「ニッポンの芸能人」シリーズ18


貧困は礼儀作法の教師なり
 そういったのは、ギリシャの作家アンティファネス。
 「働けど働けど わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」とはご存じ石川啄木。
 でも近ごろは、人は〔貧困〕から礼儀作法を学ぼうとはしない。
 たかだか、二、三千円の金のために、強盗をやるし、時には命さえも奪う。
 いまどき、貧しさやつましさから、人間としての礼儀作法を学ぶ(あの二宮金次郎サンのような)心がけのいい人間はいない。
 ところで、ぼくは原稿用紙のマス目に字を埋める仕事――文筆業を生活の手段として暮らしてきた。
 文筆業をもうすこし具体的に細分化していうと、まずラジオの台本構成作家。そしてテレビの台本構成作家。さらに広告やTVCFのプランナー&コピーライター。さらにCMソングの作詞。次に小説(時代小説)とやってきて、このところ、なんとか着手したかった舞台の脚本をまとめたりして、それも具体化されそうな……という昨今。
 税務署の届け用紙は一貫して〔文筆業〕だが、実際にはいくつかのコーナーがあった。
 中でも民間放送ラジオ・テレビの出合いは画期的であった。(いまはもうきっぱり過去にして捨ててしまったが――)
 そういえば、ぼくの出身母体でもあったフジテレビ・ニッポン放送・サンケイ・グループがいま、大揺れに揺れている。
 それは「この世の中のことで金で解決つかないことはない」などと口走る輩が主導権争いに乱入したからである。

経営のベテランたるオジサンたちの右往左往
 「まさか」という現象がさまざまな局面で勃発している。
 フジ・サンケイグループというのは保守的で警戒心の強固なグループだったはずだが、Tシャツとジーパンでふらりとやってきたおニイちゃんにいいようにひっかき回されている。
 このところ、もっぱら「ウチウチごっこ」で見せかけの安泰にあぐらをかいてきたオジサン経営者たちが、なんとも無様な狼狽と崩壊と収集策を講じているが、それはただただ醜態としかいえない惨状である。
 不透明で革新性のないギョーカイが改善されるのは大歓迎だが、あんなおニイちゃんにしてやられるなんて、ほんとに情ないねぇ。 

金ですべてケリがつくという神話
 しかし、スケールのある企業グループの屋台骨を揺さぶりかけた男も、寝耳に水とひたすら慌てふためくオジサンたちも、その人間としての根底にあるコンセプトは「金ですべてケリがつく」といった点で同種同病である。
 公共放送の「みなさまのNHK」のと、ふた言めには公共性を言いたててきたNHKの内部腐敗ぶりはさらに暴かれ露呈するだろう。
 一方、民放局の内実もたかが知れている。
 だいたい、民放局やそこに密着する広告代理店などの体質には、ずっと生ぐさいいかがわしさがつきまっとてきた。
 たとえば、金にまつわる業務上横領事件といったスキャンダルとか、業務にかかわる場での婦女暴行事件などは、たいてい揉み消す。
 というのも、広告業はすべてクライアント(いわゆるスポンサー)との信頼関係あってのこと。したがって、その商売にかかわる信用をぶち壊すことは絶対に部外に漏らさないのである。スキャンダルを起こした当人を保護するためではなく、企業としてのおのれのスキャンダルを隠蔽するためである。

護送船団方式という隠蔽作戦
 政治にかかわる徒党と集団も(裏金操作や政治取引など)、公金を横領濫費する(例を挙げるまでもない!)官公庁なども、さらに品質の偽装・偽称などを常態化している各種メーカー など、例外なく、悪知恵を駆使した〔隠蔽作戦〕でごまかし通してきた。
 一つ嘘をつくとやがて二十もの嘘が必要になるという。
 そしてもう一つ、こんな言葉を記しておこう。
 「欺瞞にたいする防衛策は詐欺なり」ゼノン。
 おのれと人生がガラガラと崩れてゴミになるまで、あるいは野垂れ死ぬまで、〔隠蔽〕と二人三脚やっていなさいよ。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:45 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ17


テレビ・コメンテーター
 たとえば――
 テレビのニュース・ワイドショーとやらの番組で女性作家の室井佑月とかいう人がコメンテーターとして出演している。
 先週も書いたが、ギョーカイ内での「ウチウチごっこ」には、ぼくはとっくにヘキエキしていて、島田紳助の件にかかわる和田アキ子とか美川憲一のコメントの「同病相憐れむ――どうびょうあいあわれむ」的コメントに鼻白んだ。
 そして今回、中村七之助という中村勘九郎の息子のタクシー代未払いのうえの逃亡。そして追跡した警官への暴行事件で、またぞろ同質の病根に冒されたような連中のお手軽にして軽薄な〔感想〕がはびこった。
 そのなかでも、室井佑月という女性作家の「ああいうことは、わたしたちにもよくあること。いいじゃないですか」(大意)という番組でのコメントがその代表といえた。
 なんと「没社会的」ないいぐさだろう。
 被害者であるタクシー運転手の届け出で、犯人を追跡した警官に暴行したという事実はまぎれもなく犯罪である。どういういきさつにしろ、七之助とやらの行為は正当化できない――という正常の認識が完全に欠落しているのだ。

有名人の没社会性と堕落
 現在、テレビなどで〔有名〕になった者たちの日常の言動にはかなりの狂いが見受けられる。人生観・社会性の欠落。そして、金銭感覚や経済感覚の麻痺。
 特殊な、しかも異常なマスコミとかゲーノーとかのちっぽけな〔ムラ〕で、ひたすら得手勝手に舞い上がった者たちにはもう〔常識〕などは望むべくもないのだ。
 いま、社会のあらゆる分野で、女性の進出が大いに目立っている。大歓迎である。
 とうに根腐れをおこしている男性老人たちの自己崩壊現象はすでに顕著で、これまた大歓迎なのだが、代わって始動をしている女性たちの質はどうなのか。
 あえていうが、テレビなどでの女性起用には、テレビ制作者たちのスケベ根性が見え隠れしていて、やたら不快である。
 ぼくはテレビや広告制作の現場に働いていた人間だが、だいたいの男たちは「女に甘い、女にヨワイ」。だらしのない奴が多い。
 前回の芥川賞の受賞者を例にするのは妥当ではないかもしれないが、やたら若い女性をチヤホヤする傾向は活字の出版界でも、テレビのドラマの制作者間でも常態化しているのはまぎれもない事実である。
 ちょっと見がよくて、すこし気の利いたことを口走る女性(キャバレーのホステスと同じような条件)を、彼らはチヤホヤする。まっとうな女性とは正面きってつきあう能力のない男たちの〔通弊――つうへい〕である。

テレビ番組のいかがわしさ
 折しも、テレビ東京の「教えて!ウルトラ実験隊」という番組で、実証すべきデータや映像をねつ造して放送して、あげく番組放送中止となった。
 ぼくは自分の出身母体であるテレビに大いに関心があり、その劣化に大いに肚を立てているものだが、今回のテレビ東京のような浅はかで俗っぽい事件は、今後も解消されないだろう。
 それは政治と同様に、真の改革など実行されていないからだ。
 NHK問題はあいかわらずくすぶっているが、例の海老沢とやらが逃げ込もうとして失敗した〔顧問〕という役職は、なんとその年俸は1,300万円だとか。フザケテルねえ!
 大阪市の例でも暴露されたが、法外な過剰報酬――つまり公金横領はNHKでも慣習化しているということだ。
 また具体例がバクロされた。
 NHKの一般職員のタクシー代が一人平均(1か月)40万円にもなるというのだ。
 これも一般の人から集めた視聴料(公金)から出ているカネなのだ。
 ぼくもかつてはCMの制作プロダクションをやっていて、スタッフの提出する出金伝票のかなりものがデタラメだったことに悩まされた。税務署のチェックに応じて一件ごとに検討すると「スポンサー接待」という伝票が六本木のSMクラブの領収書だったり……。
 金のあるところには、ゴキブリ人間が群がるのである。
 なにはともあれ「ウチウチごっこ」は犯罪の温床である。
 そして「ウチウチ発言」を弄する輩を、しれっとマスコミのオピニオンリーダーとして起用している制作者は、たぶん、あやしげでいかがわしいその〔恩恵の甘い汁〕を吸っている同類である。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:43 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ16


ゴーマンという名の穴ぼこ
 前回、50年という歳月をふり返って、小沢昭一さん、熊倉一雄さん、またデュークエイセスの谷道夫さんのことなどを書いた。
 音楽関係では、つづいてクラリネットの北村英治さん、トランペットの光井章夫さんのこと、またピアノの世良譲さんのことを書くつもりでいたが、ちょっと気が変わった。
 毎月曜早朝4時、3種の新聞を読んでからこのHPの原稿を書くのだが、各新聞の社会面に「中村七之助容疑者を逮捕・タクシー代払わず警官の顔を殴る」の見出しと記事を読んで話題を変更したのだ。
 「またか」のゲーノー人暴力事件である。
 つい先日マンザイ出身の島田紳助の暴行事件でガタガタ騒いだテレビ・ゲーノー界だが、「また!」なのである。
 テレビ・ゲーノー界における、虚名(人格形成や実力を伴わない人気)や、過剰な収入(まじめに働いている者には想像のつかないような高額報酬)で多くの者が神経を狂わす。
 ゴーマン病に取り憑かれるのだ。
 バラエティ番組とやらの司会をやっているM・MとかT・Jとか、B・Tとか、それにTとかの1回の出演料がン百万エンだとか。
 したがって現在、似たようなフィィールドでチヤホヤされている未成熟な者が狂うのは当然かもしれない。

ドツボ人種という者の群れ
 ぼくの親しい友人であるO・Yさんは、最近「さらば! 放送界」という本を著わして放送ギョーカイを背にした。
 「いやだね、ドツボにはまった人間は」と強調する。100パーセント同感である。
 ドツボとは「ど壷」のことだ。ぼくは同じ意味をこめて「タコ壷のタコ」といってきた。
 もうひとつ「穴の中のサンショ−魚」ともいってきた。(井伏鱒二の名作でおなじみの小説がある)
 このドツボ人種は、もっぱら「ウチウチごっこ」で明け暮れる。
 かつてはヤクザや暴力団の皆さんが得意としていた処世術である。この「ウチウチごっこ」、最近は政治家たち(ウサン臭い金にかかわる裏取引など)が、企業集団トップ(NHK会長をめぐる権力妄執劇とか、西武グループ代表の醜聞とか、枚挙にイトマがない)たちの行状とその末路。
 いや、どうにも我慢ならないのは、役人たちの公金食い散らかし(社会保険庁・大阪市・警察機構等、そして……これもまたきりがない)事件の汚職行為。
 どれもこれも「ウチウチごっこ」の「ドツボ人種」の仕業である。
 ぼくはこんど中村勘三郎を襲名する中村勘九郎さんが大好きだ。(彼が五、六歳の頃、故三木のり平さんとの掛け合いのラジオ番組の録音現場をのぞき見した)七之助はその賢く実力のある勘九郎さんの子だがやっぱり「ウチウチごっこ」に甘やかされてゴーマンになったのか。

和田アキ子と美川憲一の言葉
 島田紳助が暴行事件を起こした時、テレビのインタビューに答えた和田アキ子と美川憲一の言葉にはウンザリした。
 それこそエラソーに「才能あるんだからさ、早くカムバックしてほしい……」だってさ。
 そういう自分たちだって、過去にはかなりアブナッカシイことやってる。目クソ鼻クソの関係のような気がしてならない。
 この「ウチウチごっこ」の感覚と思考は、どうしようもない「ドツボ人種」特有のものだ。
 そういえば、世界政治の場でも、アメリカのブッシュとか、北朝鮮の金日成とか、これまたどうしようもない根腐れ人間のようだ。
 「ウチウチごっこ」の汚染環境で培養された「ドツボ人種」は、例外なくゴーマンなのである。
 「好漢自重せよ」なんて言葉もあるが、ゴーマンの病根はそうたやすく駆除できないのと違いますか?「人間って哀れだなあ!」
 この種の人間は、歌謡曲界、いわゆるフォークの連中、そしてシャンソンといった辺境にもウヨウヨいるようだ。そうそう、広告・CMギョーカイにもウサン臭いドツボ人間がいるなあ。それは、またの機会に書きたい。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:41 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ15


生理用品から公園墓地まで
 テレビ・ラジオの広告・コマーシャルの仕事では上記の小見出しのコピーそのまま「生理用品から公園墓地まで」やった。扱ったことのない「必需品」としては棺桶ぐらいか。
 なにしろ「いま○×の棺桶をお買い求めになると新品をもう一つプレゼント」というわけにはいかないモノだからね。
 うんざりするほどの数の制作物の中でもとりわけ印象ぶかいのは、スコッチウィスキー「カティサーク」のTVCMである。
 企画・コピー・作詞・プロデュースまで担当した忘れられないものだ。
 スタンダードものの出演者は真野響子さん。12年ものスペシャルは先代松本幸四郎さん。(のちの白鸚さん。そしてこの人が初代の「鬼平」であることは皆さんおなじみ!)
 企画・コピー・作詞はもちろんぼく。
 歌は、北原ミレイさん、小林幸子さん。
 作曲は北原ミレイの分は故八木正生さん。小林幸子分は三木たかしさん。
 白鸚さんの楽屋(京都南座?)へいってお話したり、鎌倉八幡宮鳥居前のお宅へ参上して打合わせをした。
 美しい奥さま(現在の松本幸四郎・中村吉右衛門さんのお母上で、市川染五郎・松たか子さんのお祖母様)がレストランを経営なさっていて、上等なワインとフランス料理をごちそうになった。

ジェントルな白鸚丈
 白鸚丈のご子息たち――松本幸四郎・中村吉右衛門さんはこれまた折目正しい紳士でいらっしゃるが、白鸚丈は当時すでに「人間国宝」の称号でよばれていたが、じつにおだやかで気品のあるお方であった。
 アルコールは体質的にあまり合わないということであった。(アサヒビールの高倉健さんも同様だった)
 「カティサーク」のCMの映像構成は、歌舞伎の「トンボ――空転」のけい古風景で、白鸚丈の左右に並ぶ若手俳優が、中心にいる袴をつけた白鸚丈の気合いをきっかけにいっせいにトンボを切る――そのユニークな動きをあの「東京オリンピック」を撮影したカメラマン・長野重一さんがスローモーションで撮った。(その画面の美しかったこと!)
 場面変わって、和室で白鸚丈がカティサーク12年もののオンザロックを味わうという段取りだ。
 その時、白鸚丈は、手にしたオンザロックのグラスにたいしておもむろに顔を近づけてのんだ。
「あの……それは日本酒の升酒をのむ場合で、ウィスキーの場合はグラスを唇に近づけてください」と恐る恐る注文した記憶がある。
「いやあ、不勉強ですみません」と破顔一笑したお顔が忘れられない。
 愚にもつかないテレビにのさばる現今のタレントたちにはないジェントリーと、そして決してエラぶらない謙虚なお人柄だった。

真野響子さんはホンモノ美人
 あのころ、NHKで「御宿かわせみ」というドラマが始まったのだ。
 ぼくは師匠の三好十郎氏(滝沢修「炎の人――ゴッホ」などの名作戯曲を書いた劇作家)のかかわりで劇団民芸のファンだった。
 真野響子さんは当時、民芸の所属で、なんとか出演してもらうことになった。
 和服の真野さんがカティサークのロックを味わいながらふっと涙ぐむシーンがある。
 彼女は目薬なんてものを使わず、何度もホンモノの涙をうかべてくれた。
 そのシーンに、北原ミレイさんの「名前で呼んであしたから〜」の歌声。そして名トランペッターの光井のバンちゃん(章夫さん)のサッチモ風のサウンド・ロゴ、「カティーサーク〜」とひと声で黄色いラベルのボトルできまる。
 この光井さんのトランペット、そしてクルーを率いたクラリネットの北村英治さん、故人となられたピアノの瀬良譲さん……と、思い出のえにしの糸はつながる。また次回で。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:37 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ14


半世紀・50年という歳月
 本年2005年、「デュークエイセス結成50周年」だそうだ。
 そのはなしを聞いて、当方からコンタクトをとり、リーダーの谷道夫さんと久しぶりにお会いした。
 デュークエイセスという男性4人のヴォーカルが好きで、コピーライター時代、ずいぶん沢山のCMソングを作詞し、彼らに歌ってもらった。
 シャープなジャズピアニストであり、また作曲家としても魅力的なクリエィティブを展開した故八木正生さんがデュークが大好きだった。ぼくはその八木正生さんとのコンビが多かった。
 したがって、ぼくの作詞、八木さんの作曲、そしてデュークのヴォーカルという作品は、高倉健さんが出演した「アサヒビール」をはじめ、ざっと10曲ほどあったはずだ。
 それにしても結成50周年――エライなあ。ということは、ぼくも50年間、ディークのハーモニィを楽しんできたことになるのでアル。

劇団テアトルエコーの熊倉一雄さんも……。
 熊倉一雄さんとのおつきあいもふるい。
「芝居のホンを書かない?」と声をかけられていて、時代小説を書く合い間に舞台脚本をなんとか1本まとめ、熊倉さんにお渡しした。どういう展開になるかいまのところ不明だが、お会いした時に質問した。
「たしか、テアトルエコーの初期、牟田悌三さんや矢島正明さんも一緒の舞台を観たけれど、エコーは創立何年になります?」
 熊倉さん「ウーン」といって指折りかぞえて「あれ…49年…もう50年になるのかな」と呟いた。
 50年というのは、人生の大半である。20歳でなんとか独立独歩、これといった仕事に取組んでも70歳なのだ。
 何があってもおかしくない、といわれる昨今。いつもにこやかに健康で、おのれが思う道を50年歩みつづけるということは、決してたやすいことでない。
 自己PRになるが、かく申す本庄慧一郎も叔父の小沢不二夫の演劇塾や劇作家三好十郎氏の劇団戯曲座。そして民放のラジオ・さらにテレビ。その後のCM・広告業界。またさらに転じて時代小説への転進。もうひとつ欲張っていまは(CMではない)歌の詞への展開。(デュークさんにぜひ歌ってもらいたいモノを目下プレゼン中!)
 表現のフィックス形式は変わっても「日本語」で生業(なりわい)をたててきて50周年である。
 前回も書いたが、先輩の小沢昭一さん、そして熊倉一雄さん。そして谷さんたちデュークの皆さん……またここからもご一緒に仕事できると思うと年甲斐もなくワクワクする。

それにしてもいまの20歳は……。
 今年の「成人式の荒れ模様」というのをニュ−ス番組で見た。例によって「アレは
ごく一部の者のやっていることで――」というコメントがついていたが、それにしても情けない。
 「成人」という自己主張は、あんなことでしか出来ないとはほんとに哀れだなあ。
 たとえば、これから50年後、あの愚行を得意がった連中はどうなっているのか?
 いや、やっとスタートしたばかりの人生、まともにやっていけるのかどうか。
 群れをなした時に狂暴化するというのは、野生のサルと同様だが、人間として生まれて社会に関わって生きていくには、サル同様の頭脳や行動ではとうてい50年はやってはいけない。
 近頃、NHKをふくめてのテレビ業界の劣悪さは目に余るが、そこに寄生する若いタレントの悪ハシャギぶりには、あの成人式におけるサルの群れに共通する思い上がりがある。
 それでなくても、いいトシをした大人たち(政治家・企業トップたち)の金まみれ、もう一つ権力呆けで失墜してゆく、なんともコッケイで哀れな人生三文ドラマをいくつも見せられているけれど、あの成人式のサルのような若者たちの先行きなんて、たぶんもっとヒドイだろうね。
 そういえば、あの評論家の樋口恵子さんと出会ったのも「1953年1月15日の成人の日」がきっかけだったなあ。
 歳月の流れは早いですねぇ、樋口さん。

元コピーライターとしての新造語
 「成人式」を「成塵死期――せいじんしき」なんていかが? つまり、「自分の人間性をチリ・アクタにして、みずから殺してしまう」というイミですけどね。
 ずっと以前、作家の山口瞳さんのサントリーウィスキーのCMコピーを思い出した。
 それは「人間って、哀れだなあ! 人間って、ふしぎだなあ!」
 わざわざ戦争して殺し合わなくても、人間が狂わせた地球がいま、怒りをあらわにしはじめている。そんなこと言いたくないが、あの成人式のサルたちはこれから50年地球人として生きることができないのかも……。

— posted by 本庄慧一郎 at 10:33 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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