杭(くい)食(くい))悔(くい)
その1「杭(くい)」
●そういえば――
先人のこんな言葉があった。
人間は、偽装と虚像と偽善にほかならない。
自分自身に対しても、他人にたいしても。
――フランスの哲学者/パスカル
自分自身に対しても、他人にたいしても。
――フランスの哲学者/パスカル
●そういえば――
江戸時代の大川(現・隅田川)の両国橋上流の右岸は「百本杭(ひゃっぽんくい)」とよばれて、庶民に親しまれていた場所があった。
川の流れで岸辺がけずり取られるのを防ぐために、せっせと棒杭を突き立てて、激しい水流をセーブした……という理由からだ。
●そういえば――
この百本杭の付近は「垢離場(こりば)」と称して、神奈川県の大山阿夫利神社に詣でる者たちがここで沐浴して身を清めて参詣の旅に出たのだ。百本杭の周辺は鯉などの魚が群れていて、江戸の者たちはせっせと釣糸をたれたとか。
●そういえば――
ビルや大型マンション等の基礎工事の「杭」についての「手抜き」問題には、ただただ呆れ返る。
しかも、「大手」といわれる企業の物件でこの始末だよ。この「問題工事物件」は他にもワンサとある――!
●そういえば――
日本で有数の大手企業(東芝の不正経理問題など)や、有名ブランド(東洋ゴムの耐震偽装やタカタのエアバックなど)、さらに自動車の世界的ブランド「フォルクスワーゲン」の問題などの手のつけられない不祥事が続発している。今回の建築物に関わる法規無視等の悪質極まる問題は、今後も続発するだろう。
●そういえば――
大企業の「利益第一主義」の隠蔽部分は、まだ腐敗したまま存在し続けるだろうね。
(今回、バレなかった企業や欠陥商品はまだいろいろあるはずだせ!)
その2「食(くい)」
●そういえば――
家は(雨露の)洩らぬほど、食べる物は飢えぬほどに足る事なり。
――茶人/千利休
――茶人/千利休
という言葉があった。
●そういえば――
ムキになって時代小説(文庫書き下ろし約50冊ほど)を書いていた時期がある。
あれこれの資料本が天井までの本棚を占拠しているが。
ことに、日本料理関係、江戸時代の食べ物や料理法のデータ本はワンサとある。
だからといって、「アレが食べたい」「コレが食べたい」などと口走ったりしない。目の前に出されたモノは、どんな質素な料理でも「ありがとう」のココロで、ていねいに味わう。(ホントだぜ)
●そういえば――
ずうーっと、「意地穢い」といわれることを恥だと思ってきた。
家が……というより、時代そのものが貧しかったのダ。だからこその「心構え」だった。
パール・バックの小説『大地』には、中国の貧しい農民が「土のかゆ」を食べる場面があったのを鮮明に記憶している。
●そういえば――
テレビなどでの「モノを食う場面」での出演者や一般の人々のアサマシイこと。野性の動物たちは生きるために獲物を捕え、それを胃に収めるための行為はただただ凄まじくいやしい。でも、人間もまた……。
「視聴率1%100万人」(と言われているけど、ホントにそうなの?)そのテレビカメラの前で大口をあけて、ムシャムシャやっている者って……やっぱり品性下劣だ。
●そういえば――
アナウンサーあがり(という表現は失礼か。アナウンサー出身のと言いかえます)男性が顔を天井に向けて、20センチはどのマグロの切り身をパクパクやっていた。
かと思えば、若いお笑タレントの男が、やはり仰向けた顔の大口で生のイカを食べようとしていた。そして……。
●そういえば――
いま書いている舞台脚本で昭和16年(1941)には、町の精肉屋の店頭から牛やブタ等の肉が姿を消し、犬の肉や、オットセイ、そして(なんと!)タツノオトシゴなどを商品にしていたというデータがある。(戦時態勢のための食料不足は深刻だった)
その一方で、イナゴやタニシはあたりまえ。トンボの煮付け、ゲンゴロー虫の油いため……などを政府が奨励している。
昭和時代の戦争時から敗戦後まで、飢えや餓死とは背中合わせだった。
いま、「飽食」というだらけた日常の中で多くの人々は「意地穢く」なっていないか?
その3「悔(くい)」
●そういえば――
後悔、先に立たず。――故事ことわざ
●そういえば――
「後悔」は文字どおり人生の物事を過去になってから悔いること。でも、どんな失敗からも何も学ばない、何も悩まない――というのはどうかね。
最近、大企業や有名ブランドに大きく深く関わる者たち――責任者たちが、不正や不祥事や不始末を謝罪する場面をテレビなどでしばしば見る。
それは、彼らの心情や人生や今後の生き方などにまるで関係ないように見える。
ド頭をちょっと深く下げればいい――のなら、それですべてOKなの? フン!
政治の失敗も、原発の危険や非生産性や企業モラルのスピンアウトも……気楽なもんですなぁ。
●そういえば――
とにかく「事件」が多すぎる。
刑務所は満員に「超」の字が付くという。
「前非を悔いる」という言葉がある。それが「人生の再出発」になるか――だね。
何にしても「自分」を省みることのない者は……エラソーなこと言うのはやめようかね。
●そういえば――
「心根」という言葉がある。
「根っこ」は「人生の杭」だ。その杭が浮き上がっていたり、腐っていたりしていたら――どうする?
ケイちゃんの目 ↓
武蔵野のお祭り寸景