「社会&芸能・つれづれ愚差」第18回(通算128回)

心根が腐っているということ

心にもないことを堂々と大声で喚く人間の顔は醜い。
心にもないことを言っているにもかかわらず、すこしもうしろめたさを感じず堂々としていられる人間の神経にはすでに修復できない病根が巣食っている。
(本庄慧一郎)



虚言は真実でないばかりか、つねにそのうちに醜い争いを惹き起こす菌をもっている。
(ウェブスター/アメリカ・政治家)



「嘘つきは人間の始まり」というタイトルの舞台のコメディを書くつもりだ。
(本庄慧一郎)



われわれの肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神はつねに虚偽に包まれている。
(ショーペン・ハウエル/ドイツ・哲学者)



虚偽と事実。あるいは真実を見極める精神を捨てきった者は、その厚顔鉄皮ゆえにいつかは窒息する。いや、最近はしぶとく家族や仲間をハラハラさせながら生き永らえる別種もいる。
(本庄慧一郎)



嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。
(バイロン/イギリス・詩人)



失言とは何か。それはまぎれもない本心である。
(本庄慧一郎)



どんな馬鹿でも真実を語ることはたやすい。しかし、上手な嘘をつくことは、かなり悪知恵のはたらく者でなければ難しい。
(バトラー/英国・作家)



テッテイしたエゴイストで、無知と、非寛容と、鈍感に凝り固まった者ほど強い。
(本庄慧一郎)



多数というものは、どうしてもいちばん無知な、いちばん貧困ないちばん無力な人びとから成り立つ。
(アミエル/フランス系スイス・哲学者)



上記のことばは、まさか日本の選挙のことを言っているのではないよね。
(本庄慧一郎)

— posted by 本庄慧一郎 at 12:00 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第17回(通算127回)

苛立ちと暗澹と怒りと
 天――地球温暖化に起因すると言われる集中豪雨や強力なハリケーンによる甚大な被害。大地震・大津波、そして無惨な被害と悲惨な現実と……。
 地――一度拡散したら恐ろしい汚染は100年間は消滅しないといわれている放射能である。今回の中越沖地震で露呈した原子力発電所の事故とその隠蔽体質のあいかわらずの欺瞞と無責任と……。
 人――ひたすら奇怪・うさん臭い・面妖・心外・劣悪といったことばでしか言い表せない人間が跳梁する政治のフィールド。
 まず、選んでいない。もちろん信用していない。とうてい納得できない者たちの言動と行動。
 虚偽と詐術と横領と、浅慮と軽挙妄動の醜悪な社会よ!

 これらのことは、のらりくらりと長期にわたって居すわり続けた現在のエゴに満ちた保守政権の負の遺産と断言してはばからない。
 〔選挙〕という手段と権利を放棄する愚民たちよ、目覚めよ!

読書メモあれこれ
 「文芸春秋」8月号。
 商売柄、まず永六輔さんの「TVが王様――恥ずかしい国・日本」を読む。永さんと同時期にラジオ・テレビで仕事してきたぼくは、この永さんのメッセージに120パーセント同感する。
 さらにかつてCMの仕事をしていたぼくは、現在の多くのTVCMにはほとんど嫌悪している。
 すでにテレビ・TVCMのギョーカイから離脱して十数年たつが、永さんが言う「恥じらいなき日本人をつくった元兇はテレビだ」にひたすら共感する。
 同時に同じ雑誌の「電波男・島田紳助の金と権力」(ジャーナリスト奥野修司)も併読。
 島田紳助なる男の人間としての質は、いまさらのようにうんざりする。しかし、現在のブラウン管にウロウロする人気タレントと称するヤカラたちのうさん臭さ――ここにも「愚昧な選挙民」と同質同様の「愚昧な視聴者」が存在することに苛立つ。
 資産45億。年収12、3億とやらの紳助をはじめ、テレビ人気タレントと称される者たちの跳りょうと、知性も理性もかなぐり捨てた(もともと持ち合わせない)制作スタッフとそのギョーカイの連中のおかげで、日本のテレビのエンターテインメントは腐蝕して死に体になるね。

 「論座」8月号。(朝日新聞社)。
 粕谷一希氏(評論家)を鈴木邦夫がインタビューしている。
 「『風流夢譚』をめぐって」は、1961年に深沢七郎の同名小説に端を発した17歳の右翼少年によるあの殺傷事件について――である。
 作家のハシクレであるぼくとしては、肝に命じて読んだ。
 その現場にいた粕谷一希氏のことばはなおざりにはできない。
 さらに同じ雑誌の「わたしの戦後出版史――生涯現役編集者松本昌次が語る」を読む。(すでに17回を重ねている)
 粕谷一希氏同様、ぼくの「作家への転身」の時期に助力をして下さった方だ。
 先輩お二人の存在位置と思考と指向は当然異なるが、現在のぼくはこの類い稀な先輩先達のお二人を尊敬したやまない。
 そう、そして永六輔さん。浅草生まれという永さんの気質と思考に浅草近くの生まれ、浅草育ちのぼくは限りなく共感し、こよなく敬慕する。

 さて、読書予定メモだが――。
「15年戦争・軍靴の歩み」(関谷道義/創栄出版)
「戦時下の日本映画/人は国策映画を観たか」(古川隆久/吉川弘文館)
「秘録・日本の活動写真」(田中純一郎著・本地陽彦監修/ワイズ出版)
「一場の夢・二人のひばりと三代目の昭和」(西村正明/集英社)

 敬愛できる方と、手応えのある書籍に出会えないのは不幸だ。

 

— posted by 本庄慧一郎 at 01:34 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第16回(通算126回)

参院選「舌戦」という名の擬態と偽装
 昨日(07.7.12)公示された参院選のことを書くつもりだった。
 あるいは、「週刊文春」(07.7.13号)の「女がテレビを見なくなった/全番組視聴率20%割れ」について……とか、書きたいことは山積していた。
 いま、政治というフィールドに出しゃばっている人間の10人中の8人のことばは信じられない。
 そして、あとの2人の人たちのことばの説得力のなさにやたら苛立っている。

SONY黒木靖夫さんのことども
 さて、恒例になっている早朝4時30分に朝刊各紙を読むというならわしで、黒木靖夫さんの訃報に接した。
 黒木靖夫さんは「元SONY取締役」で、ヒット作「ウォークマン」の開発で中心的役割を果たした方だ。また、小生が制作スタッフとして加わった「ソニー・トリニトロンカラーテレビ」では、広報宣伝のご担当としても活躍した。
 この「トリニトロンカラーテレビ」のCMは、「第20回カンヌ国際広告映画特別賞」さらに「第21回同銅賞」をはじめ、国の内外の賞合計14本を受賞した。(1973〜4年)
 さらに、そのシリーズ作品のうちの3作品は「ACC第2回パーマネントコレション選定(88年)」また「昭和名作CM100選(91年)」に選定されている。ついでに記せば69年度には「資生堂歯みがきエコー」で「ACCラジオ部門コピー個人賞」を、そしてこのソニーのシリーズでは「73年度ACCテレビ部門コピー個人賞」を受賞した。
 現在では、〔自らの意志で離脱したギョーカイ〕であり、二度と回帰する気のないフィールドだが、このソニーとそしてあと二つ三つの仕事だけには快い印象を持ち続けている。
 黒木靖夫さんを中心とした関係者全員の記念写真がある。
 博報堂のプロデューサー故沼土満雄さんをはじめなつかしい顔が並ぶ。当方はそれ以後、併業の放送作家を離れ、ソニー当時の広告CMの企画・コピー制作を経由、現在は時代小説執筆を楽しみ、大量生産したCM音楽とはまるで異なるフィールドで楽曲作りに挑み、さらに念願の舞台の脚本をめざして、あいかわらずしつこくやっている。
 思えば、同時代を生き、共に一度こっきりの時を過ごした人たちが姿を消していくという「事実」に当然のことながらさまざまな感慨はある。でもやはり「もう一丁、やってやろうじゃないか」とあらためておのれに檄をとばすのだ。

 そういえば、ソニーさんの方たちとはこまかくおつきあいした。
 井深大さんにはインタビューさせてもらったし、盛田昭夫さんにはテレビCMやPR映画製作のことで親しくおはなししたり、ラジオ番組にご出演してもらって、あれこれ広告談義もした。
 また、当時の広告ご担当の河野透さんはソニー系列の制作会社の代表をつとめてご活躍中だ。さらに同期の岡田政訓さんはご自分の意志から途中退社して、絵画の研修でフランスに留学。現在は活発に創作活動を展開中である。



 黒木靖夫さん、あらためてまた、お目にかかりましょう。
 その節はどうぞまたよろしくご交誼のほどを。



 小生の元の仕事であるテレビ(CM番組)のことを悪しざまに言いたくはないが、それにしても、どれもこれもヒドイなあ。
 ドラマは劇画やマンガの原作だよりだし、CMとなるともう、「なに考えているの?」程度のものばかり。しかも放送時には、番組本来の構成やシークエンスを無視して強引にして過剰なCMで分断――その感覚は、ミートホープとやらの精肉加工業者のやりくちやら、餃子にダンボールを混入させた中国の脱線加工業者と同質である。
 次回は「文芸春秋」8月号の永六輔さんの「TVが王様/恥ずかしい国・日本」のメッセージをご紹介したい。



 このHPでも何回か書いてきたし、いませっせと書いている時代小説でもくり返して書いている。「一つのウソをつくと、そのために新しい20のウソを考えねばならない。その20のウソのためにさらに20の――」と。
 現在の選挙の「舌戦」とやらは「二枚舌」と付け加えるべきだ。
 アサハカな嘘をついている者の顔はひと目でわかる。
 おろおろするナントカ大臣はもとより、まことしやかな言動の「二枚舌人種」を叩き落とそう。

 有権者たる者、いまこそしっかりした鑑識眼を!

 

— posted by 本庄慧一郎 at 01:30 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第15回(通算125回)

あさはかなエゴ生物、はびこる現在……。
 「原爆しょうがない」の失言大臣が、見るからに鈍感顔(確かな自覚のない表情)で辞任した。
 彼は「わたしは語彙(ごい)が少なくて」とのたまわった。
 税金・公金に群がって好き勝手に食い散らかすゴキブリ役人は言語道断だが、日本人が日本語をめいっぱいフル活用することは罪悪ではない。
 金欲や物欲や権力の座へのあくなき欲望はあっても、おのれの意志や思想の表現のために自国の「言葉」について究める気持ちがないなんて、政治家としてそりゃおかしいですよ。
 日本語に関する辞典・辞書類はうんざりするほどあるけれど、たとえば「広辞苑」一冊、ペラペラと頁を開いてごらんなさい。
 われわれが日常使ってる言葉なんて、ほんのひとつまみしかない。
 日本人が日本語を好き勝手に使っても、これを「横領」とか「詐欺」とか「乱費」とか「濫費」とか「浪費」なんて非難されませんよ。
 やたら英語(外来・カタカナ語)のお好きなアベさんですけどね。すべてを日本語で表現するといったことにぜひ挑戦してみてはいかが。誰にでもすんなり理解できる日本語の文章及び表現というものは、「虚勢」や「虚言」や「虚飾」などを(あの悪質な精肉業者のように)まぜこぜにしてごまかしにくいという難点がありますけどね。
 以前、ぼくは、俳句を作る人たちや、コピーライターや、はたまた俳優志望の連中に「想像力と創造力養成の訓練」としてのさまざまな「言葉あそび」をコーチしてきた。
 その一つに「英語・外来カタカナ語を使ったら罰金百円」というのがある。一杯やりながらの駄弁会というバカバカしい趣向である。
 が、これが面白い。たとえば「タクシー乗ろうか」が言えない。「タバコある?」もダメ。「ビールのみたい」も「カレーライス食いたい」もうっかり口に出すと罰金百円なのだ。
 しょせんお遊びなのだが、「あらためて日本語を考える」というきっかけになって、こんなお遊び会に加わった仲間が拠出した罰金はたちまちン千円を超えたりして、飲み代の足しになった。
 こんな言葉遊びもあった。
 題して「イメージしりとり」。たとえば座長のぼくがキイワードとして「メガネ」を提示する。メンバーは勝手なイメージで、即答し、順送りしてゆく。
 一例でいえば「メガネ」の次は「桃太郎」(CMのことだ)「鬼が島」「悪党退治」「市民オンブズマン」「天下り役人」「大ドロボー」「国民年金」「無責任」「コロッケ」「我利我利亡者」「うそ八百」「大江戸八百八町」「必殺裏の始末人」……という展開になる。
 そんなもの簡単とうそぶく方はぜひやってみて下さい。
 即時即答。思考の瞬発力がない方は、額にアブラ汗をかく。
 このところ失言にかかわるアサハカ大臣が続出していうが、これは間違いなく思考力の根っこが錆び腐っているということ。
 思想の本質がどうしようもなくズレていることだ。
 ジェットコースターや電車の車軸が、そして遊園地の遊戯具の支柱が腐蝕してポッキリ折れるのと同様に、人間としての心の根っこが腐っている者は、現在の政治や社会や……そう、官公庁・省をはじめ、民間の企業組織の内部にもゴソゴソとしつこく巣食っている。
 われわれは「しょうがない」と知らん顔をしているわけにはいかないんですよ、キューマさん。



 いま、多くの皆さんから共感とご支持の熱い声援をいただいている自主制作CD「平和を願う歌/鳥になれたらいいね」は「原爆しょうがない」とは真反対の思いから生まれたものです。
 どんな理由にしろ、殺人殺戮を肯定するヤカラは、いざという時には自分だけは逃げのびることができると思っている。「人間らしい想像力」を欠落させた恐ろしいエゴ生物です。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:12 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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