あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
五七五の名作
「さあ青だ もう一度見よう右左」
●そういえば――
税務署への届け用紙などの「職業欄」には「文筆業」と書く。
口頭での自己紹介では「物書きです」と言う。
実際の作業では、小説(作品詳細はコチラ

●そういえば――
上掲の自己紹介文にも記したように、一貫して「日本語」にあれこれ関わった50年と余年――俳句にも関心は大。
でも、あの「俳句の運座」とか「合評会」が性に合わず大キライ。
だから、「俳句らしきモノ」を勝手に楽しむ。でもソレが好評だった。
●そういえば――
先年亡くなられた評論家粕谷一希さんが創刊された雑誌『東京人』の創刊時(からすぐの頃)に粕谷さんに「企画プレゼンテーション」をして採用になった『東京ヒッチはい句』は、ありがたいコトだった。
雑誌『東京人』(昭和62年11月1日発行 11月12月 冬季号『東京ヒッチはいく』より)
銀座
たとえば、新宿の高層ビル街には、横丁や小路がない。
だから一定の時刻がくるとたちまち人影が絶える。
銀座という街は庶民にはなじめない街だといわれてきた。
が、それでもまだ、とり澄ました顔の裏には、けっこう横丁や小路をかくし持っている。
そのデコボコが人のぬくもりを温存しているのだ。
この横丁や小路に魅入られた酔客が、タクシー代二万円を払って深夜帰宅する。
たとえば、新宿の高層ビル街には、横丁や小路がない。
だから一定の時刻がくるとたちまち人影が絶える。
銀座という街は庶民にはなじめない街だといわれてきた。
が、それでもまだ、とり澄ました顔の裏には、けっこう横丁や小路をかくし持っている。
そのデコボコが人のぬくもりを温存しているのだ。
この横丁や小路に魅入られた酔客が、タクシー代二万円を払って深夜帰宅する。
マヌカンは悪筆の相宵銀座
「坪・億」の店は三坪厚化粧
ウィンドウに青白き小面クリスマス
マスコミ嫌いトニー谷逝く日劇の跡
俳句については早くから興味大アリだが、前項のような理由から「俳句結社」はイヤだった。
したがって、雑誌『東京人』連載(1987年〜1991年)の『東京ヒッチはい句』も、まったくの自己流でアル。
でも、粕谷さんはじめ、編集スタッフに好評を得た。
●そういえば――
ずっと以前、五七五まがいの五七五をいろいろ作った。
今回から、その五七五をご紹介を――と考えました。
●そういえば――
俳人石田波郷さん(1913年〜1969年)は結核を患い、練馬区谷原に住んでおられたこと、清瀬の病院でなくなられたこともあり、(小生の母親も「清瀬の病院」で亡くなった)……というより、その清冽ともいえる句風に心うばわれたいた。
「綿虫やそこは屍の出でゆく門 波郷」
(深大寺の波郷さんの墓)
資料棚より
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シリーズ企画予告
虎尾一露の「笑ってユルして」お楽しみにネ。
○
名句ぱろっ句/一露
イラスト:木佐森隆平
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名句ぱろっ句/一露
イラスト:木佐森隆平
ケイちゃんの目 ↓
年々歳々、花同じからず
わが家の小庭の花たちの思い出 その2
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