あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
盛夏8月6日/9日/15日
●そういえば――
「台風5号」という迷走台風がもたらす暴雨(豪雨)で、河川の氾濫などによる被害が伝えられている。家を、田畑を……職場を奪われた人々の労苦を思う。
そして、醜聞腐臭フンプンの安倍政権の怪増(誤字訂正――改造)内閣。新任大臣、さっそくの「答弁は事前に官僚が用意した原稿を朗読するだけ……」と堂々と発言。
安倍ソーリは「仕事人内閣」などとバカ言ってるが、「裏仕事人――」なんていう臭気もあるぜ。
●そういえば――
盛夏8月6日の広島原爆被災日。9日は長崎だ。加えて15日は「太平洋戦争――日本敗戦の日」である。
どんな賢い犬や猫や猿でも、書物や各種資料をひも解いて歴史を学ぼうとしない。いや、その英知(叡知)を持っていない。
私たちが、いま海だ山だ。家族そろっての旅行などなどと、いい気になっていられるのも、「一にも二にも平和だからこそ」だ。
「平和」というその絶対条件を堅持することの努力を失うようなことがあってはならない。
●そういえば――
8月7日(月)ケーブルテレビ、チャンネルNECOで、日本映画「黒い雨」監督今村昌平(製作1988年)をあらためて観た。
原作井伏鱒二。この人の作品の「山椒魚」とか「多甚古村」は以前にしっかり読んだ。
井伏先生は荻窪に住んでいたので親しみをもっていた。また、あの太宰治が親しく慕っていたことも覚えている。
この井伏鱒二は出身がヒロシマ――「黒い雨」という放射能雨が、いままた「目には確かめられぬモノ」となって人々のからだや暮らしに浸透しているようだ。
「核のゴミ」を始末できない。地下に埋めても10万年はその害は消滅しない――? そんなモノを許す者たちがウヨウヨしている「現在」にただイライラする!
●そういえば――
戦後72年――。多くの犠牲者たちの霊を礎(いしずえ)として築いた「平和の時代」――それをいいかげんな思慮なき者たちの行動で、この「平和」を打ち砕くよいな愚かしい行為を絶対に許してはなせない。
***
本棚から――「歴史に学ぶ」本たち
〈資料の本棚からの書籍〉
<制作に加わった記録本>
戦争の記録写真集『核の20世紀/訴える世界のヒバクシャ』(1997年刊)
「平和博物館を創る会」「日本原水爆被害者団体協議会」企画、編集の仕事だった。
「世界の被爆者、被曝者」の記録と実態をまとめる本、という。
小生は、その膨大な記録写真のうち、厳選されたモノについて各国語の日本語訳を、さらに編集レイアウトに沿ってのリライトを――という担当だった。
膨大な世界の被爆者、被曝者たちの記録写真に、まずぶちのめされた。そして体調をくずし寝込んだりしたが。
とにかく、解説文から、編集レイアウトに合わせたキャプションをまとめた。家族たちの協力があって――責任をまっとうした。
この『核の20世紀/訴える世界のヒバクシャ』は日本ジャーナリスト会議(JCJ)のJCJ賞を受賞(1996年度)をした。
多くの心ある人々の「平和への思い」が結集したこの仕事は、小生のあれこれの物書き業の中で特に意味がある独自の仕事として関係者皆さんと素直によろこんだ。エラソーに言うつもりはない。職歴の一つの証拠としてラジオCM、TVCM作品など(企画・コピー・作詞・プロデュース)で日本をはじめアメリカ、ヨーロッパの賞を150余り受賞したが、この「JAC賞」は、チームの一員としてだが……格別の「賞」である。
このずしりと手重りのする写真集『核の20世紀/訴える世界のヒバクシャ』は、本庄慧一郎(望田市郎)の物書き業としての「誇りある道標」である。
●8月6日、そして9日の広島・長崎の式典で、ヌケヌケと「平和」についてメッセージするアベ首相――「核兵器禁止条約」に批准しない――署名をしないこの男の欺瞞性が鼻持ちならない!
ケイちゃんの目 ↓
Scenes of memories
館山の思い出
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