「社会&芸能・つれづれ愚差」第42回(通算152回)

コース5万円とか6万円の料理? フン。
 いつ、どこで読んだか忘れました。
 その記事は、どこやらの国の街に「三ツ穴レストランがある」といった内容のモノでした。
 つまり、その店の街路に向いた壁に、顔を突き出す大きめの穴をまん中に、左右に両手をさし入れる穴の、都合三つの穴が造られているというのです。
 この仕掛けが3セット、ずらりと壁に並んでいるので「三ツ穴レストラン」なのだというワケ。
 では、この大小3個の「穴ぼこセット」は何に使うのか?
 タバコ好きの客のためのサービス施設なのです。
 説明するまでもなく、まん中の穴から顔を突き出し、左右の小穴から両手を出して、スパスパおやりなさいというワケ。
 「三ツ星レストラン」なんてどうでもいいけど、この「三ツ穴レストラン」というのは実にユーモラスでオモシロイ。
 「星五ツ」進呈したいじゃありませんか。

バカ食いタレントがゾロゾロのテレビはイヤだね
 食い物をないがしろにするヤツはきらいです。
 テレビ番組で、バカ食いタレントをチヤホヤしたモノは特にイヤだ。
 それと、うす汚いアンちゃんやネエちゃんが大口開けてバクバク・クチャクチャなにか食って、愚にもつかないことをホザクなんてシーンはさっさとチャンネルを替える。
 けれど、違うチャンネルでもやっぱり同じようなことをやっているんだね、コレが。
 テレビ局の、あるいは制作プロダクションのスタッフ諸君ってなんだかカワイソー。
 毎日のようにあんな番組を作っていて、ムナシクない?
 ま、けっこういいギャラもらえるから、ガマンするか。
 いや、制作プロダクションの現場のヒトのギャラってそんなにいいはずねぇんじゃねぇの?
 〔視聴率最優先〕という呪縛のイケニエになるのはダレ?




「汝は生きるために食うべし。食うために生きるべからず」
――キケロ





最強のハイブリッド麺だって?
 そうそう、「ミルクシーフードヌードル」というカップ麺がヒットしているんだってネ。商品名のとおり、シーフードヌードルのスープがミルクってことデス。
 コト新しく書きたてる記事があったけど、なんだい今更……ですよ。
 かつて、JR有楽町駅前(現在交通会館ビルのある場所)にブラック・マーケットがあった。つまり戦後の闇市の名残のゾーンでした。
 すし屋横丁なんてイキなネーミングでしたけどね。
 その一角に「鳥藤ミルクワンタン」という店がありました。(現在も別の場所にある)
 店の造りは素朴質素だったけど、当時、有楽町周辺には新聞社などが集中していたせいで、ジャーナリスト、作家たちのソーソーたる連中で連日満員でした。
 人気メニューは「ミルクワンタン」。マスターの鳥藤音吉さんが戦時中の〔シベリア体験〕を活かして創ったレシピです。
 ゆでたワンタンに塩味の牛乳をそそぎ、モツの煮込みやきざみネギをのせる。そして酒は小さなヤカンでの熱燗。これが旨い。
 気取った連中は「うえ〜、牛乳にワンタン?」などとしかめっ面をしたがバターもチーズも牛乳が原料。このスープ、どこがヘンなのだ?
 創始者、音吉さんを継いでもう三代目(?)の秀夫さんとは、彼が坊主っくりの頃からのなじみだ。
 昭和42年、有楽町駅前に交通会館ができて、店は東京駅へ向かうガード沿いに移転。でも「ミルクワンタン」は不変です。
 スペースはちんまりしているが、連日ファンで満員大盛況。
「有楽町ミルクワンタン」を知らずして、なにが「最強のハイブリッド」(ミルクシーフードヌードルの紹介記事のキャッチ)なんですかね。
 あの当時、美人だった(!)ママさん、いまも美人(!)で健在デス。
 「食い物」を大事にしている、これは心あたたまるもうひとつのヒストリー。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:46 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第41回(通算151回)

08年の新年、よろしくお願い申しあげます
 このHPも昨年末で(週替わりを目標に)通算150回を超えました。
 大ぜいの皆さんからのアクセス、心から感謝しております。
 これからもよろしくおつきあい下さいますようにあらためてお願い申しあげます。

 昨年1年のキーワードは「偽」とか。情けないですね。
 ゴルフだの高級料理だの裏金だのの〔汚職〕におぼれたあげく旦那様は年末年始は寒く淋しい拘置所暮らし、妻のオネダリおばさんは一泊4万円のホテル暮らし(週刊誌)だとか。この大ムジュン夫婦の哀れさよ……。
 とにかくまあ、事件と事故と、あいかわらず詐偽・詐取のことばかり。
 政治及び政治家の根っこが腐っていては、社会も……庶民の暮らしも絶対によくならない。その〔原理原則〕をそのままにしておけば、日本という名の樹木も朽ち果てる――と思いませんか。

ネコを恐れないネズミを作った研究者夫婦
 食欲・物欲のおネダリ夫婦がのさばるかと思えば、「ネコを恐れないネズミを作った」というご夫婦もいる。(1/3朝日新聞)
 もともとは、生物学実験用のモデルとしての研究で――ということだが、
 「このマウスは仲間同士でも争わない」という。
 この特長はいいですねぇ。なんとか研究を発展させていずれ「仲間同士でけして争わない人間」というのを開発して下さい。
 このご夫婦は小早川高・令子さんという。
 銃や爆薬や戦争の兵器が好きな連中をヘナヘナにする遺伝子組合わせとか、あるいはお互いに平和に暮らそうとするようになる、それと、戦争などの闘争本能をインポにする薬とかのアイディア商品を生み出して欲しいなあ。
 金欲・物欲・権力にかじりつく人間ドブネズミの行方は間違いなく哀れだ。
 自分で掘った穴に勝手に落ちて苦しみのたうつんだからどうしようもない。
 でもいまの世の中にはまだ「偽」がバレて、自分が掘った穴ぼこにずるずる転落する奴はワンサといるはずだ。


 醜いエゴを〔正義〕で偽装してのさばる奴らよ、くたばれ。
 争うことをしないネズミ――なんとか〔平等と平和しか眼中にない人間〕を創造して下さい! 学者先生、お願いしますよ。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:26 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第40回(通算150回)

当HPへアクセスして下さる皆様へ
 2007年もフィナーレを迎えようとしています。
 本庄慧一郎の当HPも、ちょうど今回で通算150回になりました。
 友人・知人、そしてまだ直接お目にかかっていない方々からも沢山のアクセスを頂き、心から感謝しております。
 たぶん――わたしの〔言いたい放題〕のような意見やメッセージに対して異論・反論もおありかとは思いますが……。
 これまで、長いこと(ざっと半世紀ばかり)マスコミの仕事にかかわってきて、あまり……というより、まるで自分個人の思いや気持をじかに表したことがなかったので、このHPについては「まっぴら、ごめんなすっておくんなせえ!」と、ヌケヌケと書かしてもらって来たのです。
 それにしても、いまの世の中、まじめに、コツコツと働く人(または、働こうとしている人)たちに対する仕打ちというのはひどいと思いませんか。
 それもこれも、みんなが平等であれば、それもやむを得ない。が、とにかく勝手なことをする者が、やたらのさばっているでしょう?
 まずそれが許せないですよね。あなたもそう思うでしょ?
 でも、何がどうあろうと、へこたれてはいられませんよね!

人生は快いエピソードとクリエイティブな縁(えにし)です
 ずっと昔から、クリスマスとか、年の初めの世間一般やテレビなどのバカ騒ぎがキライでした。
 それよりも、新しい年への思いをゆっくりと考え、新鮮な気持で次の年へスタートといういとなみを大事にしたいと努めてきました。
 つい先日、ごく親しいレディの結婚のご披露宴でのご指名のスピーチでも申しあげました。
「……人生とは、それぞれが独自の、世界でたった一枚の布をていねいに織り上げることではないでしょうか。タテ糸は価値のある快いエピソードで、そしてヨコ糸は末長くおつきあいの出来る得難い人たちとの縁(えにし)で紡ぐのです……」
 カッコつけるな、エラソーに言うなというそしりを受けようとも、わたしは素直にそう思っているのです。
 価値のある快いエピソードや、末長くおつきあい出来る得難い人たちとの縁は、アブク銭とは一切関係ない〔人生の財産〕だと思っています。(実は、そのご結婚のご披露宴から、それこそ、「心うれしいこと」が生まれて、2008年のオープニングをかざってくれることになりました)

2008年の年始のごあいさつは立春の折に――
 毎年、たくさんのお年賀状を頂戴します。大感謝です。
 わたしもいつも、年末に準備をするのですが、本年は諸般の事情で、きさらぎ2月の立春にごあいさつをさせて頂くことに相成りました。
 どうぞ、あしからずご諒承のほどをお願い申しあげます。

 素直に納得の出来る日々と、心とからだのますますのご健康をわかち合える平和な2008年でありますように――。

 再見!   2007年12月28日
本庄慧一郎


— posted by 本庄慧一郎 at 11:48 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第39回(通算149回)

金欲・物欲・色欲・権力欲……
 現代社会は、さまざまな欲望のコラージュである。
 その不快極まる乱反射が吐きけを誘う。
 こちとら、そうエラソーなことが言えるガラではないことは百も承知だが、それにしても欲がらみの醜悪な事件のオン・パレードはとどまることがない。


「人生には二つの悲劇がある。一つは欲望を得られないことであり、もう一つはそれを獲得することである」
――バーナード・ショー


夜明けの本棚・金に関する資料
 練馬石神井の午前4時。夜明け前の〔明星〕は美しい。
 近頃トンと視力も劣化したが、しかしメガネなしの目にも満天の星のきらめきには、ただただムダとしか思えないような人工のイルミネーションにはない〔神秘〕の奥深い魅力がある。
 その清々しい思いは、新聞第一頁の「守屋元次官ら、再逮捕」の大見出しにいっぺんに破壊される。
 それなら――と、資料の本ダナから、あれこれの本を引っ張り出す。
「金権日本史」泉秀樹。「金銭」樋口清之。「賄賂の歴史」高野澄。「江戸のワイロ」童門冬二。「日本汚職史」室伏哲郎。「今昔おかね物語」神坂次郎。それから……ワンサとあるのダ。
 それこそ、金にまつわる挿話などチリアクタのようにあるが、歴史にのこる〔金持〕という輩は、例外なく時の権力者にへばりつくか、または時の政治の欠陥や不備を悪用するかはたまた詐欺・詐術を弄したスタンド・プレーで……というケースだね。
 たとえば、かつて豪商といわれた者たちだが――
 「信長にすり寄った今井宗久」
 「秀吉びったりの政商神谷宗湛」
 「謀略で財と権力を掴んだ末次平蔵」
 「家康の“小判鮫”として跳りょうした茶屋四郎次郎」
 「悪知恵の権化・奈良屋茂左衛門」
 とかとか……。
 あれこれ調べているうちにキモチが悪くなるね。

独立行政法人改革のこと
 このモンダイも、ひたすらヒドイね。
 さまざまな団体の〔負の実績〕とそこに巣食う者たちのインチキさは言語同断。
 そのいかがわしい団体をなんとか温存させようとうごめく輩の跳りょうには、ただ呆れかえる。〔欲のけものたち〕が大手を振って大道をカッポする国の社会が狂うのは当然だ。
 親殺し、子殺し。そして親族間の殺人。
 かと思えば〔誰でもよかった殺人〕……。
 今朝の新聞の社会面記事も息の詰まるような事件ばかり。
 情けないなあ。
 それにしても〔責任〕ということばはまったく空洞化した。
 ソーリ大臣をはじめ、不正企業のリーダーまで、口先で逃げを打つ。フザケンナよ!
 ずっと言ってきた。小説などにもくり返し書いた。
 「人は、生まれ出る時を選べない。生まれ出る場所を選べない」と。

 「猫っかぶりは最悪の貪欲である」
――スタンダール


 〔貪――どん〕とは、仏教でいう三毒・十悪のうちの一つ。



 「東京23区内にタヌキが1000頭?」
 本物のタヌキそこのけの〔化かし屋〕はごまん(五万)といるぜ。

— posted by 本庄慧一郎 at 12:02 am  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第38回(通算148回)

07年度のキイワードは〔偽〕だとか
 政治屋・官僚・役人から、食品メーカー・一流料亭、そして……どれもこれもが〔偽〕というか〔虚〕というか、はたまた〔妄〕というか〔似非〕というか、〔羊頭狗肉〕というか〔眉唾―まゆつば〕というか……とにかく、よくもよくも〔同工異曲〕というカンカン踊りに興(狂)じたものである。
 だいたい、こちとら作家・小説家なんて〔虚構―フィクション〕をまことしやかな物語に仕立てあげて、いくばくかのおカネを頂くのがショーバイ。
 〔真実〕や〔誠実〕や〔誠心〕を絶対条件とする仕事をすべき連中がこぞって〔偽〕にトチ狂っては、こりゃ手におえないのでアル。
 でもね、とにかくいまの社会――人の世をまっとうに生きている者たちも大勢いる。
 人間、いくらまじめに生きようとしても、結果として〔偽り〕を招いてしまうこともある。それは許してあげねばならない。いや、許してもらいたい。
 なんにしても確信犯的な〔偽〕がはびこる時代というのは、まぎれもなく政治が劣悪だからだ、と〔確信〕する。
 現在の犯罪と事件だらけの醜悪な国にしたのはダレだ?
 長期にわたって政治のイニシアチブでを握ってきた自民党の責任は明白である――にもかかわらず! まったく!

〔暴走〕というキイワード
 〔暴走老人〕が話題になっている。ほんらい人生経験の豊かな年配の者が、未熟な若者のように、軽率な無知な言動や行動をとるということだ。
 従来、暴走族といえば、意志の弱い自己顕示欲だけを肥大させた少年(!)たちが二輪車・四輪車のメカ・エネルギーのパワーに依存して、ルール違反や迷惑行為で、劣悪意識の埋め合わせをすることだった。
 いまは、クルマなどには関係もない老人たちがエテガッテな暴言や暴力でのさばるのである。
 これはぼくの独断だが、長年、企業というアメーバのような組織体で〔飼育〕されてきた企業人OB(定年退職者)にこの種の人間が多いのではないかと考えている。
 年齢相応の思慮も常識も、想像力も創造力も持ち合わせていない者は、家庭に還ることもできず、社会に順応することも叶わない。
 定年退職したご主人が、のべつ家に居座るようになってから、奥さんや家族が培ってきた〔和〕がたちまち崩れた――という例は枚挙にいとまがないとか。
 企業というモンスターに人間としての心を吸い取られた者の行方は悲劇だ。

〔暴音〕という造語について
 都市の〔音環境〕について東京都は「目だけではなく耳にも優しい音環境についての政策を推進する」とか。
 作家というショーバイには〔静寂〕が絶対条件である。
 仕事場には、好みの音楽は別として、不必要な音は一切要らない。
 そんな場所で長時間過ごしたあとには、ことさらに音に敏感になる。
 となると、政治・社会一般の情報を求めて新聞等は精読するが、テレビの報道番組もチェックする。
 しかしこのテレビの〔音〕に対する無神経さというものは最近、極度に劣悪化している。
 アナウンサー・コメンテーターの未熟さや無神経さ、そして非常識……など目に余る。
 〔しゃべり〕の内容の質と同時に、しゃべりそのものの技術もひどい。
 とりわけ、やたらシークエンスを分断して挿入されるCMのセンスの悪いこと。元(!)CM制作者として「このギョーカイから離脱してヨカッタ!」とつくづく思う。
 それとステーションに言いたいのは、CM量のことだ。かつては番組の場合は、提供枠時間の10%を限度とするといったルールがあったが、現在はどうなっているのかね?
 もうひとつ、報道番組などでもキンキラのアニメ声(マンガ声)が跳りょうするが、あれは「音環境」破壊行為だぜ。ただ不快であるよ。
 もう一つ、新聞記事などを(イージーに)紹介する(?)コーナーなどで、項目ごとにいちいちME〔音楽効果音―ジャン!とか〕を挿入するなどこれもうるさいだけだぜ。
 制作者たちの悪ノリはむしろ……哀れをもよおすね。
 ちなみに雑誌「世界」08年1月号の記事「メディア批評」神保太郎の惹句は「メディアの役割は権力を監視し、時代の課題を設定すること。日本のメディアは何をしているのか?」だよ。
 どうかテレビよ、愚かしい(騒音ゴミ箱)にならないでくれよナ。



 ところで、環境庁(当時)が案出したという「日本の音風景百選」では、東京関係では柴又帝釈天、上野の鐘、吉祥寺の成蹊大学のケヤキ並木、そして石神井公園の三宝寺が選ばれている。
 現在は上石神井寄りの仕事場を常用しているが、三宝寺池までン十秒という家(いまは長女が住んでいる)は、三宝寺池と丘の上の氷川神社がよくて購入したものだ。
 足ならしのウォーキングで朝や夕暮れどきに池の周辺を歩く。
 踏みしめる落葉と、風に舞い落ちる枯葉。そして、池のさまざまな鴨たちの声と水の音のさざめき。
 小うるさいテレビのバラエティ番組といわゆる〔ヤマ場CM〕のいやらしさを嫌っての三宝寺池周辺のウォーキングはいいなあ。
 きょうもカワセミの姿を見たよ。
 石神井三宝寺周辺でのキイワードは〔静寂〕と〔清聴〕でアル。
 わが人生のキイワードは〔快〕である。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:06 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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