あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
東京銀座の街のウラ・オモテ
●そういえば――
全国の都市の、あるいわ人口の多い町には「銀座」と名付けられた繁華街が、何ヶ所も……いや何百ヶ所も存在する。
その原典になった東京銀座は、とことんなじんだ街である。
●そういえば――
放送作家時代――TVCM制作&コピーライター時代には、とりわけこの銀座はどっぷりべったりの街だった。
銀座といえば高級バー・クラブなどの男の遊び場のメッカだ。
商売柄、そんな店にも、ヌケヌケとなじんだ。
といっても、自費で遊び呑む余分なカネはない。もっぱら広告代理店とスポンサーと称する連中と一緒だった。
●そういえば――
東京銀座といっても、新興のバー・クラブと異なる老舗(しにせ)も多い。
一方、興亡の激しい「水商売――バー・クラブ」などの生き残りサバイバルは激しい。
●そういえば――
昭和30年(1955)――頃から放送作家だったこともあり、もともとサケも強かったから、銀座にかぎらず渋谷・新宿・六本木など、ホステスのはべる店はよく出入りした。
もう一ついえば、酒が強いから、レディともヤボな遊びはせずに……(自称)よくモテたね。
●そういえば――
銀座は、一時、本気になってコピーライターをめざして広告代理店にも勤務したから、つまり「準常住」の街だったしね。
かつて草創期の広告、TVCM制作業界には、なかなかの傑物がそろっていてムキになって勉強もしたし、仕事もした。
●そういえば――
自慢げに言うつもりはないが、履歴を説明するために記すけれど――
(海外・国内コンペ作品と、ラジオCMソング作詞等、受賞は約150点)
●そういえば――
仕事の内容はキツカッタ。一晩で心因性禿頭(とくとう)病になったり、円形脱毛症(フサフサの髪の頭にいきなり銭っ禿が出来たり)や、神経性胃炎でぶっ倒れたり……挙句に胃がんになって入院したり……なんて、同輩はザラにいた。かく申すワタシは平気だったけど。
●そういえば――
こちとら、そういった障害物を越えて、元気にやったなぁ。
「日本語」を駆使しての商売が希望だったのだが、正直、放送作家は徒労という気持で萎えていったね。
でも、そのうちTVCM制作の仕事も……飽きるんだけどね。というより、入れ込みすぎたね。
だから転進して、文庫書き下ろし時代小説をざっと50冊ほど、そのほかに30冊ほど書いた。
●そういえば――
何度もTVドラマ化された松本清張の『黒革の手帳』ではないが、水商売のウラ側にも親しんだゼ。
だから、「銀座の店――バー・クラブ」などは、よくツキアイでなじんだが、「アレって、結局はテレビドラマのセット」みたいなもの。「美人ホステスは女優が演ずる役のようなものだろ」という眼で見ていたから、ちっとも面白くねぇのだ。
いや、第一、お客というのが社用族――勤務する会社の営業接待を利用する野郎たちが多いから、テンからシラけるのデス。
●そういえば――
近頃の銀座のバー・クラブは、ずいぶんと淋しいモノと新聞に書いてあった。
「アベノミクス効果も期待できず」だって。ハハハ。笑ったね。
(東京新聞 2017年9月5日 こちら特報部蘭より)
●そういえば――
金座・銀座というのは江戸幕府直轄のいわば造幣局。かの徳川家康が駿府(静岡)にあった「銀座」をここに移したのは慶長17年(1612)。ざっと400年前だ。
そのあたりのこと、あれこれ調べてみるかい?
●そういえば――
その銀座のバー・クラブなんて、「根っこのないハリボテ」みてぇなモノだ。
あのハリボテ街の景気がいいかどうか?
そんなコトで、安倍政治の質をウンヌンするなんて……見当違いも、いいとこだぞ、オイ!
ケイちゃんの目 ↓
Scenes of memories
好きだなぁ! 露店のある風景
好きだなぁ! 露店のある風景