●2014年9月28日 津上忠さん(享年90歳)
●津上忠さんは、劇団前進座を拠点として、劇作・演出で着実なお仕事を遺された先輩だった。
●手がけられた脚本の数は(ラジオ・テレビを含むと)総数200あまりという。ご本人から頂いた「津上忠上演年表」によると、第一作目『乞食の歌』の初演は昭和26(1951)年。
●わが師、三好十郎作の『獅子』の演出(木谷富士夫と共同)が昭和29(1954)年。
●『阿部一族』(原作森鴎外)や『五重塔』(原作幸田露伴)など、名作文学作品の舞台化など、演劇史にのこる優れた仕事が数多い。
●小生がこだわってきた「ムーランルージュ新宿座」は、平成23(2011)年、田中重幸監督で『ムーランルージュの青春』と題して、記録映画にまとめられたが、その制作にかかわることで、津上さんとはとくに親しくお話しをした。
●それは戦時中のムーランの人気アイドルとして注目された「明日待子」について、津上忠著『作家談義』(2010年影書房刊)に書かれていることにも深い関わりがある。
●ムーランのバラエティのフィナーレのあと、客席の若い青年(大学生)が席から立ち上がり「明日、俺は入隊するが、生きて戻ってまた見にくるからな、待っててくれ」と叫んだ――という場面に、津上さんは出くわしていると書きしるしている。(つまり、このコトバは人気アイドル「明日待子」となぞらえているワケだ)
●彼は、早稲田の学生で、すぐ仲間たちが「都の西北……」と校歌を合唱し、それに対抗して、客席の立教の学生たちも「セントポール……」と歌いだして、客席は熱く盛り上がったのだ――という。
●このユニークなエピソードは、テアトルアカデミー睦組の公演『炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場の1945』(2012年9月)の小生の脚本に書いて演じられた。
●津上忠著『作家談義』の出版社は影書房。小生の小説第一作『赤い風車劇場の人々/新宿かげろう譚』もやはり影書房であり、社主で編集者の松本昌次さんにお電話をして、津上忠さんのことをあれこれ話した。
●津上忠さんは、まじめで演劇に真摯な「優れた先輩」でした。合掌。
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●2014年10月5日 大山勝美さん(享年82歳)
●大山勝美さんは、良質の本格テレビドラマのディレクターとして活躍したお方だった。
●かつてTBSのドラマは「なるほど」と納得できるモノを制作していた。『岸辺のアルバム』(脚本山田太一)『ふぞろいの林檎たち』(脚本山田太一)など、正統な社会性のある物語を着実に映像化した。
●現在のテレビドラマは警察もの、推理もの、などのあざとい物語が主流だ。家政婦もの、女医ものなども、うすっぺらなスタンドプレイにまぶされた視聴率におもねるドラマばかりだ。
●一方では、バラエティ(このコトバは戦時中のムーランルージュ新宿座の演目に使われたものが初めだといわれている)とは名ばかりの若手お笑い芸人の悪ふざけや愚にもつかないクイズ番組、さらに――まあいいや。
なんにしても、大山勝美さんが腰をすえて仕事をした頃の「良質のドラマ」はもうお目にかかれないのだろう。
●あれはいつだったか。大山さんから電話があり、ムーランルージュのこと、そして森繁久弥さんのことなどを訊ねてきた。
知っているあれこれのことをお答えして、関連データを郵送してさしあげたのだっけか。そのお礼に何かご恵贈下さった。律儀なお方だった。
●いまのテレビ業界には大山さんのような「なるほど」という快いカタルシスを与えてくれる本格ドラマを作る者は……いないのではないかねぇ。
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まっすぐに雨にしたがふ散る柳 ――風生
ケイちゃんの目 ↓
街角のオブジェ