●芸能・TV・マスコミ界は「物書き業」として、どっぷりつかってきた。
その流れの中で「芸能人として」畏敬できるお人ということで、小沢昭一さん、桂小金治さん、そして熊倉一雄さん(あいうえお順)のお三方をアピールしてきた。
●2012年12月10日、小沢昭一さんが亡くなられ、このたび2014年11月3日、桂小金治さんが逝去された。

小沢昭一さんとは著作本の交換(交歓)、小金治さんとはテレビの仕事(『ぼうふら紳士』と平行してコント番組『待ってました!』などもあった)と、10年ほど前に「小金治さんにぜひ落語を!」とアピールして再会したのだった。
●小金治さんとは、昭和35(1960)年のフジテレビの『ぼうふら紳士』というコメディ番組で脚本を担当し、親しくなった――。
つねにパッショナブルで、「ヤボ」を嫌うお人であった。
昭和30年代新聞/ペンネーム本庄一郎




●メモ�,砲弔い討蓮▲謄▲肇襦Ε┘魁爾侶Я勸賤困気鵑凌堽呂發△辰董◆愨臈埀撚荵1峠衒�語』と題して2006年12月にテアトル・エコー131回公演(恵比寿・エコー劇場)として上演され好評を得た。
さらに『幻のB級! 大都映画が行く
●メモ�△蓮△泙製颪�まとめていないので、これは自己責任!
●メモ��は、これは桂小金治さんをアテにして考えた企画だったが、この「2005年の7月」の直後に、小生は「10万人に1人の確率」といわれるギラン・バレー症候群に襲われ緊急入院。(とんでもない体験をした!)
その時、小金治さんが「ぜひ、お見舞いに参上したい」と言って下さったのだが、謹んで辞退したのだった。
●この時点で、芸能・演芸プロデューサーの麻生芳伸さん(2005年12月31日没)から、「ぜひ、小金治さんを、たとえば三越名人会に出演させたい」という強い希望があり、そのプロローグとして中野区沼袋の高級呉服店の広間で――と企画は急進展した。

左:麻生芳伸氏と本庄
しかし、麻生さんがガンであることが判明し、あっというまに逝かれたのである。
しかも、親しく対応して下さった山田屋さんのオーナー西村さんも2006年3月2日に急逝されたのだった。
●1年後に企画有志の皆さんの合議で、お二方の追悼をかねて山田屋さんの広間での『桂小金治独演会』は開催され、熱気とぬくもりのあるイベントに好評を頂いたのだった。(2007年3月21日)
●桂小金治の十八番『渋酒』は文句なしの味わいで、あの熱い拍手が忘れられない。
「ヒノキ舞台」の高座から降りた小金治さんがスグ、「どうだった、本庄さん?」ときくので、「よかった! 満点!」と答えたら、その場で小金治さんは顔に手をあてて泣いたのだった。

●そしてさらに、中高一貫教育の新宿区にある学校の古典芸能部(顧問K先生)主催の集いに、桂小金治師匠をお招きするコーディネートをし、年齢差70歳の会場は和気あいあいで、大成功をおさめた。


●小金治さんの十八番は『渋酒』ともうひとつ、あの『芝浜』がある。(カセットテープを送ってくれてもいる)。
『芝浜』については、物語の主人公の亭主もいいけど、やはり「おかみさんがいいなあ!」とボクが言ったら、小金治さん、えらく喜んでくれた。
そんな話を書くとキリがないので(残念ながら)このへんで……。
桂小金治さんと小沢昭一さんは仲がよかった。
あっちへいったらまた、本庄慧一郎も仲間に入れてね。


●あらためて、桂小金治師匠と皆様のご冥福をお祈りいたします。













