畏友永田哲朗さんから電話あり。「今夜、新宿で一杯やりませんか」というお誘い。
永田さんは、〔知る人ぞ知る〕日本映画史家。
代表著作に「殺陣――チャンバラ映画史」(現代教養文庫)や「日本映画人改名・別称辞典」(国書刊行会)などがある。
2006年12月、テアトル・エコーで上演し、好評を頂いた「大都映画撮影所物語」(演出永井寛孝)、また2009年1月刊の集英社新書「幻のB級!大都映画がゆく」などで多大な協力を頂いた。 日本映画のみならず、日本芸能史一般のオーソリティでもある。さらに、これまたユニークなチャンバラ映画にテッテイしてこだわる「日本チャンバリストクラブ」のリーダーである。
永田さんのおなじみの店は、まず新宿ゴールデン街の「しの」。カウンターのみで10席ほど。PM6:30で待ち合わせ。
寒気きつい宵、入れ替わり立ち替わりの客。かつてン十年前、本庄一郎という筆名で放送作家を生業としていた時代、多くの人とのつきあいもあって、さんざん呑み歩いたが、近年はあまりなじみがない。
その「しの」さんの〔店歴〕は36年とか。
わが師である劇作家三好十郎さんをよく知っていたというあ「まえだ」という店はとうに姿を消していた――。
3月刊行予定の「新宿いま・むかし」(仮題/東京新聞出版部刊)でも新宿ゴールデン街のことを書いた。
永田さんいわく――「昔のゴールデン街にはオカマちゃんの店が70軒以上もあって……大にぎわいだったなぁ」
かく申す小生も、そのあたりの店では、結構なカオでありました。
「しの」を出て、永田さんのガイドでもう一軒。
花園交番前の花園神社の裏階段をのぼり、まるで人の姿のない境内から靖国通りへの参道へ――途中、ひょいと左折。
ビルの入口の左手に突然!「河太郎」というちんまりした居酒屋があった。オバチャンひとりで切り回すテレビセットのようなカウンターの小店だ。
ここで九州熊本の〔ショーチューのそば湯割り)を味わう。つまみは当然、辛子めんたいこ。そして馬刺し……。
新宿なんて知り尽くしている――なんてついほざくが、「河太郎」のような店なんて、まるで知らなかったなぁ。ちなみに〔店歴〕は40年とか。
ところで、現在の夜の歌舞伎町は通行人よりも、客引きの男たちの姿が異状に多い。イヤな予兆を感じるなぁ。
「しの」でのカウンターで玉置宏さんの訃報を聞いた。いずれ、彼とのことを書きたい。ご冥福を心からお祈りします。
書斎からの雪の朝
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