「社会&芸能・つれづれ愚差」第582回(通算694回)


あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露


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脚本家橋本忍さん逝去。(7月19日)ご冥福を祈ります。


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(朝日新聞 2018年7月20日 朝刊より)



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(東京新聞 2018年7月20日 夕刊より)



●そういえば――
 昭和29(1954)年作品の黒澤明監督の「七人の侍」を池袋の映画館で観た時の「超満員」の状況を鮮明に記憶している。その混雑ぶりは「殺人的」ですらあった。とにかくエンターテインメント作品として抜群の出来だった。

●そういえば――
 黒澤明主要作品の脚本チームの一員として文句なしの名作に参画した橋本先輩(100歳だった!)のツブ揃いのシナリオには、ひたすら敬服する。大先達である。

●そういえば――
 黒澤明監督最後の作品「まあだだよ」(原案内田百�痢砲痢屮瓠璽�ング」制作に加わった。監督内田健太郎(コマーシャルでは、ずっとコンビを組んでいた)望田市郎は「構成台本」担当だった。

●そういえば
 東宝スタジオの「黒澤組」の撮影現場に詰め「取材撮影」に努めた。
 もちろん黒澤明監督も取材した……。

●そういえば――
 橋本忍脚本では、フランキー堺の「私は貝になりたい」(1959年)も忘れられない。
 いや、どれもこれも「名作」の名に恥じない実力派先輩だった。

●なにをおいても――
 日本映画全盛時代を牽引した橋本忍さんに脱帽、最敬礼!






猛暑酷暑の夏だという
わが家の庭はカルイザワだぜ!



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電子書籍/余美太伊堂文庫 Link (制作:株式会社オーウィン)
Amazon、楽天Kobo電子書籍ストア等にて発売中。
新刊 続々発売予定。

— posted by 本庄慧一郎 at 03:42 pm  

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自主CDを制作
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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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