「社会&芸能・つれづれ愚差」第478回(通算590回)


永六輔さんのこと。

●2016年7月7日。永六輔さんが亡くなられた。
 享年83歳。心からのご冥福を祈ります。

●なにしろ、永六輔さんとの「対面」は、昭和39年(1959)9月。
 現在は、その後、日本脚本家連盟と名称を変えたが、その母体になった「日本放送作家協会」が創立された日の会場だった。
 つまり、本年2016年には「創立50周年」(放送作家協会からでは57年)を迎えたわけだ。

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 もうひとつ、「つまり」といえば、永六輔さんとはその時からの「知己」であり、「同業者」であった――ということになる。

●その放送作家協会は、劇作家の大先輩の久保田万太郎先生以下、北条秀司、菊田一夫、宇野信夫(そして、本庄の師匠であった叔父の小沢不二夫)など、ベテランの先輩作家がズラリと顔を揃えていた。
 その創立総会に20代だった本庄も出席していた。
 が、その日その会のデータでは、「理事」としてすでに永六輔の名がある。
 さらに「評議員」として前田武彦の名もある。

●当時すでに、永六輔、前田武彦氏らは、ラジオ放送作家として現場の仕事をしていたのだ。
 とりわけ、永六輔氏は、すでにNHKラジオで活躍しはじめている。
 三木鶏郎の「トリローグループ」(ラジオのコント作家、出演タレントグループ)に関わっていたという。永六輔氏は高校生で、「投稿者」という立場で活躍。その才能を認められていた。

●本庄としては、劇作家小沢不二夫、同じく三好十郎という先生に師事し、演劇修業に努めていて、高校在学中から「コント投稿」という積極行動に出ることは叶わなかったのだ。

●そういえば、1960年代の民間放送は、まず民放ラジオの時代から始まり、やがてTVへと移行した。
 その時代を制作スタッフとして、また、その周辺の芸能フィールドで活躍したのは、永六輔、大橋巨泉、前田武彦、青島幸男、さらに阿久悠、野坂昭如、なかにし礼、五木寛之氏ら(順不同)である。
 小生(本庄慧一郎)としては、このグループ(数年の年齢差はあるが)の一人として、とにかく一生けんめいに走っていた。

●そういえば、今回の永六輔氏の訃報であらためて思ったのだが、すでに鬼籍に入られた人は多い。
 前田武彦、青島幸男、阿久悠、野坂昭如、そして永六輔の皆さん。
 共に民放ラジオ・テレビの現場でご一緒した人たちだった。

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数ある永六輔著作本の一部

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2016年2月4日放送『徹子の部屋』テレビ画面


 大橋巨泉、なかにし礼氏は、現在ガンとの闘病に努めているという。

●かく申す本庄も、いくつかのややっこしい病名の疾病に襲われたが、幸いに現在はシャッキリとして創作のデスクに座って仕事をしている。

●ラジオ・テレビ、そしてTVCM、時代小説などの仕事を経て……あらためていま、「初志」であった舞台脚本に腰をすえて挑戦している。
 現在のスローガンは次のフレーズである。

 「顔にいい微笑を。そして、心で吠えろ!」




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ケイちゃんの目 ↓

7月の仕事場

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— posted by 本庄慧一郎 at 12:18 pm  

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