あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
俳優日下武史さん死去(享年86歳)。
劇団四季の創立メンバー日下武史さん、静養先のスペインで亡くなられた。
(東京新聞2017年5月17日朝刊より)
(朝日新聞2017年5月17日朝刊より)
劇団四季の創立は1953年(昭和28年)。
日下さんは、浅利慶太さん、藤野節子さん、水島弘さんら10人の劇団創立メンバーだった。
慶應義塾大学の友人らが中心となって活動を始めたという。
初期の公演をいくつか観ている。
いや、師であり叔父であった劇作家小沢不二夫(1912年〜1966年)は、開局した民放ラジオ局の放送劇などさまざまな脚本を書いていて、経済的に恵まれなかった新劇系の俳優たちが、武蔵関にあった小沢宅によく顔を見せていた。田中明夫さんはアキ坊と呼ばれて、ドラマなどによく起用されていた。
水島弘さんの実家は、西武新宿線上石神井駅をはさんだ向こう側で、父上が畳屋さんを営んでいた。小生の自宅は西武池袋線大泉学園側だった。
小沢不二夫の娘でぼくのいとこの水沢有美は、6歳の時にアヌイの「せむしの聖女」に浅利慶太さんに請われて子役で出演し、新井薬師の借り稽古場にかよった。小生はその付き人として稽古中も、そして公演中もずっと付きあった。
チラシ1枚の公演パンフ
その後、東京駅八重洲口にあった国鉄労働会館ホールや神田一ツ橋講堂などの公演には必ず出かけた。
国鉄労働会館ホールの公演は、(記憶は不確かだが)原作武田泰淳の『ひかりごけ』を観ている。
そして、ピーター・シェーファー原作「エクウス」――美少年だった(!)市村正親が全裸(といっても照明操作で巧みにカバーしていた)で演じて、相手役の医師役が日下武史という刺激的な物語だった。
資料本棚からの本
日下さんとは、ラジオCMのナレーターとして、またTBSラジオのDJ番組にレギュラー出演してもらった。
前者は在京キーラジオ局の全日をT自動車メーカーが1社提供するというユニークな企画があり、ン10本のCMの企画・コピー・ディレクションを担当。
日下さんの「名調子」で制作、好評を得た。
後者のDJ番組はTBSブリタニカ(当時)提供、「海のポエムと音楽」という内容で、「品位のある」(!)番組を制作した。
***
そういえば――
黒澤明作品の(遺作となった?)映画『まあだだよ』の撮影スタジオで、出演していた日下さんに会った。
小生は、映画『まあだだよ』のメイキング作品の企画脚本を担当して、東宝スタジオに出向いたのだ。
劇団四季が現在の大集団になってからは縁遠くなった。
結局、日下武史さんの舞台とも疎遠になっていて……。
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それにしても――
俳優としての……いい役者がいなくなったねぇ。
たとえば、それとなく好意をもっている香川照之さんや笹野高史さんなども、いま放映中の「蚊取りスプレー」のTVCMを見るとがっくりくる。
「俳優としての自分」をダメにしているとしか思えない。
かつて小生もうんざりするほどテレビ・ラジオのCMを作った。
たとえば出演者としては、高倉健さん(アサヒビール)や松坂慶子さん(メナード化粧品)、真野響子さん(カティサーク)、初代松本白鸚/八代目松本幸四郎さん(カティサーク12年もの)、先代十七代目中村勘三郎さん、波乃久里子さん親娘(白子のり)など。ナレーションでは宇野重吉さん(ヤマギワ電器)、仲代達矢さん(サントリーウィスキー/エクセレンス)など、その他いろいろ。スタークラスの人たちに出演依頼したが、その出演者のイメージを汚すことはせず、よろこばれた。
いまの香川照之さんや笹野高史さんの場合、出演者ご本人はどう思ってるのかねぇ。(カネさえもらえば何でもいい?)
それにしても、現在のテレビというものには――品性や品位はないねぇ。
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いまあらためて、日下武史さんの俳優としての魅力に思いを馳せ、ご冥福をお祈りいたします。
メディアとして劣化するテレビは演劇人(俳優)のプライドも矜持も腐蝕させるのダ。
ケイちゃんの目 ↓
懐かしの松坂屋銀座・屋上