「社会&芸能・つれづれ愚差」第438回(通算550回)

「古紙」にしない新聞たち。

●そういえば――
 わがファミリーの提案で、9月19日付の主要新聞複数紙を買い揃えて、精読した。

●そういえば――
 その「暴挙」とも「暴走」とも「妄動」ともいうべき国会の議場の与党議員たちの行為行動はひたすらハレンチで醜悪だった。

●そういえば――
 あらかじめ予想していたことではあるが、この議事進行に対する各新聞の論説や提言などは、各社なりにのべられていたが、「こんな解釈しか……?」というモノもあった。
 民主主義政治に「強引」や「暴挙」が混乱や非難が生じるのは当然の結果だが――。

●そういえば――
 わが書斎や執筆作業のデスク周辺は、あいかわらずペーパー乱舞である。それでなくても、意味のある「記録資料」は具体的なカタチとして身辺に保存する――だから、当然、ペーパー山積という結果になる。

●そういえば――
 「戦後70周年の夏」に関する資料も、「8月6日ヒロシマ」「8月9日ナガサキ」の関係資料もいいかげんに出来ない。

●そういえば――
 茨城県常総市の堤防決壊の記録も……いや、書斎の資料本棚には「昭和史」関係の書籍資料もいいかげんに出来ない。
 「戦争」という名の限りなく残酷で悲惨な事実は「昭和という時代」にある。決して忘れることはできないのだ。

●そういえば――
 「過ぎてしまえば、さっさと忘れる」という社会風潮と、そのことに一顧だにしない政治屋たちとケンボー症人種たちに対する焦燥感が加熱するばかりだ!

●なにがどうあろうと――
 あの「敗戦70年」のいま、多くの国民が納得しない「法案」を強行議決したことをたやすく看過することはできない。



●そういえば――
 テレビ局の番組改編で――たとえばニュースワイド番組のコメンテーターの顔ぶれが、そろってお軽くうすっぺらな出演者になった。(局の意向か、その背後からの圧力か?)期せずして、ちょっと見場のいい(?)女性が目立つ。しかし、トークの内容はいずれも皮相的で説得力に欠けるものが多い。
 オピニオンリーダーとしての資質ではなく、せいぜい「テレビ井戸端おしゃべり会」のギャラリーだね。

●そういえば――
 テレビCFの全般にいえることだが、うすっぺらで小うるさいのが、やたら目に立つ。
 「そうだよね、なるほどなぁ」とか「うん。そのテがあったね、なるほど」とか、はたまた「いいなぁ、ソレってさ」なんて好意とか共感とかに縁遠い駄作が多い。

●そういえば――
 大災害や大事故の報道映像におかまいなく入り込む押し付けCF群。
 あれは、何とかしなくちゃならないよね。え? 編成担当者さん。当該CFをたとえばフツーの番組に振り替えるとかさ。でないと、ホラ、それらのCFの商品や広告主にとって「火事場ドロボー」のような不快な印象しか残らないよ。


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ケイちゃんの目 ↓

記録と記憶

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古い週刊誌も新聞も保存する

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— posted by 本庄慧一郎 at 03:00 pm  

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