小沢昭一さんとのおつきあい
ニッポン放送発の全国ネットのラジオドラマ「サザエさん」は、お父さんが東野英治郎(あの初代水戸黄門を演じた新劇の名優)。お母さんが三戸部スエ。サザエさん市川寿美礼。(ああ、お三人とも故人になった!)
そのほか若き日の岸田今日子、小山田宗徳、小沢昭一といった顔ぶれ。
小沢さんとは直接お会いする機会は少ないが、舞台や語りライブを拝見したり、数多いご著書をご恵送下さるので、お手紙をさしあげたりして、ずっとおつきあい頂いている。
言うまでもないが、日本の放浪芸にくわしい《さりげない博学の人》である。
分厚いご著書「小沢昭一ものがたり芸能と社会」は、1999年新潮学芸賞というアカデミックな賞を受けている名著だ。
このご著書を資料に使わせてもらい、時代物エンターテインメント「内藤新宿殺め暦」「内藤新宿血の花暦」「内藤新宿闇の血祭り」(廣済堂文庫)

主役は女郎の股くぐりに明け暮れるたいこもちだが、その実態は世の中のワルを始末する殺し屋・極楽家六道。この物語りに放浪芸の人たちが集団で活躍するという仕掛けだ。
語りの名人
それはさておき、小沢さんはやはり、語りの名人である。
井上ひさし作の一人芝居「唐来参和」は足かけ18年間、700回に迫るという公演記録を樹立して、昨年10月の紀伊国屋ホールでめでたく打ち上げになった。その舞台にもお招き頂いたが、エキサイティングでユーモアにあふれた名演だった。
近ごろ、そくそくと胸を打つなんていう芝居にはトンとお目にかかれない。 小沢さんの《老婆》には、リアリティがあった。したたかさと、脆さと、そして幕切れの哀切さが《たった一人の舞台》から横溢していた。
叔父小沢不二夫を通じて知己を得た小沢昭一という俳優・・・・というより役者の存在はわたしにとって貴重である。
新人の頃の小沢さん
ところではなしはまた、20代の小沢青年にもどるが、御大東野英治郎は小沢青年を「昭一ッ! 昭一ッ!」と呼んで可愛がっていらした。才気煥発という4文字がピタリとくるだれにでも愛されるキャラクターだった。
しかし、新人である彼は、「サザエさん」ではチョイ役ばかり。奇妙な男とか、図々しい婆さんとか、ゴムひもの押し売りとかである。 週6本毎日放送のうち、彼の出演は1、2本。「これじゃ、アパート代も払えない」といった生活だったらしい。
そこで、毎日出演できるレギュラー役をつくった。きく屋という酒屋だ。 「ちわぁ、サザエさん、きく屋ですゥ。ご用はありませんかぁ」のきまり文句で登場する。
サザエさん“きく屋”のモデル
そのころ叔父小沢不二夫は練馬の石神井公園に住んでいた。町にきく屋という酒屋が店開きした。そのきく屋がモデルになった。
すぐ「小沢昭一のこんちわァ、毎度ありィ」というラジオ番組を作り、脚本はわたしが書いた。新人と新人であった。
その小沢青年が「70歳になりました。でも元気です」 というお葉書を下さった。
名刺を下さった方は何千人といるが、ずっと快い存在でいる人は、十指に足りない。