あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
2017年5月13日 能村庸一氏死去。享年76歳
(朝日新聞2017年5月22日朝刊より)
(東京新聞2017年5月22日朝刊より)
能村氏はフジテレビでは当初アナウンサーとして働いていたが、後に制作に移った。そして、番組制作プロデューサーとして「鬼平犯科帳」「剣客商売」等、ヒット作を担当した。
この能村氏とは親しくおつきあいした。
というのも、「鬼平犯科帳」「剣客商売」等の原作者である池波正太郎氏とは、その企画当初からの担当プロデューサーである市川久夫氏がゼロから企画(テレビドラマ化)を具体化し、この市川久夫氏にフジテレビ側の担当として能村庸一氏がフォロー。
市川氏亡き後(2002年没)、能村氏がその作業を継承したのだ。
小生はこのご両人と親しくご交誼の機会を頂いた――。
とりわけ、市川久夫プロデューサーは、師であり叔父であった劇作家小沢不二夫(1912年〜1966年)と親しく、若輩だった本庄慧一郎にも親しく接してくれた。芸能界の大先輩でありながら、紳士で決してブルことのない奥床しいお人柄だった。
市川久夫先輩/作家二階堂玲太氏/本庄慧一郎
能村庸一氏・著作本
市川久夫氏・著作本
フジテレビの開局は昭和34年(1959年)。その準備段階の「試験放送」用の脚本を書いた。かく申す本人もスタッフも「テレビドラマ」の制作は「初体験」であった。
もちろん(!)VTRなどはない。「ナマ本番」が大原則だ。
つまり、「舞台ライブ――演劇」と同様の緊張感に満ちた作業だった。
いま、テレビから骨太の時代劇が消えた。いや、時代劇ばかりではない。まっとうなドラマは見当たらない。
素人っぽいお笑タレントやずばり素人のカラ騒ぎばかりのイージーな番組がのさばる。テレビメディアに娯楽番組に関しては「自己放棄」している。いや、ニュース情報番組さえ、(ごく一部を除いて)かなり「手抜き」が目立つ。
市川久夫氏、能村庸一氏へと引き継がれた良質のテレビ時代劇の「伝統」は途絶えた――と言わざるを得ない。
能村庸一氏が在籍し、なおかつかく申す本庄慧一郎が「試験放送」から関わったフジテレビの「低迷」が続いている。
かくして本庄慧一郎としては、テレビを離れて文庫書き下ろし時代小説をざっと50冊ほどまとめた――テレビからホンモノの時代劇が消えると思っている。いや、まともな現代劇もアブナイね。
一時、フジテレビが得意になって制作したトレンディドラマ――とか、アレは「鼻もちならない作品」だった。その後、フジテレビの「低迷」は深刻だね。
人気マンガ(劇画)原作のテレビドラマ――社会現象・風俗の表層をなぞった(ような)ドラマが多い。
腰をすえて仕事をしている脚本家(たとえば、倉本聰氏、山田太一氏、金子成人氏など)にチャンスを用意することを怠っているテレビ局の制作フタッフが頼りないのだ!
能村氏の逝去は、テレビの時代物の終焉でもあると思う。
あらためて、能村庸一氏のご冥福をお祈りいたします。
ケイちゃんの目 ↓
Scenes of memories
野火止用水のカルガモたち
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