あれこれ大さわぎしていたから、もうどうでもいいんですけどね。
それにしても、皆さん、どうでもいいことに大さわぎするんですねぇ。
かつてマスコミの仕事をしていた時代、大手広告代理店とか、大企業(大広告主)との仕事のカンケイで、とりあえず大仰な、また有名な料亭やレストランなどにも出入りしたものです。
その場合、たいていはお招きを受ける立場にあったから(といってもモリヤとかいう輩とは異なり、当方が卑しくおねだりしたのではなく、きちんとしたビジネスの延長線上でのことというわけで)支払いの心配は不要だった。
しかし、コース5万円とか7万円なんて常識はずれのケースはなかったね。で、あのミシュランの三ツ星とやらの店もまるっきり「見知らん!」わけではないが、個人としてはとてもじゃないがしょせんはまるで親しみなどもてなかったね。
一食の代金が5万とか7万とか? 笑わせるんじゃねえよ…だね。
だいたい、そういう店にたびたび出没するヤカラというのは、何かやましいんじゃないか? 仕事とか人生そのものとかさ。
いくら三ツ星とかの〔美食〕といったって、食ってる人間が〔うす汚れている〕なんてお笑いだわね、まったくの話が。
これもまた〔虚飾〕と〔虚栄〕と〔虚食〕のウツロな世界だよね。
「ミシュラン三ツ星の店」なんて、こっちでパスしたい!
たとえば、こうこうのはどうかね?
500円、750円、千円……せいぜい1500円という定額料理で、どんな楽しくおいしいメニューが楽しめるかをリサーチしてくれません?
なにも、銀座・日本橋・神田……なんて所じゃなくていいからさ。
街はずれの○○銀座商店街の裏道とか、新橋あたりのガード下とか……吉祥寺のハーモニカ横丁の路地の店とか……なんでもいいけど、まずはさりげなく分相応を心得ている店構えでさ。ほどほどの愛嬌とサービスで、とにかく「うん!」とうなづけるメニューを提供してくれる、誠実で真摯な見せをピックアップしておくんなさい。
「ミシュラン東京2008」という本もバブル・セレブ族に売れたらしいけど、こちとらの本だって数では負けていないと思うよ。
いま、日本人の、あるいは日本国全体の品格とか品性を問う声が盛んですけどね。やたら身分不相応の食い物に右往左往するのって、とったも卑しく貧しいのじゃないかねぇ。
食べ物がおいしいか、まずいか――なんて、すべてこっちの問題じゃない? からだも心も健やかに、ほどほど幸せなヒトと食卓を囲めば、まずいものなんかないものね。
「パンさえあれば、たいていの悲しみに堪えられる」
―――セルバンテス「ドン・キホーテ」より
昨日(12月5日)、二本の映画「ALWAYS/続三丁目の夕日」と「てれすこ/弥次さん喜多さん」を観る。これは取材。感想いろいろ。
これはすなわち、おのれの仕事にとっかるためのいつもの〔プレ・アクション〕。
ちょうど「実録大都映画」(新書版)の第一稿をあげたところだから、あの「大都映画」の制作システムのシンプルさと、現在のすべての映画のエンド・ロールの字幕にゾロゾロ……ワサワサ……わんさとスタッフ名や企業名が出てくることがやたら気になった。そう、〔時代〕が強いるわずらわしさを痛感したというコトだ。
さて、今週はテアトルエコーの芝居と、もう一本、どんな映画を観ようか。