現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●作曲家平尾昌晃さんの訃報。
2017(平成29)年7月21日、平尾昌晃さん逝く。(79歳)
筆名「本庄一郎」としての放送作家時代(1960年〜)、安いギャラを承知で何種類かの番組を担当していた。
赤坂のTBSラジオでも数種の番組にキリキリ舞いをしていて――番組のタイトルは失念した(加計学園問題を討議する国会のアノ証人、参考人たちのようだネ)が平尾昌晃さんのワンマン番組の企画で取材した。1970(昭和45)年のことだ。
●そういえば――
取材場所は銀座スキヤ橋――高速道路下にあったワタナベプロのリハーサルスタジオだった。
たしか60分番組の構成素材は平尾さんの希望を聞いた。
歌手平尾昌晃については、ミッキー・カーティス、山下敬二郎との「ロカビリー三人男」の日劇公演を観ていた。当時、DJ番組の構成を担当しており、来日したビートルズの武道館公演をはじめ「ピーター、ポールアンドマリー」「キングストン・トリオ」をはじめ、フォークやロックやカンツォーネ、タンゴ……にいたるまで、よくベンキョーし「知ったかぶり」でコメントを書いた。
●そういえば――
平尾昌晃さんは、いい男……だった。とにかく謙虚でジェントルだった。
あの時、アレコレの取材のあと「新曲」を披露してくれた。
作詞山口洋子で、タイトルは「よこはまたそがれ」。
平尾さんはギダーの弾き語りで、ゆっくりとしみじみと唄った。
この曲を誰に唄わせるかというようなことは語らなかった。
リハーサルスタジオのワキの小さなルームだったが、「唄う」というより「語るような」ギターの弾き語りは……絶品だった。
一時、結核に罹患していた――ことなどを思い出したが。
●そういえば――
当時、番組の取材でさまざまな「有名タレント」と接した。
「成り上がり者」の悪臭フンプンで手に負えない者も大勢いた。芸能マスコミ界で、ドロドロに汚れてしまうヤカラは大勢いる――ことをあらためて思い返した。
●平尾昌晃さんのご冥福を心からお祈りします。
●それにしても――
ウソ臭いウラ部分を「ひた隠しにした」と思っていた「安倍一強」とやらが、ガタガタと崩れていることに、溜飲が下がる思いを味わっているぜ。
「安倍一党」以外にも、「ウソの臭気フンプン」というヤカラ(役人ども)は大勢いるがネ。
●それにしても――
衆・参予算委員会の閉会中審査とやらのアベ首相の「涙ぐましい」ばかりのオロオロふんれい努力ぶりが、むしろイタイタしい。
その反面、臨席の副総理(?)麻生氏の態度のわるいこと。
右足(の足首)を左ヒザの上にのせてふんぞり返っている――その姿勢は「街のダニ」と称される連中のボスのようだ。
しかも、ずっと目を閉じているが、ときどき質問者の言動に唇をへの字に歪めて冷笑をうかべる。
結局は、アベさん一族のこのヒト、どうにも不快な存在だね。
もうひとつ、答弁に立つ関係閣僚全員が、どれもこれもオロオロ、シドロモドロで……ひたすら憐れに見えるぜ。
「お人好」の有権者の皆さん、しっかり観察なさって下さいまし。
時代小説の取材/佃島