あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露
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2017年12月2日、歌手はしだのりひこさん逝去。享年72歳。
(朝日新聞2017年12月3日朝刊より)
はしだのりひこ氏が、北山修氏、故加藤和彦氏とのトリオでザ・フォーク・クルセダーズとしてデビューしたのは1967(昭和42)年。
私、本庄クンは当時、放送作家としてラジオ・テレビの仕事をせっせとやっていた。
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とりわけ、東芝EMI提供の番組があれこれあった。
宣伝マンとして気鋭のO・N氏とは気が合って――公私ともに気持ちのいいつきあいをしていた。
現在も人気のあるベンチャーズ、フォークグループのPPM……そしてビートルズを強力にアピールした。
(ビートルズ来日時には、武道館に出かけて取材――貴重な体験をした)
シャンソンのエンリコ・マシアス。そして、ギターのクロード・チアリ……などなど。
知ったかぶりで、DJ番組の構成台本を書いた。
はしだのりひこさんのヒストリーには、とりわけあれこれの思い出があるなぁ!
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ザ・フォーク・クルセダーズは、『帰って来たヨッパライ』で大ブレークした!(1967年12月発売)
『イムジン河』(1968年)は「発売中止、自粛」という問題があった。
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発売前『帰って来たヨッパライ』をテスト盤で覚えて――新宿歌舞伎町のサケの店で歌った。
故人になった作家野坂昭如氏のグループが、やたら大声で軍歌(♪勝ってくるぞと勇ましく〜などなど)を歌うのに対抗して、「♪おらは死んじまっただ〜」と、当グループ(東芝EMIのO・N氏とテアトル・エコーの故熊倉一雄氏など、親しいお仲間数人)が「♪おらは死んじまっただ〜」を熱唱し、ケゲンな顔の野坂センセイ一党をケムに巻いたりした。
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当時、本庄クンは放送作家業のかたわら、本気でコピーライターの仕事に取り組んでいて、広告代理店(スケールでベスト5に入る代理店)にまじめに勤務していたね。
当時のTVCM制作のフィールドには、結構優秀な人物がいて(そう……あの大林宣彦監督とか)ツワモノがずらりといたね。当方もムキになっていたよ。
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背の高い北山修氏と故加藤和彦氏。小柄なはしだのりひこ氏――。ユニークな魅力があった。
その後、はしだのりひこ氏と杉田二郎氏(シューベルツ)でも「風」「花嫁」をヒットさせた。
その杉田二郎氏にもCM音楽制作でご一緒した――。
それと、東芝EMIでは『石狩挽歌』(作詞にかにし礼、作曲浜圭介)を歌った北原ミレイさんに、私、本庄プロデュース・企画・コピー作詞・音楽制作で真野響子主演のCM『カティーサーク』のテーマソング(『名前で呼んで明日から』作曲八木正生)歌ってもらうなどアレコレやったなぁ……。
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はしだのりひこさんのその後とは、ついぞ疎遠になっていたけど――。
あの頃は、ずっとムキになって働いていた。
ふと気がつくと、当時、仕事に関わりをもった人たちが、次々と逝く――。
そう、レナウンのカジュアルウエァのCM「イエイエ」は、とくにきわだつ出来で作曲小林亜星さん。あの方は元気だなあ!
でも親しかった電通の制作担当、今村昭さんも逝ったし……。
そういえば、フォークルの『帰って来たヨッパライ』のテスト盤(ドーナッツ盤レコード)まだあるかもしれない。探して、はしだのりひこさんの声、聞いてみようかな。
ケイちゃんの目 ↓
Scenes of memories
鴨がワンサと来た頃の石神井三宝寺池
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