人
「食べ散らかす? 食い散らかす? 意地穢く、自分の人生をも?」
――本庄慧一郎
ケイちゃんの目 ↓
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ちっぽけな庭の生きものたち
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